台詞の空行

1-3-12)似たもの同士

 依頼人が案じたのは、自身よりも目の前の女性だ。それが恋慕からだとか友愛からだとかはどうでもよく、ただ人の目が既にあった事実がある。

 山田自身、恵まれていた。いとこであり友人でありすべてを知っている太宰竜郎、両親の担当医だった縁から無理を聞いてくれた飯塚いいづか先生、気づきながらも黙して過ちを犯さないか見極め続け、元クラスメイトというだけなのにあの日をまだ覚えている日暮雨彦。自分にとって場合によっては邪魔だとすら身勝手に思うような人の目で、自分が思った以上に救われていた。

 自分がそうだったから、で押しつけるのも身勝手な暴力だが、しかし不安になりながらも大丈夫と繰り返す人間の縁を無くそうとは思えない。

 結局人は、身勝手に思いを重ねる。

「貴方の大丈夫に、大丈夫と言い重ねるには足りない。田中花を見ている人間がいて、そいつを見る人間もいる。田中花を見ている側に目を増やすよりも効率的だから、こちらの勝手な提案だ」

 ぱちくり、と田中が瞬く。警察は屋代家を知っている、と再度山田は繰り返し、山田はもう一度木工細工を差し出す。

「リスクを放置するつもりがないから警察は動いているんだろう。アンタには確実にその目が入るだろうし、けどそれだけでおしまいにならない。壷に声を馴染ませる型は、同時に壷を壷として繰り返すためのものでもあった。山のモンを食べた、なんて説があるのに、壷が百戸森に戻らなかったことも含めて多少は変わるだろう」

「アタシは最期には、戻るよ」

「最期になる前に最期を案じる時間だけでも減るかもしれないだろ」

 静かな宣言に、山田は微苦笑で返した。四〇パーセント。それらが突然戻ることになった、と山田は考えている。病院にいたのは板垣の話では田中花だけ。どんな理由があってその場所にすべてが集まったのかはわからないが、自分が分け与えたものをまだ有していた動物が目の前で死んだのは事実だろう。泥が内側から出てくる、その姿を見た田中が自身の将来を案じなかったかどうか、という話だ。

 そのとき自分がそうならなかったのも不思議なくらい、それらはすべてに起こりえたのではないだろうか。勝手な予想は、これまでの田中の様子と重なる。

 自分の意志とは関係なく、それが唐突に訪れるかもしれないこと。それがなにを起こすかわからないこと。信仰は死を凌駕することがままあるが、田中は田中花であることを望んでいるのだ。

「山田は、変だね」

 のびた手に木工細工を乗せたところで、田中がため息と一緒に呟いた。片眉をあげて見せる山田に、変だよ、ともう一度重ねる。

「山田は泥神様を信仰していない、よね。多分」

「多分もなにも、私はそういうモノを持ち合わせてないので」

「でも、信じてる」

 続いた小さな呟きに、山田は眉間にしわを寄せて見せた。否定はしない。が、肯定するにはまだその言葉への理解が足りない。

「知ってる、よりもうちょっと、違うよね。信じてる。それが、変。信仰はしないけど荒唐無稽な嘘だとは思っていない。あり得ることを知っているけど、知っているだけじゃなくて、なんだろ。不思議だな山田は」

 繰り返す田中に、山田は目を伏せた。サングラスの奥、その表情は田中に見えない。

 知っている。それは、見たことを否定するには足りないからだ。人が関わり、翻弄される。その事実を捨てることはない。そうしてしまえば過去の事件すらどうすればいいのかわからなくなる。あり得ないと言って切り捨てることは、今を見つめるには足りない。

 信じる、という言葉はポジティブに感じられて、頷くことは難しく思えた。同時に、田中の言葉は奇妙にも正しかった。

 見知ったことが新たな事実で別のモノになることを知っている。それでも同時に、信じてしまっているのだ。見知ったこと、繰り返されたことがおそらくまた繰り返されること。そこに信仰があるのならば、ある程度の意図が介在すること。そうでなければ山田は関われない。だからこそ、意味があることを信じてしまっている。

 信仰はせずとも、その信仰で成り立つだろう物事があることを山田が前提としているのは、確かなことだった。

「その人がよければ、紹介してもらってもいいかな」

「確認はしてみますよ」

 そっけない山田の言葉に、ありがと、と田中は笑んだ。なにかを飲み込むようなそれを指摘せず、山田は横須賀から受け取っていたメモ帳を取り出した。

 白いマフラー、板垣の言葉、様子。田中の表情の機微。読んだ情報は最初と何ら変わらない。

 土蔵は多くを知らなかったし、知ることを望まれなかった。知っていた住職が土蔵を止めた理由は、以前横須賀に答えたようにわからない。ただ情報が増えた今、たとえば屋代家が通じてただろうこと、泥神と壷のこと、百戸森に戻ること――いくらかのことから、そうでなければ壷が成り立たず、土蔵の知を促す理由になってしまうことが予想できる。

 言ってしまえば住職は変わらないことでそのままよしとした。山田はよしとしなかった。それらがぐるりと巡って、今、田中がある。

 田中と土蔵を繋ぐことはある一点で不義理かもしれない。以前の依頼人である建造がどう考えるか――答えはないが、しかしある一点では可能性だった。

 呑み壷から山のモノと言われる富泥野の土地神を解放すること、そのための準備はなされている。壷は泥神の一部で、しかし百戸森に戻すかというと別だ。泥神が土地神を食べたというには、壷は壷で中は別だった。氏神の社を作り直す際に、壷は利用される。氏子ではなく土蔵家が壷を引き継いだのは、それらがすべてでもあったとのことで、だからそれでしまいなのだろう。田中は人だ。故に、土蔵に繋ぐのは木工細工との縁でしかない。声をしみこませ、思いをしみこませ、泥がただの泥ではなく意志を持つための場所があの家だった。

「山田はどこまでわかってる?」

 最初の問いと似たような、それでいていくばくか違う問いを田中がこぼした。山田は肩をすくめて、どうでもよさそうに息を吐く。

「さあ? ほとんどなにもわかっちゃいないかもしれませんね。とりあえずの行動くらいですよ私にできるのは。言えるのは、依頼人が貴方の安全を案じてること、くらいですかね」

 ふ、と田中が笑った。それまでのどうしようもなさよりも眉を下げて笑う顔は、田中に馴染んでいた。

「板垣は大丈夫だよ」

 はっきりとした言葉だ。なげやりとも、それだけとも違う。眉を下げたまま田中は息を吐いた。

「いいやつばっかでこまるなぁ」

 夜に溶けるようなしみじみとした言葉だ。それに対する返事にしては素っ気ない、鼻を鳴らす音が響く。

「似たもの同士が群れてるんですかね」

「はは、」

 山田の言葉に田中は破顔した。それから山田を見、にやりと笑う。

「アンタも群れのひとりだよ」

「そりゃそれなりに善人ではありますよ?」

 田中の指摘に山田は口角をつり上げて返した。片頬だけ歪めたような笑い方は、皮肉や揶揄を思わせる。それでも田中はおかしそうに笑った。

「どーしようもないなぁ」

 言葉は変わらない事実であり、田中の手の内で木工細工がくるりと回った。