台詞の空行

1-3-13)回り巡って

 * * *

「よくわかんねーんだけど」

 ストローから口をはなして、不服そうに矢来が言った。横須賀は両手で持っていたコップを机に戻すと、首を傾げながら手前に置いていたペンとメモにふれる。矢来はそれを止めるように片手を横に振ると、少々大仰に足を組み替えた。

「板垣の警察沙汰が終わった、俺の担当だった中山さんの問題もとりあえず落ち着いた。富泥野泥神伝説の異説が、分魂だった神様を元の場所――百戸森に戻して元の土地神を祀る形になったあたりなんかは、記事としてこっちには書きやすい形になった。そこまではいいけど、結局どーなってんのかわかんねーの」

 ぱち、ぱち、と横須賀が言葉を咀嚼するように瞬く。飲食をながらですることになれていない為横須賀のコップにはまだ飲み物がなみなみと残っており、対する矢来は半分程度、そしてそれを見守る板垣のコップは、既に氷が顔を出していた。ほとんどストローに口をつけたまま黙する板垣は、話は聞くものの口を挟もうとしない。

 ゆっくりと言葉をかみ砕いて、結局横須賀はまた首を傾げた。横須賀自身、そもそもよくわかっていないことが多い。山田の仕事について、山田はあの日の事件以降丁寧に説明するようになった。それでも理解の及ばない範囲を理解するということは違う。

 あくまでなぜその手段を用い、これからどうするか。そうしたことを一つずつ横須賀は知っていくが、かといって矢来のような曖昧な疑問に答えられるほどなにかを持っているわけでもない。

 すっとぼけているというにはあまりにも素で不思議そうにする横須賀に、矢来が指を一本立てる。

「あの話せないおチビちゃんはなんだった? 知ってただろアンタ達」

「おチビちゃん……えっと、妹さんです。お兄さんから、探してきてって言われたので、知ってました」

 矢来が出版社で働き、ともすれば記事を書くことがあると聞いても山田はさほど警戒しなかった。屋代家の事件を記事にする気はないという言葉を信じたからかどうかはわからない。名前や詳細は教えないようにと言われたが、概要はあの場所にいたのだから知ってもかまわないだろうというのが山田の判断だった。

 どういうものが問題かどうか、横須賀にはわからない。だからこそ横須賀は素直に答えるだけだったのだが、その言葉に矢来は眉間のちょうど真ん中を親指の腹で押した。

 そうしてから響いたのは極大のため息だ。

「あったらしいモンでてきたァ……」

 うめき声に続いて、ずぞぞ、ともう残り少なくなったジュースをすする音が響いた。響かせた板垣はほんの少し憐憫の目をしていたが、それ以上関わる気はないのかからころと氷を鳴らせるにとどめている。

 カラオケボックスと言う閉鎖空間なので人は来ない。フリードリンクなので飲み物を取りに行けばいいのだが、あくまで板垣はからころと氷を溶かすだけだった。

「山田太郎案件面倒じゃねぇか? どこまであいつの手のひらなんだわかっててきたのか? 特集組めるじゃんコレ……」

「組んじゃうん、ですか?」

「組まねぇよ……元々事件になりすぎるモノは扱わねぇのもあるけど、未成年絡めたら完全にオサワリ禁止案件だし、そもそも記事じゃなくて好奇心で聞こうってだけだったから関係ないけどでもこれ聞いちゃまずいだろ……偶然じゃないとは思ってたけどおにーちゃんとか依頼者そっちになるのか、そこまで未成年かよ……」

 ぐうう、と矢来が呻く。どちらかというと飄々とマイペースに思えていたが、未成年ということがよほど大きな問題だったようで矢来は渋い顔をしていた。

 好奇心と倫理で言えば、矢来はそこまで倫理観が強い人間ではない。が、とも子供となると面倒というのが矢来の主義だった。記事にするしない関わらず、知りすぎれば場合によっては知は広がってしまう。そういうとき、子供と大人では受け止められる情報量が違うと矢来は考えている。大人ならいいのか、といえばいいだろ、といってしまう程度に雑な矢来だが、どこまで知るかという点で言えばブレーキがかかる現状に呻くしかできないのが正しかった。

 矢来の事情を知らない横須賀は不思議そうに首を傾げたままだったが、知っている板垣は遠い目をして友人の好奇心に内心で合掌をする。ちなみに板垣は人に関わること自体がそもそも面倒なタイプなので、大人子供関係なく好奇心で踏み込む根性はひとかけらもない。結局のところ二人とも情報のためになにかを成すほどの信念を持ち得ていないのだ。

「……屋代家で見たあの小屋にあったのってなに。なんかの祭壇っぽかったけど」

 さきほど立てていた人差し指に中指を追加して矢来が尋ねる。少し語調に覇気がないのを不思議そうにしながら、えっと、と横須賀は思い出すように視線を少しさまよわせた。

「なんなのかはわからない、です。ただなにかしようとしていて、それがよくないことだと危ないから、でした。細かいことは特例隊の方がわかるかと」

 祭壇、と言うことは間違いではないだろう。泥神に関係する儀式を行うもので、特例隊が調べるならそれでいいと山田はしていた。山田は儀式について、細かく残そうとしないきらいがある。それが誰かのきっかけになりえることが恐ろしいのだと、ふとした合間に漏らしていた。兄といとこ、そして母の突然の変化を経験した山田にとって、情報は必要な武器でありながら凶器なのだと、ぼんやり横須賀も思っている。

 情報がどこにあるか、調べるための端切れは残す。けれども、それだけだ。だから横須賀の答えはそれですべてだった。

 三本目の指が立てられる。

「屋代家ではなにがあったの」

「? なにもなかった、です」

 矢来の言葉に二度瞬いた後、横須賀はゆっくりと答えた。なにかがありそうになった。けれども、それが事前に終わった。よかったことだと横須賀は神妙に頷く。

「……そーなるよなぁ」

 ため息をついた後、わかってた、と言うように矢来がぐしゃぐしゃと頭を掻いた。山田のようにきっちりとしたタイプではないとは言え、後ろに撫でつけるようなオールバックが雑に乱れる。板垣のコップの中でずぞ、ともう氷の溶けた部分しか吸いようがないストローが音を立てた。

「板垣の件と屋代家の件は繋がってンだと思ってるんだよ俺」

 横須賀は頷かず、首も傾げなかった。じっと見つめてくる黒点のような瞳を視界のはしに入れながら、矢来は炭酸の抜けたジュースに口を付ける。

 三口分で口内を湿らせると、は、と短く息を吐いた。

「板垣の話を聞くに、特例隊の方でなにか元々つかんでた情報があったんだと思う。それで警戒していて、板垣に自宅待機を促した。元々特例隊の人数は少なくて、そういう中で屋代家に向かった。屋代家は一応事件が大事になる前に終わっていたのに、だ。急いで特例隊が向かわなくてもいい。特例隊は人数が少ないし別のところに頼むか、一人代表でいいってところなのに、向かったのは二人。佐藤から確認してるからこれは間違いないと思う。じゃあ、板垣の事件よりも大きい問題があったか、もしくは向こうでは同件扱いか」

 つらつらと並べられる言葉は山田から聞いた言葉とあまり違いがなかった。そもそも田中が泥神に関係していることからもそれらは確かもある。といっても、だからといってどうとなることではないのも確かだった。実際矢来は、特例隊の仕事に踏み込む気はないと言う。叔父である日暮雨彦の迷惑になることを、矢来は好んでいない。

「田中はまあ板垣がなんとかするしどうでもいーけどさァ」

「俺がどうこうできるモンでもねぇけど」

「連絡先ようやっと聞いたんだろ」

「……おう」

 板垣の視線が泳ぐ。板垣と田中の関係について矢来は知っていたが、あくまで「田中」であり「田中花」と認識はしていなかったらしい。そして事件の後名前を聞いても、いや、だからこそ矢来はその件については深くつっこみはしなかった。