甘い一日 2
* * *
体を縮こまらせ、きょときょとと横須賀さんが当たりを見渡す。三浦さんも大きいが、横須賀さんはそれよりさらに大きい。その長身で悠然とした態度をとればそれなりに迫力はあるだろうが、なんとも小動物じみた動きはある意味で横須賀さんの強みでもあるだろう。その体躯で威圧感を無くすことができるのは、一種の才能だ。
「今ちょうどイベントで普段よりファンシーですけど、落ち着いてておすすめなんですよー」
落ち着かない様子の横須賀さんに、にこにこと三浦さんが笑って声をかけた。この人は長身を縮めはしないが、しかし顎ひげと筋肉質な体という外見の割に表情で穏和に見えるので可愛らしく飾り付けられた店内にもやけになじんだ。シンプルなショーケースに飾られる華やかな洋菓子、ポスターやバルーンの装飾、花の後ろにあるモダンな木目の色は言われてみると確かに落ち着いた本来の様子を感じられる。――といっても、アリスのお茶会をモチーフにした今はどうしてもレースやトランプ、動物の絵など賑やか可愛らしい印象の方が強くなるが。
三浦さんの言葉に横須賀さんは頷くと、ふぁんしー、と小さく復唱した。不思議そうに馴染まない言葉を視線と一緒に巡らせて、それからもう一度頷き直す。
「だから、人形、とか、色がたくさんなんですね」
「アリスモチーフですからね。妹ちゃんがご機嫌でした」
友人と行ったらしいと聞いてもいないのに説明する三浦さんは、あの部屋のまま弟妹にベタ惚れのようである。食事を邪魔しないように造花ではあるが机の上に飾られた花も時計ウサギの人形も、三浦さんの妹には好ましかったのだろう。頷く横須賀さんは三浦さんの笑顔につられるように笑っている。
「お待たせいたしました。ダージリンのお客様」
「あ、はい。俺です。有難うございます」
にこ、と笑んで三浦さんが手を上げる。目の前で紅茶を淹れる、というのも珍しい店だろう。淹れる所作から楽しめるのは随分と贅沢だ。
紅茶と一緒に菓子も注文したので、そのままテーブルに並べられる。三月ウサギのタルトと名付けられた菓子は、所謂ベリー系のタルトだ。木イチゴとブルーベリーはおそらくトランプをモチーフにしたもので、それらが積み上がった中央にはウサギのクッキーが立っている。洒落た形だ。
紅茶を飲んだことがない、と言った横須賀さんには話を聞いてアッサムティーを薦めた。別に珈琲やジュースでも良いだろうが本人が興味深そうにしていたので三浦さんが積極的に話を聞き出して、の結果である。といっても横須賀さんにはあまり好みがないようだったので、よく飲む緑茶は渋みがあるからというあっさりとした理由でミルクティーではなくストレート。それに、アッサムならショートケーキに合うだろう。
そう、ショートケーキ。横須賀さんが選んだのはイベントに関係する物ではなく、定番のケーキだった。といっても選べないから、というよりは、これだけは横須賀さんが望んだと言って良いだろう。
食べたことがない、という人物は逸見五月の周囲には居なく驚いたが――キラキラと小さな黒目を輝かせ、じっと見つめる表情は随分と眩しい。
しょーとけーきだ、と小さく零れた声に、店員が声に出さず笑ったのが分かった。三浦さんなんか弟を見るような目で見ているのでは、という態度で、なんとも奇妙な光景だと思いながら自分に差し出された紅茶に頭を下げる。
別に隠しきらなくて良いのだが山田太郎の体裁を保っているので、一応可愛すぎる物、は避けたつもりだ。生クリームは正直好きすぎるのでまだ少し手を出しづらい。そもそも甘味が久し振りすぎるので、舌が変わっている可能性も否めない。オレンジピールの入ったガトーショコラは聞いたことがあるが、チョコクリームで飾られたものははじめてで気になったのもあったし、これくらいならまあいいだろう、というなんとも惰性で選んだ基準だ。アールグレイに柑橘系は合うし、少し楽しみな心地も否定はしきれない。
店員に三浦さんが礼を言い、横須賀さんと一緒に頭だけ下げる。女性限定のイベントではないが、アリスモチーフの店内で男は浮いているだろうに随分と落ち着いた態度で受け入れられた。仕事だから当然とも言えるが、他の女性客も少しこちらを見ては穏やかに笑うだけでなんとものんびりとした場所だ、とも思う。
横須賀さんはケーキをまるで触れたら溶ける雪の結晶みたいに見守っているし、三浦さんは平和に笑っているので気にすることもないのかもしれない。こういった店に来なくなって随分立つが、逸見五月の時も確か男女で気にした覚えはなかった。そんなものだろう。
周りに煩くならない程度の声で三浦さんがいただきます、と呟き、横須賀さんもそれに倣う。こちらも続けば三浦さんが少しだけ不思議そうに顔を上げ、それからへらりと笑った。別にアンタに言った覚えはない、という言葉は内心で留めて、気付かないふりをする。
小さなフォークでケーキの端を切り分ける。一口よりも少し小さめになるようにして、そっと舌の上に乗せた。口に広がるオレンジの香りと、柔らかなスポンジとチョコクリーム。久し振りの甘味が脳にじわりと染み渡る。好みで言えばもう少し甘くてもいいが、所謂大人の味、とキャッチコピーが出るタイプだろう。
「食べないんです?」
手慣れた様子でタルトを食べる三浦さんが、横須賀さんに問いかける。小さなフォークは横須賀さんの手の中にあると更に小さく見える。じっとショートケーキを見ていた横須賀さんはええと、と困ったような声を漏らした。
「どうやって、たべようかな、って」
「ああー、慣れないとそうなりますよね。端っこからがお薦めかな? でもまあ、食べやすく食べれば良いんですよ。だいじょーぶですって」
にこにこと三浦さんが穏やかに言う。俺もおっこっちゃってますしねえとタルトからこぼれ落ちたブルーベリーをフォークで刺して笑う三浦さんに、横須賀さんはこくりと頷いて、ひどく神妙にフォークをショートケーキに伸ばした。
たかがショートケーキ、されどショートケーキ。多分横須賀さんにとって、これは随分特別なのだろう。
端っこだけ切り分けすぎたので、多分イチゴが入っていない。それを口に含んだ横須賀さんは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した後口元を押さえた。といっても、悪い意味ではないだろう。不思議そうな顔をしたまま飲み込んで、はふ、と息を吐く。
「あまい、です」
「甘いですねぇ。イチゴも一緒に食べると味が変わりますよー」
「え、あ、はい」
三浦さんの言葉に素直に従って、今度はイチゴもあるのを確認して切り分ける。大きな上背を丸めて丁寧に切り分け、横須賀さんはもう一度口に含んだ。
「あまくて、すっぱい、です」
「おいしいです?」
「おいしい、です」
へにゃ、と笑った顔は幸せそうで、三浦さんがつられて笑った。こちらも顔が緩みかけ、反射のように右頬だけ大げさに持ち上げる。普通に笑うよりかは軽薄な表情になるのだが、こちらを横目で見た三浦さんはやけににやにやとしていた。まあ、この人は都合良く見守るタイプだろう。あえて言及はしない。
「食べられるんですね」
それはこちらや三浦さんに向けた言葉ではない。不思議そうに、それでいてしみじみと横須賀さんはその言葉を噛みしめながら言った。当たり前のことをまるで奇跡みたいに、それでいて嘘ではないという実感を含んだ声はあまりにも無防備だ。
「そりゃ食いもんだからな。金さえありゃなんでも食えるさ」
は、と笑い捨てるように言えば、ぱち、ぱち、と横須賀さんが瞬きを繰り返す。それから元々下がっている眉を更に下げ、口元をもぞもぞと歪めた。
ひどく下手くそで、幸せそうな笑みだと思う。
「そうですね。おいしい、です」
「甘い物って幸せになれますしねえ。また今度誘っても良いです?」
しれっと次の約束をとりつけるあたり中々な手腕だろう。はい、と頷く横須賀さんに三浦さんがわーいと二十八には思えない大げさな喜びを示す。
俺は関係ねーぞ、と横から呟けば、あ、とやけに悲惨な声がして口を噤んだ。
「たおれちゃった」
「綺麗に食べるの難しいですよねえ。よくあります……」
悲しそうに呟く横須賀さんに、しみじみ、と三浦さんが実感を込めて同意する。先程の否定が流れたような実感を持ちながら、食えれば良いだろ、と雑に返して食事に専念する。元々食べながら話せるタイプではないのだ。
そういえば人と食事しないほうがいい、と日暮さんが言っていたのを思い出す。バレていたからなんだろうな、と思いながらも、久方ぶりのチョコレートケーキを舌で溶かした。
次は生クリーム系でもいいかもな、なんて思うあたり、随分と自分も平和な脳みそをしているのだろう。
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