台詞の空行

二月十一日 3

「お返し、はしない、ですけど。その、お花屋さんで、せめてお花でも買って行こうかな、って、思って」

 おずおずとの言葉に、三浦の口が間抜けに開いた。山田はかろうじて固まるだけですんだが、おそらく二人の思考は同じ物だろう。

 まったく同じだなんて言葉にしないかぎりわかりっこないのだが、それでも三浦とサングラス越しに視線を合わせた山田は、ほぼそれが同一だという直感めいた心地を持った。

 というかそれしかないだろう。だってそう、まさかの花、だ。

「……理由聞かせろ」

 山田が呻きそうになる声を飲み込んで、静かに尋ねる。少し声の調子を落としたそれに横須賀は気付かず、えっと、と自身のメモ帳を触った。

 開くまではしないが癖のような所作の後、思いだそうとするように小さく手を揺らして足にとんとんと当てる。

「花はいつでも嬉しい、憧れるってリンさん、前言ってらして。でも俺、プレゼント、わからなくて。でも、その、飾ってもらえたら、お返しじゃなくてバレンタインの飾り付け、のいっこかな、って。残らないものだし、もし、よければ、ホワイトデーにもまた送れますし」

 一つずつ拾い上げるようにしてつっかえながらも賢明に理由を並べるのは、ともすると微笑ましいものかもしれない。元々色恋を得意としないからそうは見えないというだけでなく、親愛を大事に拾い上げて思考するのは贈り物をする心構えとしては正しい。

「それに憧れなら叶って欲しくて、お返しじゃなくていつもの御礼を俺もしたい、です」

 ただ、正しさと実際の効果はまた別である。山田の沈黙、五秒足らず。

「寄っていけばいいだろ」

「有難うございます」

 とん、と投げられた言葉は平坦だった。安心したように息を吐いて笑う横須賀と反対に、三浦が目を見開く。

 ぱくぱくと口を開いては閉じを繰り返し山田を見るが、山田はそれ以上言葉を続けない。どうするべきかと山田と自身の手元を見比べた三浦は、しかしどうしようもできずに山田をじっと見つめた。目の前に居るがスマートフォンのメッセージで、と思いはしたのだが、山田は連絡が来るときにはその旨断って机の上に置いておくタイプだ。今それがないということは、おそらく気付かれない。

 それでも三浦が言いたいことは通じるはずだ。あえて無視している山田に、三浦はううんと内心で唸る。

 いや、悪いことじゃない。悪いことではないんだが。

「三浦さん?」

「あ、え、あーと。落ち合う場所決めましょうか。横須賀さんは山田さんと一緒ですよね? 山田さん、このあたりでどこが都合いいか時間と一緒に決めてくれません?」

 心配そうな横須賀に慌てて声を上げて、三浦がメモ帳を取り出した。ペンを走らせ、それから押しつける。

 駅名、店名、時間。それらを書きなぐったメモを、山田の左手側――横須賀と反対側に置く。

『VDの花、まずくないですか』

「仕方ねぇな」

 書き込まれたメモを見て、山田が面倒くさそうに言葉を呟く。基本的にバレンタインはチョコレート会社の陰謀――改め女性がチョコを贈る行事となっているが、海外では男性が花を贈る行事でもあり、最近日本にもその説は浸透し出しているので三浦の心配はそのあたりなのだろう。山田自身、花と聞いた瞬間なんでそれを、と思いはした。先ほど視線が交錯した理由はお互いそれであるのもわかっている。

 わかってはいるが、それ以上にはなりえない。

『道理だ、止める理由無し』

「これでいいか」

 端にメモを追加して山田が三浦に渡す。三浦は眉をひそめると、ちょっとまってくださいねといいながらまたメモを走らせた。

 横須賀は待てと言われた犬よろしく二人のやりとりを隣で見ているが、メモを読むには至ってないだろう。神経質な山田の文字の下に、三浦の殴り書きが増える。

『任侠映画の若頭みたいな基準止めてくださいよわかるでしょ』

「どーです?」

「どうもこうもねぇよ」

 三浦の文字と言葉に山田がため息を付く。そうしてまた、硬質的になるよう意識しながらペンを走らせる。

『アレが自分でやること考えたのに理の薄い否定するのならテメェがやれ』

「めんどいから俺はこれ以上はごめんだね」

 メモと一緒に言葉を投げ渡す。うう、と呻いた三浦は、左手で頭を抱えた。

 別にそりゃプレゼントは自由である。そして山田が言うようになにもおかしくはない、というのも三浦の考えには確かにあるだろう。――ただ、お返しという形でなくてもバレンタインに花、というのを横須賀が覚えて、もし将来的に誰かから貰った場合。本人が本命ならいいが、義理のお返しのつもりで誤解させても中々問題がある、という不安も三浦にはあった。

 かといって今折角自分で考えた横須賀の案を否定するのは、確かになんというか心苦しくもなるわけで。三浦の考えを山田は理解しているが、同時に横須賀の考えも把握した上での選択で、三浦が自身の考えで押し通せるかといったら難しいのは事実だ。

「あの」

 ううん、と内心で呻く三浦に、細い声がかかる。横須賀が躊躇うときの音は、空気を吐き出すのも申し訳ないような少なさで本来の声質からすると高く聞こえる音になる。

 見なくともわかる表情に頭をあげれば、やはり申し訳なさそうな心配そうな顔がそこにあった。

「なにか駄目なことありまし、た、か……?」

「えっあー……その、ですね」

 横須賀の様子に三浦は罪悪感とどうにかせねばという思考で揺れ、瞳を泳がせる。ぐらぐらと内心で天秤のように動く思考は、は、という短い呼気で固まった。

 にこ、と笑ったつもりの顔は少しひきつっているものの、さほど違和感の大きいものでもない。

「俺も一緒に行きたいかなって思いまして。お邪魔でなければ」

「勝手にすりゃいいだろ」

 山田の肯定はあっさりとしている。少し恨みがましい心地で山田をみた三浦は、しかしすぐに横須賀に笑い直した。

「んで、どうせなら一緒に払いたいかなって、その花。一緒にお礼してもいいですか? ほら、山田さんもどうせなら。みんなお世話になってるでしょう?」

「あ、えっと」

 嬉しそうに瞳をきらめかせた横須賀が、山田の返事を待つようにそちらを伺いみる。

 ふん、と山田は鼻で息を吐き出すと、腕を組んで横柄に首肯した。

「まあその方がそれなりに華やかにもなるだろ、店に飾るなら丁度いい」

「じゃあ、一緒に、ですね」

 一緒、という言葉をかみしめるようにして横須賀が頷く。幸せそうな笑みにほんわりと和んだ三浦は、山田の視線に少しだけ口角をひきつらせた。

(逃げたな)

(逃げました!)

 山田の無言の言葉に無言で三浦は返す。問題の先送りである自覚は三浦も持っているだろう。しかし、それでも良しとした。実際問題はなにも変わっていないのだが、山田はそれ以上どうこう踏み込むつもりもない。

 そもそも山田自身投げやりに放置したので三浦を責める道理はなく、また、三浦の結論がおそらく山田と同じ形になったことも理解できたからだ。

 横須賀の選択はある一面では正しく、自主的な思考を遮る理由もない。山田と三浦が関わるのはそれだけで、もう一面の誤解だのなんだのは、受け取る側のリンがなんとかするだろうというのが山田の考えだった。

 それ自体はっきりいってリンに問題を投げ渡すようなものだが――幸い言葉選びも、受け取る喜びも、そういったことを丁寧に話す柔らかい語調はリンの方が向いている。

 一瞬驚いた後嬉しそうにしながら説明するだろうリンについてはそのときで、ひとまず横須賀の選択を受け入れよう、というのが三浦と山田の結論だ。

「?」

「花、色でも何でもなんか考えとけよ。値段言ってそのままも出来るだろうから無理にしなくてもいいとは思うがな」

 二人のやりとりに首を傾げた横須賀に、山田が投げやりに言う。はい、とメモをするのは平時と変わらず――まあ、悪くないな、と山田は内心で呟いた。


 後日、予想通りリンが喜んだことも予想以上に渡した横須賀が喜んだことも含めて悪くなかったし、まあ義理問題についてもだいたいリンがなんとかしてくれたのだからそれで良しなのだろう。


 色恋の無い、それでもきっとハッピーバレンタイン、だ。

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