1-3-14)結局の関係
「そういや、連絡先と言えば横須賀さんは鈴木さんと結局あれきりなの」
「はい。ご連絡はないです」
矢来の言葉に横須賀はあっさりと頷いた。屋代家から離れる前に鈴木から連絡先を聞かれており名刺を渡したが、事務所に連絡は未だに無い。連絡することが無いのはよいことだとすら横須賀は考えている。山田探偵事務所が必要になるということは、それなりに鈴木に問題があったときになるからだ。
「……事務所だもんなァ」
「事務所じゃ、まぁな」
矢来と板垣がなにやらしみじみと頷きあうのを見て、とりあえず、というように横須賀は笑った。連絡がないのはいいことだという点を否定するような言葉ではないが、しかしなにか含みがある、とは思う。思うが、それ以上はわからないのでとりあえず笑っておく程度に横須賀は留めた。
「俺はあの場にいた全員に連絡先伝えたけど、特におもしろい話はないね。佐藤から経過は届いてるけど、それは事務所にも来てんでしょ」
「あ、はい。佐藤さんからは届いています」
佐藤のメールにて鈴木の様子も記載されていた。だからこそ鈴木個人の連絡が無いことは当然だと思え、横須賀は一人で小さく頷く。矢来と板垣が目配せしたのは見て取りつつ、それ以上言及がないので横須賀はほとんど減っていないコップをもう一度両手で抱え持った。ストローをくわえてようやく二口飲み込んだだけなのでやはりほとんど減らないのだが、炭酸の抜けた甘い緑の水を特に気にせず机に戻す。
「とりあえず山田太郎と繋がれたのはラッキーかな」
「珍しいな」
矢来の呟きに対し、板垣はようやくストローから口を離して言葉を差し込んだ。先ほどまで丸めていた体を伸ばしながら矢来を見る板垣に、矢来は肩を竦める。
「記事にならなくなる可能性あるから避けてたけど、うまくいけば情報と繋がるだろ。依頼する場合は面倒になるけどちょっとした聞き込みとか、目印以上にはなりそうだし」
「でもお前そもそも記者の真似事そんな好きじゃなかっただろ」
あくまで俺たちは編集者だ。そう板垣も矢来も横須賀に告げていた。雑誌の特性上真似事はするが、記者とは違う、と。だからこそ板垣の指摘はもっともで、矢来は頭を掻いた。
「記事を使う方向性、寄稿文を生かすにも構成的にも知っとくのがいいかなと思って。どうにも特色強いのに使いこなせてねぇから先輩達の下っ端じゃん。俺たちにも武器があった方が後々仕事が増えるしお前の目的にもちょうどいいだろ」
「確かにそりゃな。そういう面で言えば、山田太郎案件で没にしない部分とかコアな方向でも使えるものが増えるのはそりゃいいさ」
「目的?」
納得したように頷く板垣に、横須賀は不思議そうに矢来が言った言葉を復唱した。ああ、と板垣が声を出す。
「男の浪漫ってやつ。コアな雑誌を創刊したいんだよ」
「オリーブ出版は版数少ないのにうまくやりくりしてっからさ。同人と商業の間くらいのやつ? そういうのやりたいんだと。商業にしてはニッチだけれど、同人にしては広がってる感じで。
あ、同人っつっても薄い方じゃなくて文豪センセーたちがやらかしてた時代の方な。薄い方でもいいけど。いやまあどっちも同じか?」
「なんかどっかから怒られそうなくくりだけどそもそも薄い言っても伝わんねーぞ」
「マジかァ」
とんとん拍子で会話が繋がるのを聞きながら、頷くとも頷かないともいいがたい半端な動きで横須賀は首をちょこちょこと動かした。ふんふんと聞いているのが伝わるだけの動きではあるが、雑誌の創刊、ということが非常に楽しげなことにつられるように横須賀の表情が穏やかである為、聞くのを楽しんでいることは二人にも伝わった。
「ま、結局今回俺は部外者だったけど、山田太郎があーなのわかったのはよかったな。意外と話せる奴っつーか、そこそこ面倒じゃなさそう。手のひらなのはシャクだけど」
「前見たときはもっとピリピリした印象っつーか、話す隙もないかんじだった割にだいぶマシだったよな。横須賀の上司だからあんまきつそうじゃなくてよかったわ」
以前の山田がどうだったのか、詳しく横須賀は知り得ない。けれども確かに例の事件前と後では山田の言葉選びや態度がだいぶ変わったのは確かだった。対人交渉がしやすい山田太郎として生きていくことを選んだものの、バレてはいけないという制約がなくなったことが理由の一つだろう。取捨選択はする。それでも、出来ることはずいぶんと増えた、ように思う。
頷きはせずに二人を見ていた横須賀に、板垣が視線を投げる。
「とはいえ横須賀にとってどうかもあるよな。それなりにうまくやってるっぽいけど、へーきか?」
「へーき?」
「無茶してないか、させられてないか、不満はないか、不安はないか」
それまでよりもまっすぐ自身を見上げる板垣に、横須賀はやはり頷かなかった。山田は道理から外れることを好まないが、するかしないかというと絶対ではない。なにより過去の事件では、横須賀自身道理を外れる選択をとった。少女の首に添えた手のひらの恐ろしいざわつくあの感覚を、忘れることは出来ない。不安は同時に存在する。過去の事件も、先日の件も。不安を感じないことのほうが、恐ろしいように思う。不満だってある。山田が一人で無理をすることがあれば好ましいと思わないし、土蔵の件などは置いていこうとしていた。だからどれもないとは言えない。平気か、という言葉がそれらを元にするなら、平気ではない。けれども。
「働きたい、から」
山田の元で、横須賀は働きたい。山田太郎の選択を見、使われ、手伝いたい。自身がいなければ、と言いきれるほど横須賀は横須賀の能力を肯定しきれないが、しかし同時に、自身がいれば便利だと宣言できる程度には、横須賀は横須賀の能力を知ることが出来た。
板垣の目が少し見開かれ、逆に矢来はそののっぺりとした瞳を楽しそうに和らげた。
「ま、アンタが事務所で働いてればよけい都合はつきそうだな。いい武器じゃん」
「武器じゃねぇよ」
矢来の言葉を受け、板垣が呆れたように矢来を小突く。矢来は気にしないようで、少し人が悪いような笑みをにやりと浮かべて横須賀を見た。
「いーじゃんなぁ武器。そっちもうまくすりゃツテが増えて便利だろうしお互いWIN−WINでいいだろ。俺は仕事がうまくいけばオイシイ出会いが増えるし便乗。そっちも武器にしていいからさ」
ただし俺たちはペーパーナイフくらいだろうけど、と続いた言葉に横須賀は首を傾げかけ――それから眉を下げて、視線を泳がせた。板垣と矢来が横須賀を見上げ、待つ。
「んだよ、言いたいことあるなら考えなくていーって言っただろ」
板垣が少し拗ねたように言葉を投げた。学生時代、どうにも言葉を選ぶのが遅くつっかえがちな横須賀に板垣が繰り返した言葉だ。思考が雑然としやすい横須賀に、その雑然を書き出すことであとでまとめることを促した板垣の意図を、横須賀はあまり理解していなかった。ただ、時折「お節介だろうけど」と独り言を漏らしていたことは覚えている。理解し得なかった過去は、記憶として今に繋がっていて。
「友達だから、ツテは元々あるよな、って」
それでも声に出すには重い音は、やっぱりつっかえてしまった。流暢に話す板垣を真似た言葉選びは、馴染むよりも切り替えの合図だったから仕方ないだろう。横須賀は思考を吐き出す、という切り替えを今出来ていない。言葉にしながらの思考ではなく、選んで、言葉にしてしまった。
ひどくおこがましいよな言葉ははっきりと室内に響いて――
「違いねぇな」
「違いねーなぁ」
板垣の破顔と矢来のからかうような声音に、横須賀は少し照れたように笑った。
(第一冊目 第三話「第三話 猟奇嗜好者の恋」 了)
(第一冊目「此度、探偵宿泊につき。」 完)