台詞の空行

甘い一日(Side:横須賀) 1

 数を数えながら歯を磨く。いちにさんしご。頭の中を繰り返すリズムでひとつずつ。しゃかしゃかとした音は内側と外側で、煩いようで静か。十まで数えたらその次へ。決めたルールはほとんど考えずとも動いていく。

 はちきゅうじゅう。電子音が響いた。聞こえた音にびくりと体が強ばる。別に恐怖や怯えという理由はどこにもないどころか好ましい音なのだけれども、反射、みたいなものだ。部屋の中に音があまり無いせいか、突然響く音は体に電気を流すみたいな強制力がある。

 音の原因は通知音で、見ていないけれど多分グループメッセージの方だろう。あまり俺はやりとりする人がいないし、今日は約束があるから多分そう。なにか予定の変更があったのだろうか。わからないけれど急ぎの場合電話を使う人たちだ。それでもいつものリズムを崩し数えるペースを上げて歯磨きを急いで終わらせる。

 口をすすいで手を洗って、机の上に置きっぱなしだった携帯端末を手に取る。慌てて拭いたから少し手がしっとりしているので服の裾を一度握ってからスリープを解除。見ると通知が複数あったので少し焦る心地でグループを開いた。

『おはようございます。
今日の予定の確認をかねてご挨拶と連絡です!』

 山田さんの用件を見るより先に通知の一番古い物を確認すると、メッセージひとつで挨拶が送られていた。次いで時刻や集合場所、店の名前について並べたメッセージがひとつ分で送られている。急ぎの用件で無かったことに安堵の息を吐いて、文字を追う。

 三浦さんらしい、と言えばいいのだろうか。丁寧な言葉に感嘆符が明るい声を思い出させる文章は、それでいてなんとなく山田さんと似ているようにも思えた。

 二人の特徴と言うべきなのかそれともマナーなのかまではわからないけれども、まず一回目のメッセージで挨拶とすることが並ぶ。続けてもう一つのメッセージで用件が箇条書きで記されて、そのあとによろしくお願いします、とメッセージが分けられる。会話、用件、会話と区切られる表現は見返すときにわかりやすいので自分も使うが、ついつい色々言葉を重ねてしまうのでこんな見やすさはない。二人とも伝える人、という印象で、共通点を見つけるとなんでか少しだけ気持ちがふわりとする。嬉しい、のかもしれないが、なんで嬉しいかはわからないので、ふわり、くらいが丁度いいかもしれない。

 といってもふわふわしている訳にはいかない。手帳を開いて、メモした場所と時間に違いがないか確認する。そうしながら三浦さんの言葉のあとにある山田さんの『了解』の二文字に、なんとなく笑った。

 山田さんがスマートフォンを持つようになってからやりとりを交わすようになったこのグループメッセージは、手書きの文字とは別だけれども、でも平時の会話とはまた別の特徴が出る。たった二文字が山田さんらしくて、それでいて俺とのやりとりとは少し違うのも面白い、と思う。たとえば山田さんは、会話だったら必ず場所と時間を復唱する。文字で残る場合は、たまに言葉を変えて復唱するけれど絶対じゃない。普段直接会うからめったにしない俺とだけのやりとりの時は、わかったと送った後に気をつけろ、とか、あとで、という言葉が入るけれど、三浦さんとのグループチャットではさっきの了解、みたいなだいぶ短い言葉が主軸。三浦さんは俺のみや山田さんと俺のグループでも変わらなくて、よくスタンプという画像をいっぱい使う。それからさっきみたいに約束があるときは、時間と場所をグループメッセージを終える頃に復唱し直したりする。

 メモと変わりないことを確認したので、挨拶を入力。復唱するだけだから続けて場所と時間も打ち込んでしまう。よろしくお願いしますで文章を締める。一つのメッセージに入れ込むので切り替わりごとに改行。認識の齟齬が無いかの確認みたいなものなのだけれど、先の例を考えるとそれだけでも書き方が違うのは面白い、と思う。文字はそういうのが見やすくて、多分、好きだ。

 端末を手にしているのか、既読はすぐついた。それからまた通知。楽しみにしています、の一言と熊の画像は三浦さんらしい。三浦さんの部屋に言ったときに山田さんが言っていた熊と兎と犬のマークの意味は多分あっていたのだろう。三浦さんから送られる画像にはそれらが多い。微笑ましい、という単語が浮かんで、暖かい気持ちになる。

 多分これが会話の区切りだ。端末を机の上においたまま支度を続ける。休みに人と出かけるということは奇妙で、不可思議で、どうすればいいのかわからない。でもさほど困る気持ちはなかった。多分これは、楽しみ、だと思う。

(ケーキ屋さん)

 物語の遠い場所。きらきらして、人が嬉しそうに入る場所。馴染まない世界に行くことはあっさりと決まって、それは少し落ち着かないけれど。でも、多分だからこそ楽しみで。

 心から不思議だと思う。端末も、気持ちも、声も。それでもきっと当たり前で、お礼という形に自分がいる違和感はさほどなくて。ちょっとずるくて贅沢な気持ちは新鮮だった。