台詞の空行

二月十五日(Side:B) 2

「少し待っていてくれ」

 不思議そうに山田が見上げる。以前と比べて表情が見えやすくなった気がする山田は、本質がそのまま山田に馴染んだと言うべきだろうか。返事を待たず、コンビニに入る。おそらく今の山田は、勝手に立ち去ることはない。

 コンビニ店員の声と入店音が重なる。視線を動かせば目的のものはすぐに見つかった。こんなもので、と思うが、こんなものしかできない、とも言える。

 山田のああいう表情は、どうにもざわつく。昔は彼女が殺されるようだったからなのはわかるが、今は山田は山田だと思うのに、ざわつく。それは逸見らしくないという形ではなく、だからこそおかしな感覚とも言えた。

 巡る思考を売れ残りの品に向ける。馬鹿馬鹿しいに馬鹿馬鹿しいが重なるような、それでいて無駄なまじないのようなものだろう。わかっている。それでも。

 それでもなにもしないのは、落ち着かないのだ。


「山田」

 自動ドアから出ると、山田がちょうどこちらを見上げた。声をかけると、おう、と短い声が返る。大股で近づき見下ろせば、視線を戻した山田が少しいぶかしむようにまたこちらに向き直った。

 言葉が続く前に、手に持っていた袋を差し出す。

「……あ?」

 不審げ、と言うのが適切だろう。少し凄む色もあるかも知れないが、凄むと言い切るには迫力が足りなかった。山田の視線が袋の中に向く。

「プレゼントだ」

「は?」

 少し早口になってしまった気がするが、自身の声はいつも通りのっぺりとしていてさほど代わりなかった。山田の理解できないとでもいうような声とは反対で、それがよいことかどうなのかはわからない。

 ぎゅ、と眉間に皺が寄るのを見て、袋を押しつける。

「貰ってくれ」

「なんでだ、なんかあるのか」

 問いかけながら山田は袋を受け取る。見た目の割にというべきか逸見だからと言うべきか、山田はこういう時押しに弱いところがあるように思う。別に押し切られても良いか、というくらいには心を許されていると思うと悪いことではないが――だからこそバレンタインだって言われるままだったのだろう。

 山田がそうして流されるのはいいが、そこに俺は居なかった。

「特に理由はないが、世話になっているしな。気持ちだ、値引き物だしな」

「バレンタインを?」

「売れ残りの安いコンビニチョコだ。日付は過ぎているんだし、ただのお裾分けだと思ってくれ」

 説明が多すぎるだろうか。山田がビニル袋から取り出すのを見ながら、落ち着かない気持ちを腹の中に飲み込む。意味はない。日暮から山田に渡すものでしかないのだ、これは。以前山田にガムを送ったときは、日暮から逸見に向ける縋るようなものだった。今回はそうじゃない。

 だから意味はないのだ、と内心で繰り返す。

「開けてもいいか?」

「……ああ」

 開ける、という選択肢は浮かばなかったので少しざわつくが、拒否するものでもない。頷くと、山田がパッケージに指先を沿わせた。

 す、と表面を撫でる指は静かだ。そうしてから裏返すと、紙の切れ目で指先が止まる。短い爪がカリカリとテープを剥がすのを眺める。剥がれた包装紙は袋に入れられた。

 そこまで人通りのない場所、といっても男同士で並んでやることではなかったような気がする。同性間でのやりとりだってあるとはいえ、バレンタインは基本的に女性の楽しみだろう。コンビニ店員は暇そうで、どこを見ているかはわからない。

 山田とて見え方を考えない訳ではないだろうが、以前と違ってあまりぴりぴりと拒絶はしなくなった為かどうにもマイペースに感じる。

 いや別に意味はないからいいんだ、と何度目かわからない言葉で自身を宥める。なにをやっているんだ、俺は。

「随分と洒落てるな」

「今時のコンビニは凄いな」

 少しだけ漏れた感嘆の声に、平坦に声を重ねる。三個しか粒が入っていないいわゆる高級品で、かつ個数が少ないので義理にいいだろうくらいのものだ。多分、これがなかったら渡そうとは思わなかったと思う。見かけてしまって、頭に残っていた。

 じっと見下ろす山田の表情は、サングラスでわからない。

「……好きだろう、そういうの」

 つるり、とこぼれた言葉に心臓が痛む。なにを言っているんだ。自分で馬鹿だと思いながら息を飲むが、飲んだところで零れた言葉が戻ることはない。

 バラの形をした小さなチョコレート。逸見は多分、好きだ。逸見だった山田だって、その好みが大きく変わることはないだろう。

 けれども、だからなんだと言うのだ。山田はもう、山田だ。逸見であってほしいと重ねる必要はなく、逸見が好きだったからとかそういうもので勝手を押しつける後悔が今更自身を責める。

 本当になにを、

「ああ」

 ふ、と笑うような山田の呼気が響いた。ため息に混ざる柔らかさに、手が強ばる。じ、とチョコを見下ろす山田の口元は笑みを浮かべていた。

「嫌いじゃない」

「、」

 穏やかな言葉と共に、箱がこちらに向けられた。どう返せばわからないまま見返すと、く、と顎が持ち上がる。

「一個ぐらい日暮さんも食っときゃいいだろ。安いっつってもこの個数で売られるようなもんだ。奢られるにしてもアンタが食わないのは落ち着かねぇ」

「ああ」

 山田らしい言葉だと思う。そういえばガムも全部丸ごと、はなかったはずだ。山田がチョコレートを差し出している、という状況に馬鹿な考えが浮かびそうになって、慌てて摘む。あんまり見ていいものじゃない。違う意味で上書きしそうになってしまう。

「……甘い」

 情緒無く口に突っ込んで呟けば、そりゃ甘いだろうよ、と返される。当然だ、チョコレートなのだから。それなのに、ぐらぐらする。さっきの表情が消えない。

(意味はない)

 内心で繰り返す。山田の眉は形を作っているのか、逸見の時と違ってつり上がっている。それが少し水平気味になっていても、やはり逸見の表情とは別だ。だから俺は山田は山田だと、思っている。

 なのに何故だろうか。鳩尾あたりが重くなる。ずん、とした感覚を、遠い昔に俺は知っている。先ほどの呼気がすぐそこにまだあるようだ。甘さを溶かすような柔和な笑みは、ひどく頭をぐらつかせる。

 山田は山田なのに、先ほどの表情は確かに逸見あのひと重なった。そんなことあるはずない、とわかっているのにぐるぐると内側が圧迫感を訴える。

 瞼を閉じると表情だけでなく過去の色が華やぐようで、それを消すように開き直す。見下ろす山田は存外穏やかで、どうしても重ねかけるものに今の山田が口を開いた。

「返すモンねぇぞ」

「俺も貰ったから必要ないだろ」

「日暮さんが寄越したんだから貰った、っつーのも……いや、そうだな」

 否定しようとした山田が、そこでぽつりと小さく呟いた。どうしたのだろうか、と続く言葉を待つと、にやり、と片頬だけつり上げる笑みとかち合う。

 山田らしい表情に混ざっているのは、少しだけいたずらじみた色だ。

「貰った時点で俺のモンだし、そこから日暮さんにやった、って考えるならおあいこだな。日付も色気も準備もねえがハッピーバレンタインってやつだ」

 興味ねえだろうけどな、と続けられた言葉に特別な意味はないだろう。言っているとおり今日じゃないし、そういった情愛も含んでいない。準備なんてそもそも俺自身が渡したものが返っただけで。

 だというのに、差し出した絵が浮かんで。いや。

「……ああ」

 なんとか頷く。意味はない。目の前で笑う姿は山田であって逸見でないし、あの日の気持ちとは別なのだ。


 ただ口の中の甘さは、飲み物でもなければ流せそうに無かった。

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