台詞の空行

甘い一日(Side:三浦) 2

 * * *

 平時よりも随分とファンシーな彩りになっている店内に少し笑う。これはトモちゃんが喜ぶやつだ。あんまり子供っぽくても、とか言って綺麗系や辛口のお洒落を好んでいるけれど、トモちゃんはこういうわかりやすいやわらかい可愛いものが大好きで、うん、本当かわいい。

 完全に女性やカップル向けの演出ではあるが、別に男子禁制ではないので問題はない。そもそもここ、店長さんが可愛いもの好きなんだよな。ロマンスグレーなおじさまって感じだけれど、好きなものをすごく大事に演出される人だ。そんな訳で、男性も大歓迎、なんてイベント前にはよく声をかけられるし、イベントのときでも居心地はいい。

 といってもそれは自分がわかっているから、という点もあるかもしれない。席への案内を待つのにふと振り返れば、横須賀さんは不思議そうにあたりを見渡していた。

 切れ長の瞳が、きょと、きょときょととあちらで止まり、こちらで止まる。じっと一所を見て何度か瞬いたあとはまたその隣、するすると視線が動き、止まり、不可思議をそのまま表す態度に笑ってしまった。息が漏れるだけで声にはならなかったが慌てて口元を覆う。横須賀さんは特に気づいた様子もなく、見慣れぬ店内を眺め、時折人の笑い声に目を細めても見せた。

 自分も背が高い方だが、それよりも更に高い横須賀さんは正直に言えば随分と目立つ外見だと思う。けれどもそういうこまごまとした動きが柔らかい人柄を示しているようで、視界に入った他の客も笑みを浮かべていた。もちろん、悪い意味の笑いではない。

 微笑ましい心地のまま視線を山田さんに移すと、こちらは対照的に悪目立ち、といえる外見なのが際だつ。女性の平均よりも低い背丈はこじんまりとしているのに、伸びた背筋、オールバック、サングラス、黒いスーツはあまりにも威圧的だ。仕事でもないのにスーツですか、と流石につっこみはしたのだが、文句があるなら二人で行けなどと言われたので流石にそれ以上は言えなかった。まあ着るものなんて個人の自由だ。威圧的な風貌にもだいぶ慣れたとも言える。

 性別関係なく随分と悪い印象を与える外見なのでまあ緊張はされても仕方ない人だろうし、ある程度周囲に気を配っておく。山田さんはむやみに他人に干渉しないので他人がなにかしなければ問題ないし、腕を組んで立っているが不機嫌には見えない。視線がどこを見ているかはサングラスでわからないが、付き合ってくれているのは確かなのだ。それ以上の心配も失礼だろう。

「三名様の三浦様」

「はぁい」

 へら、と出来るだけ間延びしたのんきな声で返す。は、と肩を揺らした横須賀さんに笑いながら、店員さんのところに。元々顔見知りなのでいつものように笑いかけられ、見慣れない連れに視線が動いた。

「ショーケースにあるものが本日のケーキです。メニューは写真でも確認できますが、お席で選ばれますか? それとも先にショーケースで確認してケーキを注文されますか?」

「あー、えっと」

「ショーケースでお願いします」

 どうしようか、と考えていたところにかかった声は意外なもので、後ろを見ると山田さんが平然とした顔で立っていた。腕組みはといており、あいかわらず背筋がきれいに伸びている。

「わかりました、こちらです」

 元々ショーケースは待合い席からでも確認は出来るのだが、少し入らないと正面から見られないのでこうやって入るときに見て注文が決まったら先にお願いする、のは効率的だ。こういうイベントでは特にかわいいものがあるし。俺はいつも写真とメニューの補足さえ見ればわかるし山田さんたちがどうだろうと悩んだので山田さんの言葉は助かったのだが、ぱちぱちと瞬く横須賀さんを見上げる山田さんを見て笑ってしまった。

 なんとなく、理由が分かった。

「いろいろありますね、なににします? こっちが通常メニューで、こっちがイベントのです」

「えっと」

「決まらなかったら見ておいて、席で悩んでも大丈夫ですからね」

 ショーケースを眺める横須賀さんに声をかけて、自分はイベントの棚を眺める。基本的に甘いものを好んで食べるが、こういう時はイベントらしいものを楽しみたい。あとせっかくのアリスモチーフなのだしウサギがいい。アリス本人じゃないのはただ単純に、トモちゃんのイメージがウサギだからだ。犬もいればいいけれど流石にアリスでそれは聞かない。

「三月ウサギのタルトをひとつ」

 木イチゴとブルーベリー、ムースものったタルトはきっと甘味と酸味がいいぐあいってところだろう。トランプモチーフに、ウサギのクッキーが可愛い。写真にも映えるだろうから家族に写真を送るのにもうってつけだ。

 横須賀さんはイベントのショーケースを見ていない。山田さんはあまりショーケースに近づきすぎず、それでも人が通るのに邪魔にならないような距離で立っている。決められないのか、と不安に思うと、ちょうど山田さんが一歩ショーケースに近づいた。見ているのはイベント用でない常設のものだ。

「オレンジチョコレートをひとつ」

 とん、と落とされる声は平時の威圧的な調子よりも穏やかで、耳に馴染む。札をみるとチョコレートクリームにオレンジピールを入れたもので、季節の新作と書いてあった。ここは結構オレンジピールを好むみたいで、ひとつだけ新作を混ぜることがあるのでそれだろう。そういやまだ食べてないなそれ。

「え、と」

 つい眺めていたら横須賀さんが控えめに声を漏らした。元々低いだろう声が、のどがすぼまって少し高くなるような不思議な声色はよく横須賀さんが出す音だ。しかし、そこまで申し訳なさそうにする必要はないのになあと思いながら眺めると、ぎゅ、と横須賀さんは鞄の紐をつかんで顔を上げた。

「しょーと、けーきを」

「え」

 意を決したとでも言うような真剣な口調の言葉に、つい声を漏らしてしまう。慌てて口を押さえるがもう遅い。不安そうな横須賀さんの窺う視線とかち合う。

 背が大きいのにどうにものぞき込むような視線が横須賀さんらしく、しかし向けられた不安をどうとろうかと考えると申し訳なさで俺も背中が丸くなりそうだ。

「えっと、お金とか気にしないで、好きなの選んでいいんですよ?」

 俺が奢りってので気を使わせたのなら、とできるだけ穏やかに尋ねる。こういう場所で金銭について言うのは野暮だが気を使わせたくない方が優先されるし、ふざけてちゃかす相手でもない。横須賀さんは多分、そういうとき真剣に選ぶだろうから。

 横須賀さんは不安そうに見ていた瞳を一度そらし、しかしまた俺を見つめた。

「しょーとけーきが、いい、です」

 ごめんなさい。小さく呟かれたその言葉の意味を、多分俺は知ることが出来ない。やらかした、と冷える首筋と泳ぐ視線に自分で自分の残念さすら感じる。

「ええ、と」

「飲みモンはここで決めるのか」

 店員さんに注文したよりも少し落とした声色で、横柄に山田さんが言った。ぱち、と瞬く横須賀さんとつい視線を山田さんに向ける俺を山田さんは見ておらず、置かれたままのメニューを悠然と眺めている。

「こちらでおきまりでしたらこちらで。お時間かかるようでしたらお飲物はお席で決めても大丈夫ですよ」

「じゃあ席でお願いします」

 山田さんは表情を変えずに頷くと、店員さんがにこりと笑う。あ、と思いようやく息がこぼれた。

「かしこまりました。ケーキのご注文は三月ウサギのタルトひとつ、夜のオレンジチョコレートひとつ、ショートケーキひとつ。以上でよろしいでしょうか」

「はい」

「ケーキ以外にもお食事などございますので、追加がありましたらお席で窺います。こちらへどうぞ」