台詞の空行

甘い一日(Side:三浦) 1

 携帯端末から送られる文字は便利だと思う。相手の時間や都合に踏み込みすぎず、しかし反応を窺うことが出来るからだ。特にメッセージを読んだことが送った相手にもわかる今のシステムは便利で、画面の文字に笑む。

 既読が一件。少しして了解の二文字。今はちょうど時間に余裕があるのだろうか、と思いを馳せるのは好きな行為だ。端的な返事は効率を求める山田さんらしい。それでいて画像一つで済む返事を文字にするのも、山田さんらしい。あの人は余剰が少ない。

 さらに少しして既読がもう一件。それから通知音が鳴るまでは山田さんより時間があった。別に山田さんの入力速度が速いわけではなく(意外にも極々普通だと思う)、理由は少し長い文章でわかる。

 こちらが送った挨拶と場所、時間を復唱し、承知しました、よろしくお願いしますと続けた文字列はともすると堅苦しく思わせそうなのに、彼の顔が浮かぶからかどちらかというと微笑ましさを感じる。事務連絡だとか慇懃無礼と言うよりも、不慣れな中で精一杯向き合おうとする賢明さ。彼らしい、と思うが、もう少し肩の力を抜いて欲しいとも思う。

 二人の返信が揃ったので、楽しみにしています、の一言と、熊がハートマークを散らして喜んでいる画像を貼り付ける。アホ面が俺に似ている、というのはトモちゃんの言葉だが、ユウくんによると「可愛いって笑ってた」とのことなので癒し効果は保証されている、はずだ。ウチの弟妹は本当可愛い。

 歳上にこういったものを送っていいか、そもそも彼らとの関係はと考えると中々難しいところが実はあるのだが、山田さんは絵に言及しないし、横須賀さんも同じくなのでこうやってちょいちょい可愛い画像を送る。笑ってくれたら儲けものだ。

 でもまあ二人ともイメージできないなあ、なんて考えつつ、出来るだけ俺の間抜けさを出して壁を減らしたい、なんて魂胆もあったりして。山田さんはきっとお見通しな気がするけれど、思ったよりあの人は警戒しないでくれているからいいだろう。

 すごく不思議な縁だ、と、いつ考えても思う。奇妙な事件があって、俺は山田さんと横須賀さんを利用した立場だ。横須賀さんは多分わかっていなくて、山田さんは――そもそも山田さんが俺を利用していたので、おそらくお互い様だと思っている、はずだ。

 あの人は粗雑な言葉を選ぶ割に、なんというかどこか真面目、なんだと思う。真面目というと鼻で笑われるかも知れない。けれども、因果応報、すべての物事は巡っていく。そういう考え方で、自分が行うのなら相手が行ったことにどうこう言うのもおかしいと考えているようにも見えるのだ。

 ああいう、言ったら悪いが偏見たっぷりに言えば「ヤクザのような外見」をしているにも関わらず、自分だけが許されるという考え方が存在していない。他人はコントロールできない。ならば自分が選ぶ、というような確固たるスタンスは人を拒絶しているようで――その実そばにいるのが横須賀さんで、今、俺の誘いにも答えているのだから拒絶にはまったくもって足りていない。

 考えれば考えるほど、あの二人はひとりで完結し、立つ人たちなのではないか、と思ったりもする。横須賀さんは感謝するが、それは平時関わらないからこそ関わる幸福に頭を下げるようでもある。山田さんは利用するが、しかし頼らずすべてをその場所で終えてしまう。だからこそ俺は、『炭坑のカナリア』だと思った。自己犠牲という意味ではなく、進んだ先一人で死に、伝えるだけの存在。二人ともいびつで不安定で――けれどもこうしてメッセージを送り合うようになって、なんとなく安心もしている。

 多分、ひとりで完結してしまう人となりは変えようがない。けれども彼らは、互いを見ている。

 そう考えるとこの関係は、自分にしては踏み込みすぎているのではないか、と憂慮しなくもない。あの、もしかすると一人で終えてしまうのではないかと思えた山田さんに無理矢理約束をこぎつけた時の切迫感はもうないし、横須賀さんも安心したように笑っている現状がある。踏み込んで逆に失礼があるのでは、という不安はそりゃなくしきれないだろう。

 けれども、行動をしない理由にまでは持ち上がらない。横須賀さん相手だけでは躊躇いもするが、おそらく一線、はっきりと踏み込ませないだろう人がそこにいるから、かもしれない。

 山田太郎と横須賀一。奇妙な縁を、俺は手放そうとしなかった。