台詞の空行

現在

甘い一日 1

 終わったという理解は久しぶりに浸かった湯船の暖かさだとか睡眠の深さだとかで実感となった。薄ら寒いような恐ろしい可能性に至らなかったことに感謝と、自身の恵まれた環境に頭を下げるしかできない結果。そういうものが、四肢を巡る。

 なにもかもが解決したわけではなく、横須賀さんに関してはこちらが諦めるだろうという想定があったにしても歓迎できるものではないことだってあった。人は他人を理解しきることが出来ないのだから、他人の行動に絶対は存在しない。そんなこと、あの人だってわかっているだろう。もし、山田太郎が横須賀一を選ばず逸見五月の妄執に固執したら、という想像を横須賀さんがしなかったとは考えにくい。

 そもそも逸見五月が死に、山田太郎という皮の内側には決意しかなかった。嘘も犠牲もすべて身に降りかかっていい、未来のない存在が山田太郎だ。だから、山田太郎の相棒を切り捨てる可能性だって、あった。たぶん横須賀さんはその瞬間、あの脅す行為を本当にしたのではないかと思う。嫌な想像だ。けれども彼は、山田太郎が過ちを起こさないための準備だけを周到にしながら、彼を守る一手は山田が自身を選ぶ信頼しか残さなかった。

 まるでそこで求められなければ仕方ないというような選択は、招いた原因が山田太郎だとしても肯定できない。選ぶはずだと信じられることは喜ばしいはずなのに、もう一歩、足りていないのだ彼は。

 切り捨てなかった安堵と、ようやく見えだした横須賀一の自己肯定感への好意を持ちながら、その危うさを忘れてはいけないとも思う。自身の罪であり、彼の罪だ。終わった今罰を受けることはないが、どちらも肯定できるものではない。

 髪をゆるりと梳きながら、沈む思考から浮上する。原因が消えた今、自身の性別を詐称する必要はない。だからこそ以前のような神経質さはなく、起きてすぐのサングラスだとか見目の整えばかりを優先する必要も無くなった。それでも、逸見として生きるには今の生活が馴染みすぎている。

 もともと柔らかい髪をポマードとワックスでがっちりと固める。髪型というのはだいぶその人となりが出ると思う。昔は長い髪を丁寧に三つ編みにしていた。柔らかいのでうまくまとめないと見目が悪く、朝早く起きてはゆっくりと梳いていた。面倒という気持ちはあまりなくて、けれども自分で出来るのに休日に母に結んでもらうようなことを好んでいたのも覚えている。母が丁寧に髪を梳き、逸見五月の語る言葉にくすくすと微笑みながらするすると編み上げる。自分より随分綺麗に手早くなされるのは魔法のようで、けれどももっとゆっくりでもいいな、なんて思ってもいた。あの手と声にふれられる時間は特別なご褒美のように考えていた節があり、中学三年生になっても休みにねだる娘に、母はいつも笑って櫛を持っていた。綺麗な髪ね、と褒めてもらえるたび、いつものことなのに何度だって嬉しかったのを覚えている。

 残ったのは髪質だけで、そんな時間はもう夢よりも遠い。けれども確実に存在した過去で、昔の面影のない自分が鏡の中で笑う表情は、嘆きとも自嘲とも違う。なんだかんだ、この二十年以上の時間は自分を随分変えて、それでいて厭うものばかりでもない。

 放っておくとおそらく穏和に見えてしまうだろう眉をつりあげた形に整える。最初の頃は中々こういったものを準備するのにためらったが、今は男でも化粧をするから気楽だ。――とはいっても、やはりコーナーを見て回るには目立つので竜郎さんに頼んでいるのが現状だが。

 アイロンのかかったワイシャツ、赤いネクタイ、喪服。男は喪服もビジネススーツもさほど違いがないのが便利だと思う。おかげでネクタイさえ変えれば調査の時葬式会場にまぎれやすい。コートを取り出すにはまだ早いのでジャケットを羽織るだけで良しとする。時計を見ても、まだ余裕があった。携帯端末に手を伸ばす。

 死ぬときは、なにもかも繋がりがない方がいい。そういって避けていたものをこうして手にしていることに、奇妙な感慨がある。スマートフォン、という携帯端末は電話と言うよりも小さなタブレットPCのようだ。ラインといってメッセージを送りあうソフトがあり、写真も動画も送れる。既読、という表示も中々便利なものだと思う。竜郎さんが使っていたし調査でも見ることがあったものの馴染みのなかったものは、竜郎さんから送られる小さなメッセージの意味を持つイラスト(スタンプ、というらしい)や花の写真、お酒の写真ですぐに慣れざる得なかった。山田太郎には可愛すぎるイラストは多分竜郎さんの趣味でありながら逸見五月が喜ぶと思ってのものでもあるだろう。そう思うと賑やかな画面が愛しいとも思う。迷惑をかけて、それでも許してくれて、こうして今も友人としていられることに感謝しかない。次いで連絡が多いのは横須賀さん――となりそうなものだが、意外にも別の人間だ。

 ポロン、とした小さな着信音にタブレットを指で撫でる。通知に触れて開くのは横須賀さんと三浦さんのグループだ。奇妙な縁だ、と思いながらも三浦さんから来た挨拶と時刻、集合場所の確認に了解とだけ返す。

「にっしてもケーキ、ねぇ」

 甘味を食べなくなってもう二十年以上経つ。意図して避けてきたもののひとつでもあった。苦手なもので山田太郎がぶれないように努力することはさほど難しくなかったが、逸見五月が好むものはできるだけ避けた。人の感情を理性で律しきれると考えるのは愚だ。それでも苦手なものなら顔をしかめるだけですむ。歯を食いしばることも難しくない。ただ、好意というものが不意に零れてしまった場合は別だ。山田太郎にその表情は似合わない。

 どんなに過去を嘆こうが人が死のうが悔いようが、人間はマイナスだけで成り立たない。傷つかない人間がいないように悲しみだけに浸るような人間もいないのだ。感情は波で存在する。だからこそ、好むものはすべて避けてきた。山田太郎に気の抜けた顔は似合わない。

 ――ただ、それはこれまでの話だ。山田太郎として生きる中で逸見五月を殺さなくても良いし、バレてもなんら問題はない。公言はしないが隠しきる必要もない。ただ探偵事務所をやっていくのに横須賀さんと逸見五月ではあまりに見栄えがよくないのも事実だ。今更あの平和きわまりない面構えに戻ることはないが、それでも山田太郎のガワを無くしてしまえばこのあまり良くない体格が目立つだろう。無理に隠しはしないが戻るつもりもないのが現状で、だからケーキを食べるのも別にいいか、という適当な判断だった。

(多分断られるかもくらいは思ってただろうがな)

 三浦さんの驚いた様子は、その表情だけでなく所作からもよくわかった。おそらく平時は大げさな感情表現を選んでいる人だろうとわかりはするが、中々愉快な反応ではあったと思う。

 通知音に再び画面を見る。場所と日時を復唱し、承知しました、よろしくお願いしますと続けているのは横須賀さんらしいマメさだろう。悪い意味ではない。返信代わりの画像が三浦さんから送られてくる。この人もこの人でやけに可愛らしい画像を送ってくるが、竜郎さんと違いどちらかというとこちらの警戒心を無くそうとする努力なのだろう。あまりまだ知っているとはいいがたいが、三浦さんは賢い人だ。

 だからこそ驚いた後、ああ、と納得の声を漏らしたのだろう。

(いや、賢さは関係ないな)

 好意的な解釈をする人間なら当然のことだ。三浦さんや深山さんたちを山田太郎は切り捨てようとしたのにこれだけ懐く相手なのだから下手に理由を探る方が無粋である。小さくこぼれ落ちた笑いの音は随分と楽しげで、ああ、と内心で息を吐く。

 それでいいと思える程度には、多くが終わったのだ。