台詞の空行

1-2-9)決めごと

 言葉を促すために名前を呼ぶ。連れられてきた鈴木はまだ学生程度のようだが、佐藤は自分の意志で来たのがはっきりしている。先ほどの言葉を引き出すような山田の物言いに、佐藤は長く息を吐いた。

「貴方が信じるかわからないけど、私たちにとっては死よ。別人になる、し」

 佐藤が口元を覆う。せっかく一瞬赤みがさしていたのにまた白むその顔は嘘を言っているようには思えない。しかし、相変わらず言葉が足りない。

 引き出すのも酷か、と思わなくもないが、そういう訳にもいかないのが現状でもある。

「しかし本人がそのままそこにいるなら、泥野さんの言うとおりこの屋敷で死人は出ていないだろう。警察が介入できないのも納得だ」

「でも死んでいるわ!」

 ヒステリーのような大声に、鈴木と横須賀がびくりと体を揺らした。落ち着け、と山田がため息と一緒に声を出す。

「流石にその音量なら外に聞こえるぞ」

「うっ」

 呻いた佐藤が鈴木に視線をやるが、うつむいている鈴木は気づいていない。もう一度山田は大げさにため息を付いて、足を組み替えた。

「鈴木さんは知ってるのか?」

「鈴木ちゃんは今回が初めてよ。ただ、ひとりにするのも怖いと思って」

 連れてきたんだけど、と尻すぼみの言葉に、山田は肩を竦める。まあ、いくら部屋があるとはいえ女子を一人にするのは不安があるのはわからなくもない。鴨と葱で結構、などと言っていたが、それはこの会話に入るためで本気でもないはずだ。

「三日目の夜と考えるのなら、今の現状問題はない。うちのデカブツを貸すから、ガキは部屋に戻すか」

 鈴木が体を小さくする。きょとりと瞬いた横須賀が鈴木を見るが、視線はかち合わなかった。代わりにとでも言えばいいのか、佐藤がうろんげに山田を見上げた。

「信用できないし危ないでしょ……」

 佐藤の言葉はもっともだ。女子を心配するのに男と二人きりにさせるのは本末転倒と言える。といっても山田はここで話を聞かなければならないし、そもそも見目は男として通している。矢来についてはなんの保証も出来ないので、横須賀を選んだのは無難な判断である。

 これまでの様子を見るに山田自身は横須賀ならまかせて問題ないと考えているが、それは山田の都合だ。佐藤を納得させるだけの根拠はない。それでも先ほどから絶妙に本題をずらす佐藤から無理に話を聞くには、若い学生だろう彼女という存在は面倒である。

「カモネギでもいいなら気にする必要もねえだろ。男三人に女二人も男一人に女一人もそう変わらねぇし、そもそも犯罪行為をする気はねぇよ」

「鈴木ちゃんは」

 佐藤に名前を呼ばれてほんの少しだけ鈴木が顔を上げる。相変わらず前髪で視線はわかりづらいが、口元が居場所のなさや不安を見せるので矢来よりはわかりやすい。

「わ、たし」

 ようやく出た声は細い。ひゅ、とうまく呼吸をし損なったような音とともに鈴木がおずおずと体を少し動かす。おそらく横須賀をみたのだろう所作に、横須賀が背中を丸める。ハの字眉で口角をきゅっと持ち上げる表情は、横須賀がよく作る不器用な笑顔だ。

 肩を竦めてとりあえず笑みを作ってみる、を実行した横須賀に、鈴木は少し視線を逸らした。ぱちぱちと瞬いて困ったように首を傾げる様は無害に見えるが、見え方は人それぞれでもある。

「ごめいわくでない、な、ら」

 そのあと漏れた息は音に足りない。唇の動きからよろしくおねがいします、のようなものだろうか。どう答えればいいのかわからず頭を下げる横須賀も含めてなんというかちぐはぐだが、二人は似ている。

「部屋に戻す前に泥野に書庫がないか聞いておけ。それと見取り図。屋敷を借りている身だから家捜しまではしないが、それでも六日間も長いんだ。食堂で話したとおり調査するために必要だと伝えればいい。渋ったらそのまま放っておけ、そこからは俺の仕事だ」

 山田の言葉に横須賀がメモにペンを走らせる。あらかた書き終えるだろうところで山田は立ち上がり、横須賀のメモを奪った。

 佐藤がいぶかしそうにするものの、奪われた横須賀はきょとりと山田を見るだけで特になにも言わない。それどころかペンの頭部分をおずおずと差し出したくらいで、山田はそれを一瞥もせず奪いペンを一度回す。

「通気口、ダクト関係があるならその配置もわかるものを。理由を聞かれたら可能性を潰す為と答えろ。他の連中に会ったら適当に話してもいいが、テメェ一人じゃなくそこのガキが居るんだ。話が世間話じゃないようならこの部屋に行くように促せ。行くようなら部屋まで案内しろ、入るのを確認すること」

 ペン先が紙をひっかくようにして踊る。山田が山田として見せるための筆圧は平時より高めだ。紙が一枚めくられて、二枚目では先ほどよりもスムーズにペンが走る。

 びっ、と勢いよく破かれた紙を押しつけられた横須賀は、一枚を右手の内へ丸めながら、筆圧の強かった一枚をズボンのポケットに押し入れた。

「わかったら行ってこい。テメェの仕事はあくまで聞くだけだ」

「はい」

 頷いて、横須賀が立ち上がる。びく、と震えた鈴木に横須賀がハの字眉をますます下げて背を丸めるが、えっと、と漏れる音は半端で促すに足りない。

 山田が革靴を鳴らす。鈴木の体が小さく跳ねたところで、横須賀は膝を少し曲げた。

「えっと、きいて、くるので、お付き合いいただいても、よろしいですか」

 相手の様子を伺っているためか途切れ途切れの言葉に、鈴木がおずおずと立ち上がる。こくこくと頷くのを見て、横須賀は少しだけ安堵の息を吐いた。

「よろしくお願いします。えっと、じゃあ、失礼します」

 鈴木に挨拶を再度したあと、退室のため横須賀が残るメンバーに頭を下げる。それに鈴木が倣うように頭を下げ、いってらっしゃいと佐藤は穏やかに返した。

「とっとと行け」

「いってらー」

 山田の粗野な言葉と矢来の雑な言葉に佐藤がじと目で二人を見る。矢来が気にするわけもないし山田はそう見られる為の所作であるので非常に無駄な空回りだが、佐藤の人となりがわかりやすい様子を山田は憎からず思えてきてもいた。ある意味これも愛嬌か、などと考えつつ、改めて佐藤と向き直る。

「俺はアンタと違って気を使わねぇぞ」

 話せ、と横柄に言うと、山田は椅子に座り直した。足を組んだ上に両手を乗せた山田を見、佐藤は息を吐く。

 深呼吸のためのそれは佐藤の肩を上下させる。下がり、上がり、下がった後、背筋を伸ばし直して佐藤は両手を合わせ組んだ。

「前回参加したとき、彼女は死んだ。彼女だという代わりの人は、ほとんど彼女と同じ外見をしていたけれど、あの日の参加者は彼女だと信じていなかったわ」

 ぽつぽつと佐藤が言葉を落とす。合わせた手の指先は落ち着き無く何度も組み替えられ、その度白く握られる。

 繰り返される瞬きと過去を見るように伏せられた瞳。矢来が手帳を親指で撫でた。

「だって彼女は、怪我をしていた。見た目は普通に見えるんだけれど、昔の事故で左足がうまく動かなくて。……夜に、なにかが這う音が聞こえて。朝になって彼女はおかしくなっていて――なのに、両足は普通に動いていた。あんなの彼女じゃない、誰でもないのに」

 震える声が途切れた。自身を抱きしめるように両手を交差させた佐藤に、矢来が紙をめくる。

「それでもそいつは家に帰ったし、それを家族は受け入れたんだろ」

「そういう決めごとだもの」

 歪んだ笑みは佐藤の顔立ちには似合わない。自嘲とないまぜになった嫌悪は、しかし彼女にとっては事実であることを示す。

「私たちにはどうしようもない。最初から、そう。決まっているの」

田中たなかはな。確かに平凡な名前の被害者だったけど、決まってるっていうのもなー」

「貴方にはわからないわ」

 佐藤の声は冷たかった。先程まで矢来につっかかっていた熱とは違う温度に、矢来が息を吐く。

 鼻から深く吐き出されたその音は、平時山田が切り捨てるためにする音とは違う。深呼吸では無いが、しかしそれによく似ていた。

「ま、わかりっこないな」

 続いた音は酸素よりも感情を伝えなかった。平坦に整えられた音に、佐藤が体を丸める。面倒くさそうに視線を寄越した矢来に、山田は肩を竦めた。

 おそらく、まるきり無感動というわけでもないようだ。どうでもよさそうではあるし自分でどうこうするつもりはないようだが、視線の意味に山田は少し背筋を伸ばす。

 以前の山田太郎であらねばならなかったときなら別だが、今は流石にどうでもよしとはしがたい。情報を優先はするが、かといって切り捨てすぎる必要もないわけだ。

「貴方が説明しない限り、我々にはわからない。だからこそ協力だろう。それに恐らく、貴方の考える基準は思い込みで曇っている」