台詞の空行

甘い一日(Side:横須賀) 3

「飲み物どうします?」

 さて、という感じで三浦さんが尋ねる。俺は多分、コーヒーかオレンジジュースくらいしか飲み物はわからない。ここの紅茶がおすすめと言う三浦さんは楽しそうだ。ケーキと一緒に呑むものだと、コーヒー、オレンジジュース、紅茶、は確かによく見るかも知れない。俺は紅茶はわからないから、やっぱりその二つからだろうか。三浦さんの話し方から、三浦さんは多分紅茶を飲むんだろう。

「嫌いでなかったらどうです?」

 三浦さんの指先がメニューを示す。四角くきれいに切られた爪の向く先は、紅茶の名前。三浦さんを見ると優しい顔。メニューを見直すと、やっぱり紅茶の名前。

 コーヒーもたくさん名前があるけれど、ブレンドが一番上だから選びやすくてわかりやすい。そういう俺には随分と、多すぎる。レギュラー、みたいなものがないとどれがどれやら。聞いたことある名前を選べばいいのかも知れないが、ケーキに合うのは全部の紅茶なのだろうか。

 コーヒーよりもなんだか種類がたくさんに思える。コーヒーはエスプレッソとか煎れ方で、豆から選ぶってのは無い訳じゃないけどしなくていいものが多くて。俺が飲むお茶はそもそも緑茶くらいで、気にはならないわけじゃないけれど難しい。

「紅茶、飲んだことなく、て」

 文字を一個ずつ追いかけてもわからない。基本的に自分だけでは食べる物と飲む物に頓着せず同じ物ばかりになる自覚はあるので、こういう機会でないと飲むことはないとは思うのだがどこから手をつければいいか。コーヒーもケーキとよく並ぶしそれでいい気もするのだ。ただ、ショートケーキと同じで紅茶も、遠い世界で。

「好き嫌いは多い方です?」

 優しく三浦さんが尋ねてくれる。なんだか優しすぎて自分にはもったいないくらいだけれど、三浦さんはそういう人だ。優しい声を頭の中でなぞりながら、文字を追う。

「特にないです。……いっぱい文字がありますね」

 好き嫌いの前の段階、だと思う。名前以外にも文章があるので追いかける。文字を読む時間を貰えればわかるかもしれない。でも、読むだけで終えてしまうような気もする。

 文章はやわらかい。優しい声が聞こえるような言葉選びだ。フォントは細めの丸ゴシックで、でも丸すぎて読みづらいってことはない。そういう文字の形に合うような、優しく一個ずつ語る文字。

「紅茶って色々あるんですけど、はじめてのひとでもわかりやすいようにって。簡単な案内ですね」

 なんとなく、納得した。きっと書いた人が丁寧に選んでいるんだと思う。俺みたいなわからない人間でも、一個ずつ追いかけると声が優しくて、読むことは難しくない。ただ俺は比べることが出来ないので、どれに似ている、とか、どういうのが好きなら、という言葉にうまく想像できないのがいけないんだろう。難しい。

 視界でメニューが揺れた。山田さんが三浦さんに差し出したのだ、とわかってようやく三浦さんがメニューを見られてなかったことに気づく。席に二つ分だったみたいで、後悔に首筋がざわつく。俺が、決められないから。そんな。

「すみません、えっと、俺、コーヒーにします。えっと、メニュー、」

「紅茶にしないんですか?」

 慌てているのがそのまま声にでる俺と違って、三浦さんは相変わらず穏やかで、すこし瞼を持ち上げて不思議そうに尋ねる表情はひょうきんだ。優しい、と思うけれど。でも多分、俺は。

「わからない、ので」

 見ていても結局、俺は俺がどういうのが好きで、どういう味なのか、それにどう感じるのかがわからなかった。ケーキに合う、というのもあるけれど、どれがどう違うのかわからない。多分、俺の内側が空っぽで足りなくて、それなら文字の優しさを追いかけたところでなにも決められないだろう。

 わかる人が見た方がいい、と思う。

「おいやでなければなにか試してみます? フルーティーなのとか、甘くておすすめですけど。香草苦手とか、そういうところからでもいいですよ。甘いのと渋いの、どっちが好きです?」

「えっと」

 三浦さんの言葉にやっぱりそれがなにか、自分にどうなのかわからなくて焦る。どうしよう。当たり前に、どれでもよかった。けれど選ぶ、となると、それは足りない。

 選んでみたい、とは、思うけれど。

「そういや横須賀さん普段なに飲みます? コーヒー?」

「お茶を」

 それは答えられる。でも当たり前かもしれない、と思っていると、三浦さんが笑いながら頷いた。

「ああ、麦茶とかですかね?」

「えっと、緑茶、です」

 お茶、というと緑茶しか出てこないのだけれど、麦茶と言われて少し不思議に思えた。麦茶を飲むことはほとんどなかった。お茶、と一言でも人によって違うのだ、というのは、当たり前なのに不可思議だ。言葉はそういうところがあると知っているけれど、なんだかこんな近くで感じると、少し面白い、気がする。

「アッサムティーとかは、渋みが好きな人に丁度いいと思いますよ。王道です。他にもあるけど、珍しいのとどっちが好きです?」

「ええと」

 どっち、を選ぶ基準がわからない。王道も珍しいのも、すごいな、と思う。でも、どれがいいかと言われると、

「アッサムなら生クリームに合うな」

 あっさりとした言葉は山田さんのものだった。アッサムなら生クリーム。ショートケーキは生クリーム、だ。少しだけなんだか文字がよく見えるようになる。山田さんが三浦さんに渡したメニューをもう一度手にしてページを開いた。

「俺はアールグレイ。柑橘系だし無難だろ。」

 アールグレイは柑橘系。山田さんの声を追って、文字をなぞり直す。確かにそう書いてある。山田さんはオレンジ、だったっけ。

「ま、コーヒーだって甘味には合う。好きに選べばいい」

 ぽん、と投げるような渡すような音は興味がないと言うようで、けれどもそっけないじゃなく、どっちでもいいと言うように聞こえた。好きに。選ぶのは苦手だけれど、ショートケーキと紅茶は随分と遠い世界で。

「……アッサムティー、のみたい、です」

 なんとか言葉を選んで息をつく。どうにもこういうことは慣れなくてくすぐったい。

「俺はダージリンにしますね。なんか軽食でも食べます?」

 三浦さんの言葉で、けいしょく、と音をなぞる。山田さんに聞いたのかな、と思って見たら顎を少し持ち上げた。その所作で、俺もだ、と気づく。

 さっきから同じことで変わらないんだけれど、なんだか本当、当たり前みたいに俺も聞かれるのが自然であたたかい。

「俺は、いいです」

「俺もいらねぇな」

 自分にとってはケーキが大きくてあまり考えられずに言うと、山田さんが続けて答えた。山田さんはお昼をゆっくり食べるし、あまり量はないからなんとなく自然に思えた。

 へにゃ、と三浦さんがすごく幸せそうに笑う。

「それじゃあ注文しちゃいますね。今度はご飯も食べに行きましょうか」

 今度。山田さんに言ったのかと思ったら山田さんは目をそらした。俺、だけじゃないと思う。三浦さんは特に返事を気にしないみたいで、色々おいしいとこ知ってるんですよぉとのんびりした声で言う。あったかい。

 三浦さんが注文してくれて、そのときストレートとかミルクとかの話もして。俺はストレートで試すことになった。どきどきする。少しそわそわもしているかもしれない。

「ほんとかわいいねー」

 ふと後ろから聞こえたのは女の人の声。ちょうど席に座ったみたいで、入り口でしかみれていなかった内装を改めて見渡す。不思議の国のアリスをモチーフにしている、と言っていた。鏡もあるし、鏡の国のアリスもかも知れない。ただ俺はあまり内容を知らないのでタイトルからの連想でしかないけれど。

「今ちょうどイベントで普段よりファンシーですけど、落ち着いてておすすめなんですよー」

 内装を目で追いかけていたら、楽しそうに三浦さんが声を出した。ふぁんしー。

「だから、人形、とか、色がたくさんなんですね」

 空想、とか想像以外に、装飾が凝っていることをいうんだっけか。そう思ってなんだか不思議な世界を言葉にする。

 三浦さんはずっと楽しそうだから、この場所が好きなのだろう。俺もすごいなあって思うから、三浦さんに伝わるといいな、と思って選んだ言葉はなんだか説明には足りない気がして、けれどうまくいえない。

「アリスモチーフですからね。妹ちゃんがご機嫌でした」

 それでも三浦さんは拾ってくれたみたいで、うんうんと頷いて幸せと甘さを一緒にしたみたいな笑顔を見せてくれた。この場所が好き、以上に、多分後半の妹ちゃん、のことなんだと思う。