台詞の空行

16. 偶然

「他、こっちはいい?」

 念のため、と亜樹が尋ねると、西之が手を挙げた。

「肉球クッキー頼む。犬か猫か知らないけど欲しい」

「……意外と食べるよね西之」

 さっきも食べてたでしょ、とやや呆れたように涼香がいうと、まあね、とあっさりとした肯定が返る。とりあえず摘むタイプだよなぁと笑う照信にも西之は気にした様子を見せなかった。

「否定はしないけどそっちは持ち帰り用。食いたかったら分けるよ」

「んじゃ、買ったらここ集合な」

 照信の言葉に頷いて、隣り合っているとは言え店ごと散る。混み方でいうと長くなるかもしれないのは涼香の方だろうか。

「お金、僕が先に出しておきますね。食べ物選んでもらって良いですか?」

 選ぶと言っても個包装に違いなどわからないのだが、せめて親しい人間が選んだ方がいいだろう。さらに言えば、光介は食べ物を申告していなかったのでついでに自分のを選ぶかもしれない、というのもある。頷いた光介が亜樹の右側――お菓子が並ぶ机側ににするりと移動したので、亜樹は財布を取りだした。相変わらず、光介は物静かだ。

 喫茶店で取り留めのないことを話した日から、特別なにか変わったことはない。当然だ。お互い、変わる理由もない。亜樹自身だけに限れば、コーヒーが香るとつい光介を思い出すことと、一人で仕事を抱えることにためらいが生じるようにことくらいは多少はあるのだが――それはあくまで亜樹個人の問題で、二人、という関係には至らない。

 嬉しいこと、辛いこと、どうでもいいこと。それらを語る距離にはない。あの日は光介が言葉を重ねて、それに返せる物がなかったからだ。平時、口数の多くない光介と特に沈黙を気にしない亜樹は、結局黙り込む事の方が多い。

「飲み物は」

「ブレンドコーヒー、で」

「…………1350円」

 静かな問いに答えると、ややあって金額が示される。総計、ということだろう。言葉に頷いて、亜樹は小さく笑った。

 涼香たちと出掛けるときは知らない場所がそれなりにある。だからついブレンドコーヒー、になってしまい、そればかりが好きに見えてしまう。実際の所は味の違いがわからない故で、次があれば別のコーヒーを試してみようと考えているだけなのだが。

 ラスクとクッキー、それに小さなパウンドケーキを最前列からそのまま手にして、光介がコーヒーを二つ頼む。会計を終えてみれば、案の定涼香たちはまだ注文中のようで先に待っていた西之がドリンクと一緒に手を挙げる。

「ありがと。悪いけど照信来るまでちょっと持ってて」

「いいけど、持てるのかお前。鞄にしまわないんだろう」

 意外と大きいドリンクに、光介がやや呆れたように尋ねる。コーヒーを片手にもちながら亜樹はラスク、光介がクッキーとパウンドケーキを持っている状態なので問題はないのだが、西之が頼んだ鈴菓子とクッキーを合わせ持てるのかというと確かに難しそうだ。

 ただ、持ち帰りなのに鞄にしまわない、という言い切りはやや不可思議でもある。照信と光介は財布だけで身軽だが、西之は鞄を持っている。大きくはないものの、クッキーが入らないほど小さいわけでもない。

「なんとか持てる、と思う」

「……俺の方お前の鞄いれとけ。食べ終わるまで持ってる」

「おー、ありがと。助かる」

 やや間延びした語調だが嬉しそうに笑った西之に、光介が小さく笑い返す。鞄入れると崩れちゃいそうなんだよねぇとの言葉で理由に至った亜樹は、合わせるように笑った。

「一番いいのは座って、なんだけど五人は微妙だもんな。あ、緑静さんは大丈夫?」

 出店という形を取っている為か、席はあるものの少ない。待っていれば空きはするだろうが、というところだ。

「僕は別に。量もそんなにないですしね」

 おそらく時間がかかるのは西之と照信だろう。涼香の方も通りすがりを見る分にはさほど大きくない。果実を絞っただけでなく果肉も含んでいるようなので、二人のものはなかなかボリュームがある。

「おまたせーっていうかでかいね」

「お得サイズってやつ」

 涼香の苦笑を気にせず西之が言い切り、涼香の苦笑が失笑となった。まあお得だね、と言う涼香を横目に見て、照信が楽しそうに笑う。

「飲んだら金渡す。サンキュ」

「まて、先にこっち頼む。西之の鞄に入れてくれ」

「光介のを? リョーカイ」

 鈴菓子だけ持っていた照信がパウンドケーキを受け取り、西之の鞄に。ついでに鈴菓子も一緒に置いて空いた手にラスクがわたり、ジュースも移動となった。亜樹も花衣を受け取って、軽いパズルじみた入れ替えが落ち着く。

「ラスク私が持とうか?」

「あ、おねがーい。先に食べて良いよ!」

「さすがにそのサイズじゃないとはいえ片手はきついって」

 照信の言葉に涼香が笑う。やっぱ座った方が無難? いやでもなんとかなっちゃうし、というようなやりとりはのんびりとしたものだ。

「亜樹先輩!」

 ふ、と、降って湧いたような声に亜樹は振り向いた。飲食スペースの席から立ち上がったのは佐藤で、そばにいる三人の内一人はハンカチがひっかかった時にいた子なので友人だろうとわかる。

 あまりいない、がここで遭遇となるのは中々ままならないものだが、後輩ならさほど心配もないだろう。今の照信と涼香の関係は笑って流される程度に良好でもある。照信が恋慕であるのはこのメンバーで共有しているだけで、一応友愛という理解で落ち着いているから五人で会う件については神経質になるほどでもない。

「偶然だね佐藤さん。お友達と?」

「はい、遊びに。まさか亜樹先輩と会えるなんて思いませんでした」

 嬉しそうに頬を染めてにこにこと笑う佐藤は小動物じみた愛嬌がある。だいたいが適当な亜樹と違い佐藤はころころと表情が変わり、嬉しいときは嬉しいをめいいっぱい伝えるから賑やかだ。

「僕も思わなかった。いつもと髪型も違うんだね、私服であうとまた新鮮な可愛さだ」

「! 先輩も、かっこいいです!」

 さらに表情を明るくして、佐藤が懸命に言う。打てば響く、としみじみ思いながら、亜樹は微笑んでみせた。正直亜樹をかっこいいといってもただの黒いシャツに黒いパンツスタイルなのでなんの面白味もないのだが、世間話にそれを指摘する野暮さは無い。

「ありがと。えと、邪魔しちゃったかな」

「いえ、私が声をかけたので。丁度私たち食べ終わったところですし、席使うかなって」

「いいの? それは嬉しいなあ」

 一応邪魔にならない程度に窺っていた涼香たちに亜樹が目配せをすると、せっかくだし、というような首肯が返る。そのまま佐藤に礼を言えば、いえ、と照れくさそうに笑い返された。

「先輩にはいつもお世話になってますし」

「佐藤さんにもお世話になってるよ」

「最近はお手伝いもできて嬉しいです」

 光介の件があってから、ほんの少し亜樹なりに気にするようにした結果を人に頼るのはどうにも馴染まなかったが、佐藤は言葉だけでなく実際やけに嬉しそうにする。人に対してたとえとしては失礼かもしれないが、まるで散歩か何かの声をかけられた犬のようにきらきらとしているから苦笑しそうになるくらいだ。ああいった愛嬌は佐藤の武器だろう。作ったものでないとしたら、さらにだ。

「もう席大丈夫?」

「大丈夫ですよぉ。先輩たちも楽しんでくださいね」

 一緒にいた友人たちが立ち上がったのにあわせて尋ねると、気楽な声で返される。佐藤が自分の席を亜樹に指し示すので、亜樹は笑った。

「そうだ、これ。食べてなかったらみんなで分けて」

「え、いいですよ移動するだけなのにそんな」

「面白がって買ったけどあまり食べるタイプでもないんだよね。迷惑じゃなかったらもらってくれたら嬉しいなぁ」

 実際試しに買っただけで食べたい、という感性を亜樹は持っていない。涼香たちがつまみ食べたらラッキーかな程度だったのもあって、はい、と持っていた菓子を手に乗せた。

「花の形で可愛いし、佐藤さん似合いそうだし。……だめ?」

「う、だめじゃないです……有り難うございます」

 非常に神妙に大事そうに受け取られ、亜樹は笑みを零した。有り難うございますーと声をそろえる佐藤の友人たちにも首肯を返す。

「じゃあ、そっちも楽しんでね」

「私たちも、便乗させてもらうね。ありがとー」

 少しひょうきんな語調を選んだ涼香に、びんじょー私たちもごちそうさまですびんじょーどういたしましてーと笑い声が返った。気安い仲なのだろうメンバーに照信と西之が礼を言い、ワンテンポ遅れて光介も礼を告げた。口数の少なさはそういうタイミングもあるのかもな、と先日の遠足で光介の言葉があるまで待っていた照信思い出しながら、椅子に座る。

 机に並ぶ菓子は、ちょっとしたお茶会だ。

「適当に摘んでくれ」

 西之から受け取り直したパウンドケーキを開いて、光介がぽつりと言う。ありがとーと言ってもらい受ける涼香をにこにこと眺めていた亜樹は、食べないからこそややのんびりとコーヒーに口を付けた。相変わらず、店ごとの違いはよくわからない。

「……緑静も」

「え、いいですよ僕は」

「食べるもの、ないだろ。嫌いじゃないなら」

 言葉を重ねられ、亜樹は眉を下げた。好きな人が食べるのが一番だと思うが、個数で言うなら確かにもらっても問題ないだろう。いただきます、とひとつ摘むと、こくり、と光介が首肯した。少し安堵したように見えたそれに微苦笑を重ね、口に運ぶ。

 物珍しさで花衣という菓子をとりあえず買ったが、そもそもパウンドケーキも普段食べる機会がない。こういうものか、と思いながら咀嚼していると、西之と目があった。

「俺のも食べて。こういうの皆で食べると楽しいよね」

 そもそも量って言うよりいろいろ試したいタイプなんだよね、といって真ん中あたりに置く西之に、わかる、と涼香もうなずく。結局照信のラスクも同じように置かれて、とりあえずというように亜樹はひとつずつ口に運んだ。

「そういやそれじゃりなのじょりなの」

「じゃりかなー」

「アンタ達の言い方ほんとどうなのそれ」

 やいのやいのとする様は単純に言えば仲良し、といえるのだろう。照信と涼香の関係はともすると奇妙かもしれないが、現状は友人として満喫している、といえる。

 奇妙、というのももしかすると違うのかもしれない。それでも理解できないものは理解できないなりに奇妙で、亜樹はただ笑みを浮かべるのみだ。

 どの菓子も味が違うことはわかってもそれだけで、結局亜樹は理解できないことに違いないのだから。