台詞の空行

甘い一日(Side:三浦) 3

 スムーズに席へ案内される。ちらりと横須賀さんはショーケースを見て、それから小さな歩幅で歩いた。店員さんの歩く速度は遅すぎず案内に適しているが、普段山田さんが足早だから気づきづらいけれども彼の足の長さだとそりゃそうなるという感じだろうか。山田さんが店員さんに速度を合わせるのはその背丈からむしろ自然だが、俺よりも背が高いしついでにいえば足の長さがモデルみたいにだいぶあるので余計だろう。

 ただそれがなんだかひょこひょこと愛嬌を見せるあたりが、なんというかモデルとかそういうものとだいぶ縁遠く見せてしまうのも彼らしさだとも思う。椅子に座りメニューを開いて、先ほどの仕切り直しとするように横須賀さんを覗き見る。

「飲み物どうします? 俺としてはここの紅茶おすすめなんですけど。席にきて入れてくれるんですよ、紅茶にこだわってるみたいでおいしいですし見ててなんかわくわくしますよ」

 ガキみたいな感想だが素直なものなので言葉を飾らずに伝える。横須賀さんはよくわかっていないのかきょとんとしており、山田さんはメニューをぱらりとめくった。

「嫌いでなかったらどうです?」

 メニューを眺めない横須賀さんにすっと指し示す。俺を見、メニューを見、しばらく文字を眺めた横須賀さんは困ったように顔を上げた。

「紅茶、飲んだことなく、て」

 そういいながらも、指先はメニューをなぞっている。飲みたくない、わけではなさそうだ。多分。

「好き嫌いは多い方です?」

「特にないです。……いっぱい文字がありますね」

 横須賀さんが考えるまま呟く言葉は、少し幼さがある。成人男性に失礼かも知れないが、経験したことのない不可思議をそのまま手のひらに乗せるような物言いは微笑ましい。つたない、でも、子供すぎる、でもない。もう少し白い幼さ。そうして拾い上げたものを賢明になぞろうとするのだから、彼は意外にも好奇心が強い人なのではないだろうか。

「紅茶って色々あるんですけど、はじめてのひとでもわかりやすいようにって。簡単な案内ですね」

 ここのメニューはどういう味か、フレーバーや渋みなどを数値にしたりしている。ミルクやストレートについても好みであるとした上で初心者用におすすめを書いたり、どういう茶葉なのかという説明もあるので読み物としてもおもしろい方だろう。

 横須賀さんは文字を追いかけながら、何度か指を動かしている。山田さんは決まったのかメニューを俺の方に無言で差し出したので受け取ると、あ、と横須賀さんが声を漏らした。

「すみません、えっと、俺、コーヒーにします。えっと、メニュー、」

「紅茶にしないんですか?」

 メニューをひとりで見てしまっていたことが申し訳ないのか丸くなる横須賀さんに、できるだけ穏やかに尋ねる。そんなに気にしなくてもいいのに、と思うのだが、そうなるにはまだまだ時間がいるだろうか。

「わからない、ので」

 ぽつ、と落ちた言葉に眉尻が下がるのを自覚した。なんだろう。この人はあんなに賢明に人の手を掴めるのに、選ぶことがどうにも苦手に見える。別に好きに試せばいい、と思うが、しかし文字だけで味を想像するのも難しいだろう。

「おいやでなければなにか試してみます? フルーティーなのとか、甘くておすすめですけど。香草苦手とか、そういうところからでもいいですよ。甘いのと渋いの、どっちが好きです?」

「えっと」

 その先が続かない。困らせるつもりはないが、せっかくの機会だ。勿体ないと思うのはこちらの勝手だとは思うけれども、あの指や目は興味を如実に語っていた。

「そういや横須賀さん普段なに飲みます? コーヒー?」

「お茶を」

 普段の飲み物についてはすぐに答えが返って安心する。山田さんに聞いたら水と答えられそうなので参考にならないが、それよりはよっぽどいい。

「ああ、麦茶とかですかね?」

「えっと、緑茶、です」

 お茶、というと俺は麦茶のほうなのだけれども、違ったらしい。訂正にふんふんと頷いて、渋みのあるものがいいだろうかとメニューをみる。王道でいうならアッサムティーか。はじめて、ならあんまり珍しくないものの方がいいかもしれない。

「アッサムティーとかは、渋みが好きな人に丁度いいと思いますよ。王道です。他にもあるけど、珍しいのとどっちが好きです?」

「ええと」

 どっち、と言われてまた横須賀さんが困った顔をする。あんまり全部こちらで選ぶのもと思うが、最初の一歩くらいはとお節介を焼きすぎだろうか。けれども試して気に入ったら、今度は自分で選ぶかも知れないし。次も同じものだとしても、気に入るものが出来たのならやっぱりすてきだし。

 コーヒーを選ぶことになったとしても、選べないから、という理由じゃなくてコーヒーを選ぶ、ならとてもすてきだ。――そう考えるとやはり選ばない横須賀さんが選んだショートケーキにつっこんでしまったのは反省すべきところだろう。気にした様子を見せないが、流石にちょっとあれはまずすぎた。

「アッサムなら生クリームに合うな」

 マイナスに向かいそうになる思考にするりと入り込む声を受けて顔をあげれば、山田さんが俺の手元に寄せたメニューをもう一度引き寄せたところだった。さきほど開いていたページを迷い無く開いて、とん、と指を置く。

「俺はアールグレイ。柑橘系だし無難だろ。」

 食べ物によって紅茶は相性がある。簡易で書いてあるが、さらっと言ってのけたその様から実感なのか、とも思えた。最初に訪れたときは水しか出さなかった人にしては随分と慣れている物言いだ。

「ま、コーヒーだって甘味には合う。好きに選べばいい」

「……アッサムティー、のみたい、です」

 山田さんの言葉に、横須賀さんが緊張した面もちで言葉を並べた。おずおずとした物言いに苦笑する気持ちを飲み込んで、自分もメニューをみる。

 山田さんはなんだかんだ面倒見が良い。俺みたいにお節介を焼きすぎるわけでもなく、どうする、と並べる慣れた調子は少し羨ましくもある。もっと身なりを変えたら印象が随分変わる人なのではないか、と思うが、まあ、山田さんの選択だ。

「俺はダージリンにしますね。なんか軽食でも食べます?」

 尋ねると横須賀さんがきょとりと瞬く。山田さんが促すように顎で示せば、あ、と声が漏れた。下がった眉と照れくさそうに細められた横須賀さんの表情は、なんだか随分ありがたそうに見える。

「俺は、いいです」

「俺もいらねぇな」

 横須賀さんの言葉の後に、山田さんがどうでも良さそうに続けた。どうでも良さそう、ではあるが確実に横須賀さんの返事を待ったものである。もしかすると横須賀さんが食べることを選んだら、山田さんも付き合ったのだろうか。それともやっぱりいらないのか――どちらにせよ、自分がいらないと言うことで横須賀さんが真似するのを止める為のようで、口の端がむずむずとしてしまう。

 だめだ、笑ってしまう。隠すより笑う方が自然だろう。

「それじゃあ注文しちゃいますね。今度はご飯も食べに行きましょうか」

 ぱちぱちと横須賀さんが瞬く。山田さんは眉間に皺を寄せてあからさまに顔を逸らした。目がサングラスで隠れているから、顔を動かすのは明らかに山田さんからの拒絶の意思表示で――でも、言葉じゃ否定されないことが愉快でもある。

 横須賀さんはある意味横須賀さんらしいというべきか、用事がなければ誘いに対して素直に頷くだろう。今首肯がないのは自分が誘われているのかどうかはっきりしていないからで、そのへんが少し厄介だけれども――たとえば山田さんが頷けば当たり前に頷くだろうし、なんというか素直だ。彼の場合は断ったときに祝うべきかも知れない。

 対して山田さんは拒絶がはっきりとしている。言葉でも態度でも。そのくせ約束は律儀に守るし、正直こういう場所を嫌がっても良いのに店内でイベントや食べ物、店についてのネガティブな発言を一切していないあたりがやけに真面目だ。なんとなく、この人には素直にぶつかればなんだかんだ付き合ってくれるのではないか、という予感もある。迷惑になる前に自身を守るし、その点横須賀さんよりも安心して誘いやすい。

 かといってそもそも俺がこの二人に関わる理由なんてもうないのだけれど――何度目かの自己追求を、目があった店員に笑むことで無しとする。

 友人と関わる理由なんて、自分がそうしたいから。それ以上にあるわけもない。友人なんていうと山田さんは顔を歪めそうだが、まあ、拒絶されなきゃ思うだけはタダってやつだし。

 そうしてお礼と言うには随分と自分に心地よすぎる一日は、やっぱり随分甘く、暖かだった。