1-2-10)基準
ゆるりと佐藤が顔を上げた。おもいこみ、と文字をなぞる復唱に山田は頷く。
「名前が平易だといって、それが本当に基準になるわけないだろう。名前はただの目印でしかない」
「でも、基準よ」
声に力はない。おそらく山田の推測は間違っていないだろう。だからこそ佐藤は最後の最後、あきらめのように決めごとを繰り返す。
横須賀と鈴木を外させたのは山田にとっても都合が良かった。子供に聞かせる話ではないし、横須賀にも可能ならこの話題は避けたい。
「名字が多い、っつうのはその名を持つ人間が多く繁栄したか、名字の名称としてつけやすいものだ。名字を持っていなかった人間が政策で持つ必要が出たとき、無理矢理つけるなら山田や田中なんざそのままでつけやすいから増えやすい。だからまず、名字の平易さで特別かどうかを計る、っつーのはあったかもしれねぇな」
佐藤は否定しない。それどころか眉間に寄せた皺を深くして黙している。矢来が一度だけ佐藤を見、それから少しベッドを揺らして山田をみた。
「名前も同じように、簡易なもの。名を付ける余裕がないもの、考える余裕がないもの、必要がないもの。そういうのが見えるように、って基準――といっても、これは名字ほどたやすく決められるものでもない」
「どういうこと?」
沈黙を補うように、矢来がそっけない声で山田に尋ねた。あくまで佐藤を見ないようにしているのは、矢来なりの優しさなのかもしれない。それに触れることなく、山田は息を吐いた。
「単純なことだ。どんな名前だって本来意味を詰めることができる。たとえば和子、なら
「最初から、決まっていたもの」
山田の言葉の後に続いたのは沈黙ではなく佐藤の言葉だった。少し自嘲気味な笑みに、山田は肩を竦める。
「私たちの家は、分家でしかない。必ず子供は一人、捧げ物として選ばれる。一番最初、真ん中、後。それは家で決めるから違うけれど――そういう覚悟でつけられたもの。慰めなんていらないわ。ここに来た時点で、決まってる」
「だとしたら」
佐藤の静かな言葉を、山田の平坦な声が壁のように遮った。おそらく佐藤は実感でもって語っている。そして実感だからこそ、鈴木の前でこの話を避けたのだ。たとえ鈴木自身が実感していても、彼女の前で語る話ではないとした。
山田は佐藤が語る事実を変えられない。変える道理もない。それでも、肯定する道理も無かった。
「最初からゲストに意味がない、っつーことになる。俺が居ようと誰かが家の中から選ばれる。それに名前が基準なら、簡易な範囲でも多少の色を付ける――捧げ物の中でも最後になるように。そういうことだって考えられるはずだ」
「確かに。付ける名前を制限されない限り、渡すのが決まってるなら寧ろ名前をお守り代わりにさせるやつだっているだろ。本当は三人目を渡すつもりだったったが出来なかった、でひとりっこになったとかそういう言い訳だって出来る」
山田の言葉を矢来が引き継ぐ。たかが二人の言葉で生まれたときからの考えが消えるわけもなく佐藤は眉を顰めたが、しかし否定の言葉は差し込まなかった。
名前の意味を決めるのは実のところ親ではない。当人だ。そう、言わざる得なかった子供を山田は知っている。佐藤から情報を引き出す為だけでもなく、基準として違和なのだ。感情的な問題だけではない。そもそも時代で移り変わるのに、なぜ平凡を決められるのか。流行の名前を怪異が知っていると考えるのは、ありえないわけではないが幾分滑稽でもある。
「おそらく、アンタはアンタが思うより知っているはずだ。なんでゲストで喜ぶことが出来たか、理由があるんだろう」
佐藤を真っ直ぐ山田が見据える。山田の視線は、サングラスで隠れてわからないだろう。しかしその顔の向きで察することはできるはずだ。
佐藤はサングラスに映る自身を見、小さく息を吐く。
「ここにいるのが、何かは知らないけど。過去にそういうことがあったのは聞いている。昔だから直接は知らないけれど……丁度前回死んだ田中花の家のはずよ。随分昔にこの儀式の時に屋敷に来て、巻き込まれて。その死に返った人と、田中さんとこの人が結婚した。確か候補で屋敷に来ていた人ね。だから、ゲストだって対象になる。その一度しか聞かないし、他の人間をあえて呼ぼうとしないみたいだから理由はわからないから、本当に貴方が犠牲になるかは判らないけれど――でも、そもそも私はいくら命が助かるからって、もし貴方が犠牲になっても結婚は選べないわ。人かどうかもわからないんだもの」
は、と山田は笑った。そうなったとしてもそもそも山田は女である、などという事実を言うつもりはないが、どちらにせよ中々笑えないことだ。だからこそ笑い捨て、こつり、と椅子の木目を叩く。
「それだけ判れば十分だろう。可能性はいくつかあるが、アンタに都合よく言葉を選んでやることは出来る」
「どういうこと?」
佐藤がいぶかしげに眉を顰めた。疑問があった方が憂鬱になり続けるよりましな顔に見え、山田は少しだけ目を細める。ゆがめたように笑う口角はそのまま、佐藤の言葉に山田は少しだけ姿勢を前に傾けた。
「儀式の原因は名字で判断すら出来ていない。言ってしまえば、アンタ達の血が呪われているだとか家から出さねばならないって決めごとすら前提条件が崩れるモンだろう。その犠牲者の名前が簡易だったかどうかまではわからないが――予定のない人間を犠牲にして、それを誤魔化すために結婚させたってのは、当てずっぽうだがそこまでずれた発想でもない」
「だとして、それがわかってどうするの」
いまいち要領を得ない、というように佐藤が尋ねる。矢来も問いかけるように視線を投げて寄越し、しかし矢来自身は言葉を挟まなない。
代わりに矢来の手元の日記が、さり、と鳴った。
「アンタらに関係あることと、ないことがある。下手に動かれても厄介だが、アンタの安全は保証してやる。他の参加者はわからねぇがな」
「鈴木ちゃんは」
全員とは言わない。それでも先ほど共にいた少女の名を挙げる佐藤に山田は喉を鳴らした。軽薄な音に佐藤の視線が泳ぐ。選んでいる、という自覚は佐藤自身あるのだろう。身勝手とも言える選択を、しかし山田は悪いと責める気はなかった。
命がかかっているのだ。選択肢としては上々。よく知りもしない人間に同情しすぎるよりはよほど良く、そして少女だからかはたまた関わってしまったからかはわからないものの、無碍にしきれないだけの良心。