台詞の空行

二月十五日(Side:A) 2

「覚えているよな刑事さんじゃ」

 三浦さんは元々事件に関わったことがある。警察も介入したし、現場にその時居なくとも特例隊で扱った案件だ。日暮さんが知らないわけもない。

「まあ、問題があるわけじゃないんだ。事件の後も付き合いがあってな、横須賀さんと親しいんだ。それに俺も巻き込まれることが多いっちゃ多いが、悪い人じゃネェよ」

 そう警戒するな、と言葉を続けると、日暮さんが眉間の皺を消した。プライベートだというのに、やはりなにか危険があるのならばと考えているのだろうその人となりは嫌いではない。言葉はだいぶ粗野にさせてもらっているが、警察、というものを山田太郎だって信頼している。

 頼ってはいけない、と思っていた。それでも警察が出来る範囲をさがして、日暮さんが特例隊を作って――そうやっていく姿を遠目に見て、悪い感情は持たない。少し日暮さんは仕事に賢明すぎないか、あまりに事件と関わるから案じる気持ちがないわけでもないが――それは警察という仕事を選んだ日暮さんには失礼だろうから、言いはしない。

 ただこういう時でもやはり案じ、こちらを諭そうとする姿は少し眩しい。

「バレンタインに菓子を食べにいったのか」

 それ以上追求しないと言う意志なのかのっぺりと続いた世間話に、ああ、と頷く。こちらもそれを疑問に思わない意思表示のつもりで、笑みを浮かべて話を引き継いだ。

「諸事情で男三人バレンタインイベント中の場所にだったからまあ多少目立ったな。いやまあ話すのはこっちの話題じゃないんだが」

 実際は男三人ではないのだが、山田太郎の見た目としては男だ。そういうスタンスで生きていくつもりだし、ここで言い方を変えてもおかしいだろう。日暮さんだってそこをつつくほど野暮じゃない。ふ、とにぎやかな三浦さんと横須賀さんの姿を浮かべて話題がずれかけるのを止めるため続けた言葉に、日暮さんは口を挟まず待っている。

「リンに恋人がいない時は、毎年バレンタインに付き合っていてな。横須賀さんも今年は誘ったんだ」

 あの時の横須賀さんは中々楽しいものがあった。人にプレゼント、なんてそうそうしなかったのだろう。使われるくせに自分を使ってほしいと言うことには馴染まなかった人。それでも諦めるような人間でないことも、山田太郎には使って貰うことを当たり前に考えるところも知っている。彼自身、少しずつだが確実に、横須賀一という行動を表現することに躊躇わなくなっている。

 横須賀さんが喜ぶのも、竜郎さんが喜ぶのも見ているのは心地よい物だった。物事が一段落した故に、リン、という姿が純粋な竜郎さんの選択を見せていて、そういう今だからこそ余計自分にとっても嬉しかったのだろう。花束に三浦さんと目を配らせたことも悪くない記憶だから、口角が緩みそうになるのを言葉に代える。

「リンへのお返しじゃなくても日頃の感謝で、なんて言って花束贈りたい言いだして三浦さんと頭抱えかけたんだが――」

 見上げると相変わらずの無表情。しかし、それにしては少し遠い。日暮さんはまっすぐと話を聞いていることを伝える人だ。話をするときの指の動き、聞いているときの指の動き。どれも表情に出ないからこそ日暮さんが考えただろう、コミュニケーションの一つ。それが無い。

「日暮さん?」

「なんだ」

 名前を呼べば、平坦な声が帰る。日暮さんの内心を表情で探ることは難しく、この人が伝える意志を見せなければ情報から推察するしかない。仕事関係でないと探るつもりを持たないからか、余計に何を考えているかはわからない。

 退屈だっただろうか。素直にいろいろ伝えてくれる、と思っているから、そういう人間に自分は少し気を抜きすぎる自覚はある。以前に比べてふぬけてもいる。

「くだらない話をしたな」

「いや、微笑ましい。彼はイベント事に馴染みが無いんだな」

 反省を込めて言えば、日暮さんはまっすぐと言葉を返した。こちらをみる目から感情を読みとれず、しかし伝える言葉は明白だ。

 不必要な嘘を日暮さんは好まない。信じない道理もなく、少なくともバレンタインについてはそうみたいだったな、と軽く返す。日暮さんの様子から内心を探れないのだから、言葉は大切なものだ。この人が伝えてくれるのなら、それを疑うのは逆に失礼だろう。

「しかし花束は大仰だな」

 のっぺりとした言葉が続いた。感情は見えないが、おそらく感覚としてこちらとずれているわけでもなさそうなので頷き返す。

「リンは誤解しないだろうけど、なんかあった時に本人に気がないのにややこしくてもな、とは思ったからどうするかって話になったが、まあ道理に適ってる理由で止めるのも問題だろうしってことで横須賀さんと一緒に俺と三浦さんもって形にはした。リンのほうから説明はしてくれたし、喜んでいたから問題はねーけど中々バレンタインに花はな」

「まあ、誤解しないとわかっている範囲で試せたのはよかっただろう」

「ああ」

 やはり日暮さんもわかっているような言葉に、あっさりと同意する。諸外国でバレンタインに花を贈る風習があることは、日暮さんも把握している程度に広まりだしているのだろう。横須賀さんが鈍いというよりは知っていてもあまり結びついていそうにないあたりが微妙だったが、竜郎さんの説明で問題なかったし、それはそれでホワイトデーにも花を送ることになっている。

 優しいやりとりを悪く思う理由はない。

「日暮さんはバレンタイン、忙しかったか」

 途切れた会話に話題を差し込む。別に続けなくてもいいのだが、せっかくのイベントごとだ。ここまで話題にして聞かない理由もなく尋ねると、日暮さんはまっすぐこちらを見下ろしていた。

「……仕事だったからな」

 ぽつんと落ちた言葉はのっぺりだが、少し話からずれていて笑ってしまった。仕事は仕事、そうだろうがそうじゃない。

「そっちじゃなくて、アンタもそれなりに貰う方だろう?」

 見目で人を選ぶのも、と思うが、目を引く高身長。剣道も達者だったし、真面目でお人好し。感情が見えないという点はあっても、考えを隠さず伝え、こちらを案じる。部下の面倒見もいいし、顔立ちだってそんなに悪くない。しかも警察官だ。職業故のその体への心配はあっても、誠実さと人格を保証されるような仕事で、それを裏切らない人となり。

 それなりにそういう付き合いは多いだろう、ということを暗に込めた言葉で、しかし日暮さんは首を横に振った。

「貰わないな。義理付き合いはあまりエスカレートしてもまずいものだろう」

「ふうん」

 否定は単純なものだ。まあ、突っ込んで聞くのもそれこそ相手のプライベートになるし、世間話でしかないので頷いて終わる。横須賀さんのように恋愛事に臆病という様子は見えないが、特別興味がないのかもしれない。

 仕事人間、というのもまあこれまでを思うと納得できる。

「山田はなにかしたのか」

 とん、と日暮さんが自身の足を指先で叩いて尋ねる。聞くときの合図みたいなものだが、渡したか、と先ほど聞いたのにわざわざ聞き直すほどでもないだろう。彼なりの世間話なのだろうが、こちらがする、という発言は奇妙だ。

「しねぇよ。そもそも俺がしてもおかしいだろ。リンへの花も渡したって言うよりはついでのカンパみたいなもんだしな」

 馬鹿馬鹿しい、と言うように笑い捨てる。男性が送ることは諸外国の花をはじめさほどありえないことではなくなったが、山田太郎にとってはやはりおかしい。

 竜郎さんに渡す花に金を出した。それ以上は、ありえない。