台詞の空行

二月十一日 2

「そういう訳で一緒にどうぞ」

「勝手に言ってろ。……にしても意外だな」

 粗野に言い放てば、もうあとは決まったようなものだ。特別害があるわけでも無し、山田自身も実のところ甘い物は嫌いではない。この中で甘党でないのはおそらく横須賀くらいだろうが、その横須賀がよしとするのなら別にいいだろう。それに横須賀も甘い物を嫌っているわけではなく、量をあまりとらないだけで食べること自体は楽しそうだ。

 だから話を終いにして流すように山田が呟くと、三浦が首を傾げた。

「妹好きだからもう少し荒れるかと思ったが、流石にそこまで馬鹿じゃねえか」

 山田の指摘に、ああーと三浦が納得したような声を上げる。横須賀のような本当にわかっていない疑問ではなく山田の先を促すような意味に近い三浦の所作は、会話で大仰に動く。

 嘘っぽいと言うよりはコミュニケーションのひとつのようなそれが、納得のあとに続いた「はは、」という笑いで少しだけ凪いだ。

「妹ちゃんが俺に当たってくれるだけマシといいますか、馬鹿な男に心を砕かないで良かったのでまあそれなりに」

 少しだけ早口なのはあまり聞かせるものでは無いという自認だろう。それからす、とまた遠のいた瞳は、瞼が影を作ってあの淀みを見せる。

「……ぶっちゃけ関係ないところで腐ってもげろとは思いますが妹ちゃんが忘れるの最優先です」

 ははは、と取って付けたような笑い声は乾いているが事実でしかないことを伝えるものだ。大切な人間を傷つけたという点では好ましくないという素直な感情を持っていても、それ以上にはなりえない。

 隣で横須賀が不安そうにおろおろとしているのを視界の端に入れながら、山田は頷いた。

「まあ、理にかなっているな」

 隣でびくりと横須賀が揺れたのを見たものの、山田は再度頷く。恋愛関係など他人が口を挟むものではないが、相手が不貞を成したことが原因で悲しむ身内を無碍にしろとは思わない。更に言えば心が離れた人間に執着することほど虚しいこともないだろう。身内に対して嫌がらせと言っても、そもそも甘党の兄に押しつけたものが甘味関係なのだ。話でしか知らない他人だが、三浦が大切にしているのも納得がいく人間性。

 そうやってなんとか自身の気持ちを宥めようとする身内に心を砕く必要はあれど、傷つけてもう関わらない不貞の輩に関わる理由はない。もしそんなことをしようものなら、逆に忘れようとした彼女の努力を台無しにするわけで――そこを理解した上で選んでいるのが、三浦らしさだろう。

 言葉選びは三浦にしては随分過激だが、

(……ん?)

「どうしました?」

 隣の気配に山田がふと疑問を抱き顔を上げたのと三浦の問いが投げられたのはほぼ同時だった。向かう先は横須賀で、先ほどびくりと身を固めてから反応が薄い。

 山田の位置からだと背丈の関係もあり青い顔がよくみえる。

「……別に思うだけで本当になれって言う訳じゃねぇからな。そんな覚悟ねえだろ三浦さんじゃ」

 とん、とそのわき腹を拳の背で押すが、反応はない。横須賀とは縁が遠いことに思うが――怯えはまた別だろう。実際何があったのかまでは知らないが、横須賀は時々この手の冗談で酷く狼狽を見せる。

 横須賀の怯えに三浦が不安そうに覗き込むが、声を出さないのは彼なりの気遣いだ。わき腹から拳の背を離し、山田は息を吐いた。

「そういや十四日、その後は空いているか?」

「……え?」

 特になんでもないような調子で山田が尋ねると、緩慢な低い音が返る。ワンテンポ遅れたような掠れた反応に、山田はサングラスの奥で見据えるように目を細めた。

「暇ならでいいんだがな。リンのとこに行くのに、横須賀さんもどうだ」

 見据える視線とは反対に、山田の声はあくまで平坦だ。ただの世間話のような語調に横須賀がいつもの間抜けな顔でぱちぱちと文字を追うように咀嚼する。

 目の前の三浦が少し安堵したように笑みを浮かべたのを見ながら、山田は言葉を続けた。

「15日休む相談してただろ。結局横須賀さんも休むことになったから事務所閉めることになったが――元々、リンに恋人がいない年で仕事が空いている時はいつもそういう習慣なんだ。特別な一人がいない時はこっちを巻き込んでバレンタインもホワイトデーもやりたがる」

「当日じゃなくて次の日なんです?」

「夜だしな、遅くなって次の日仕事なければ気にするほどじゃネェだろ」

 口を挟んだ三浦に、淡々と山田は返した。へー、と声を漏らした三浦は、少しだけ楽しそうににまにまと笑う。

「山田さん、リンさんに甘いですね」

「俺は甘くネェよ」

「えー」

 平日だろうが夜遅くに付き合うのだから、というような声色に山田は鼻で笑った。甘い、と見られても三浦相手ならどうでもいいし――実際、甘いのは山田ではない事実は変わらない。

 甘いのはリンだ、と山田は考えている。本来逸見五月は甘味を好むが、山田太郎になってからというもの随分と遠くなった。嫌いな物を側に置くよりも、好きな物を置く方が危険だからだ。表情がゆるんだらどうしようもない。

 そういう山田に、イベントごとだからとせめて甘くない菓子をリンはいつも贈ってきた。それも山田が眉をひそめるので、たった一個。小さな一口。出来るだけ甘くなくとも菓子らしいもので、こちらに馴染みが無く、見て楽しめるものをわざわざ選ぶ労力はなかなかの物だろう。

 リンに恋人が居るときは面倒だと逃げたが、その優しさを捨てることなど出来ない。返せるものなどなにもなく、せめてもの長い夜の付き合いでもあって、これらのイベントごとは付き合いでありながら太宰竜郎という人間の優しさに甘えるものだ、と山田は自認していた。

 だからこそ、と途切れた言葉をもう一度拾い上げる。気遣いのたったひとつの習慣が、今年はどうなるかわからなくても。もう気を遣わなくてもいいのにやっぱり誘ったリンは、ひとつの楽しみにもしているとわかるのだ。今年は甘いチョコかもしれない。他のなにかかもしれない。わからなくとも、リンらしい物だろうことだけはわかる。

「義理を貰ってやってんだが、今年は横須賀さんも暇なら貰ってやってくれ。リンの趣味だから、返しは必要ない。喜んでやれば十分だ」

 恋人が居ないことはわかっていても、それでも恋人のイベントごとだ。こちらから誘うのもねえとリンが言っていたし山田も思っていたが、こんなイベントに巻き込まれるのなら少しくらい声をかけても問題ないだろう。

 気安く流せるようにあくまで平坦に山田は言葉を並べ、区切る。その語調に段々と思考が言葉に追いつきだしたのか、横須賀は咀嚼するようにふんふんと頷くに満たない程度の浅さで頭を振り、それから言葉を切る手前の言葉で少しだけ止まった。

「必要ない……」

 納得や不満と言うよりは、そのまま思考を吐き出すような戸惑いの声だった。少しだけ考えるように横須賀は数秒下を向くと、うん、とひとりで頷いてから山田を見た。

「えっと、暇です。一緒に行きたい、です」

 つっかえながらの言葉は想定できた返事だ。しかし珍しいことにそこで止まらず、「それで、」と言葉が続いた。

「その、行く前に、店に寄ってもいいですか?」

「店? どこだ」

 横須賀の問いかけに意外そうに山田が尋ね返す。見守っていた三浦も不思議そうに横須賀を見上げると、あの、と横須賀が呟いた。