台詞の空行

かえるひと

 * * *

「あ、刑事さん。こんにちは。……はい、大丈夫です。有り難うございます。

 先日妻と会ってきました。いろいろと、まだ難しいことも多いですが――でも、大丈夫です。大丈夫であってほしいという勝手な願いですが、それでも大丈夫だと思います。そうするために、私は今度こそ二人に寄り添いたいと思っていますので。

 ……妻について、私は多くを知らなすぎました。でも、それが悪い、とは思いたくはありません。知っていればもっと支えられたと思うので、そういう意味では知りたかったですが――あの場所で余所者であり続ける事ができたのは、幸運だったのではないかと思います。私は確かに彼女の過去も背負ったものもあの土地の成り立ちも知りませんでしたが、知っていたらきっと娘は、ああいう形にならなかったので。外につながったからこそ、と思っています。……私の勝手な願望ですが。

 有り難うございます。そうだといい、と思っています。

 娘の様子ですか? 元気ですよ。妻との話も嬉しそうでした。……ただ、妻が成そうとした事は確かにあります。あの時娘は傷ついていました。私も娘を傷つけた立場です。娘の心をきちんと私たちが癒しきるのは難しいでしょう。ご紹介いただいた病院で相談をしながら、娘とは向き合っています。

 ……多分、それも私に出来る少ない物事、だとも思います。私も傷つけましたが、娘は母を求め、同時に多く傷ついたようですし。どんな理由であれ傷つけたのは事実ですが、娘が関係を求めてくれて、妻も娘と共にいたいと望んでいます。妻は娘を傷つけた罪悪感で距離を置くか悩んだようですが……二人が共にいることで苦痛があるなら、私は別の方法を考えなければならないと思います。でも、二人が望んで、笑いあう時間がある今。私は二人のために、出来る限り時間を、心を、言葉を用いたいと思っています。

 幸い娘もゆっくり向き合っていて、苦痛ばかりでもないようです。最近は探偵になりたい、なんて言い出していますが……ははは、どうでしょう。探偵と言われると親心としては止めたいですけど、嫌いな勉強を頑張り出したのであまり止めてしまうのもな、とは思っています。正直普通の探偵では娘の願う仕事は別でしょうし、娘が願う探偵の仕事があったとしたら、私はその危険を思うとあまりいい言葉はかけられません。ただ、今は娘が願う物を追いかけて、それが広い世界につながればいいな、と思っています。

 勉強をして向き合って、それでも娘が追いかけたら、私も妻も向き合わなければなりませんね。娘の人生は娘のものです。――それを台無しにするような選択をしかけた私たちは、単純な大事なことを今度こそ忘れないように生きていかねば、と思っています。

 ……ええ、サングラスはまだお気に入りみたいですね。でもかけてはいませんよ。目が悪くなっちゃうからあんまり見ちゃ駄目、って言ってます。娘にとってあの人はどう見えたのかな。妻にとっては随分と苦しい怖い人だったようですが。……私はそうですね。背筋を伸ばさねば、と思います。探偵さんは背筋が伸びていたし、もう一人の方はまっすぐな目で――いえ、なんでもないです。はい、有り難うございます。大丈夫です。

 はい、強がりとかではありません。多分私たちに、あの土地に足りなかったのは頼り方、だと思うんです。私はもっと視野を広げたいです。狭い場所では随分と窮屈になってしまいますからね。

 ……本当、頼って良かった、と思っています。刑事さん達にも感謝しています。有り難うございます。お言葉、大事に頂戴しますね」

 * * *

「話せる事、か。あまりない気もするだが……まあこちらの範囲でいいなら。いや、そういう話を聞いてしまって無視できるほどの薄情さもないさ。嘘をついているようには見えん。

 ここのうろ親子については、さっき話したとおりのものだ。洞親子といった民話と一緒に受け継がれている些細なもの。アンタが言うような信仰みたいなもんすら、少し言葉が過ぎるようにも感じるくらいだ。とはいえ、信仰にする人間もいた、が。

 普通に見れば子供に語り継ぐ怖い話、大人が学ぶ教訓の話。そのせいで肝試しなんざに使われたりするが、悪いことばかりじゃないとは思う。この地域には必要なもんだ。

 ……信仰が悪いわけじゃないが、信仰が悪い結果になることは、ある。ただそれは、足りなかったせいだろう。信仰はそもそも内側の芯、なにかあったときの指針、心の糧。心であって全部ではない。信仰だけに全てを捧げる、それが不健全なんだ。……まあこっちの感覚については信仰心という強いモンがない外側からのただの印象だがな。だとしても、人生の全てを信心に投げるのではなく、自分が行動してなお糧にするような、他があるからこそのものだと思っている。だから、あれは信仰が原因だったわけじゃない。……ああ、まあそういう事があったよ。昔でもない。ついこの間のことだ。他人のことだからあんまり口にはしたくないがね。……ああ、そうしてくれると有り難いな。

 簡単に言うと、まあ信仰に傾きすぎた人がいたんだ。目を配っているつもりだったが足りなかったんだろう。あの人があそこまでどうしようもなくなっていたなんて――気づいてやりたかったんだがな。もう落ち着いたなんてなんで思ってしまっていたのか。後悔はある。アンタとはまた別の形だろうがな。ただ、やっていくことは変わらない。そこはアンタと同じだ。俺たちは生きている。生きている人間が立ち止まり諦めるには、人生は退屈すぎるだろう。先はもう長くないがな、それでも退屈に生きることは落ち着かんさ。

 ……そう気をつかわんでいいが、まあアンタの立場ならそうなるか。まだまだ動けるし嘆いているわけじゃない。年寄りの悪い癖だな、悪かった。ああ。先が短いからを言い訳にする気も免罪符にする気もないんだ。悪い言葉だった。

 話が少しずれたな。……信仰が救いとなるには、健全な環境が必要だと思っている。それは誰もが幸せにというよりも、辛い人間が一人にならない環境だ。抱えすぎない環境だ。それが足りなかったことがあって、俺はあまりに知らなすぎた。関わりすぎることは逆に痛みになると思うが、しかし考える。なにかできたんじゃないかとな。多分それは、どこでも変わらない。こういう信仰があるからだけじゃない、どこでもおんなじだ。

 ……人の目は毒であり薬である。自分が正義だとは思わんがな、この体が動く内は、こういう場所が変わりなくあれるようにと思うさ。アンタがやるならうまく行くと良いな。完全はない。ただただ出来ることといったら、そうであることを祈るだけだ。

 アンタと娘さん、奥さんにさいわいがあることを祈っておこう。洞親子に特別な力などないと思うがね、そうやって決意を報告し自分を定めるのは悪くないさ。

 あんまり思いつめちゃならんぞ。アンタには俺以上に長い長い時間があるはずなんだ。若造らしく、楽しむことも含めていきなさい。

 何かするには短すぎると言うが、何もしないには退屈すぎ、苦しみ続けるには長すぎるのが人生だ。奥さんと娘さん、そしてアンタを大事にするがいいさ」

 * * *

「お時間をありがとうございました渡辺さん。……先日も人が来たんですか。そうですか、愛知から。なにかご縁があったんでしょう。渡辺さんもよく気を配られる方だ。

 ……秋山さんについては、仕方ないと言ってはいけないでしょうがその言葉を選ばざる得ません。渡辺さんが十分だったかどうかで言えば確かに結果は届かなかった事実があります。けれども、声が届くかどうかは声を出した人間だけでは決まらない。拾い上げる人間と、タイミングが大事です。あなただけの責任と言うには相手をないがしろにしすぎでしょう。失礼を承知で言えばあなたも私もそれだけの影響力を持ちきることなど出来ないです。……届くのが、多分奇跡のようなものでしょう。

 まあ、私もそれなりに人と関わってきましたので。自分が成すことでどうにかなると考えるのはなかなか傲慢だと思うようにはなりました。渡辺さんへの同情などではなく、自身を律し示し言葉をかみ砕き、それでもなお届くかどうかは相手によるのだと考えています。だから私の言葉をどうとるかも、渡辺さんのものですが。

 ……肯定的に受け取って貰って有り難いです。どうにも私は、うまく言葉を選べないことがあるので。ええ、有り難うございます。

 そうですね、先ほどお話しました彼について、私はそう思っています。そもそも私は彼の為になにもかもを優先できなかったので、なにかしてあげられたとも思っていませんでした。それは多分、渡辺さんが秋山さんに思うことと似ているかもしれません。

 渡辺さんと私の違いとして言えば、受け手とタイミングだったと思います。もっと大きな事が違っているのは事実ですが、しかし人を相手にする時点で一番の差異はそこだったと私は思うのです。秋山さんが悪かったとか、彼が優れていた訳ではありません。ただたくさんの偶然があって、それが成り立った。事実だけがあるのです。

 出来なかったのに、と思う後悔は成したことを受けた彼に失礼だとも考えています。今は秋山さんに渡辺さんが成せなかったことが多く浮かぶと思いますが、どうかそれだけでない、と思っていただきたい。

 ええ、あなたがこれからを選んだことはその経験による。どれも否定するものではないし、私があまり言葉を重ねるものでもないでしょう。それでも私は貴方を知る人間として、言葉を重ねましょう。貴方の行動は、なかったわけではない、と。

 秋山さんのご家族の墓を美しくするのも、洞親子の祠に気を配るのも、秋山さんが帰って来たときを思うのも貴方の自由で、秋山さんが受け止めるかどうかも秋山さんの自由だ。きっと、完全に正しい行為は無い。だからこそ渡辺さんも、渡辺さんが愛知からきた男性に言葉を伝えたようにしてくだされば、と勝手に思っております。……ええ、そうですね。渡辺さんは、そういう方だ。重くなりすぎることはないでしょうが、勝手を言わせていただきました。失礼しました。

 ……ええ。私も、同じです。願うしかありませんが。しかし渡辺さんとお話してよかった、と私は思っています。ええ。有り難うございます。では、失礼します」

 * * *

「はー、偶然ですね。本当偶然です。横須賀君と時川さんがお知り合いだったなんて。ご縁ですねぇ、ご縁。

 時川さんもご存じなかったんですか。ええ、少しいろいろとご縁があった人たちのご友人でして、私としてもびっくりしました。それでもよかったな、と思います。彼が友人で良かった。あまり多くを話していませんが、彼は良い子ですね。ご縁があって嬉しいです。

 ああ大丈夫ですよ、お怪我はなかったみたいです。ちょっと色々と心配ではありましたが――いい結果になったみたいです。良かった。

 ……ふふふ、そうですね。そう見えるかもしれません。私事ですがずっと気になっていたことでしたから。今回の区切りは私が成したわけではありません。もっと言えば私の外側で終わったようなものでしょう。それでも、成されたことがとても嬉しいんです。多分時川さんも似た心地ではないかな、とも勝手に思っています。時川さんとのご縁も、あの時でしたものね。

 あの当時の話を私の立場であまり語っても、と思っていました。でもなんとかひとつ区切りがついて、今こうしてまた時川さんとお会いして。……ご縁ですね。ご縁。本当に、繰り返し思います。

 逸見さんのご遺体を確認したのを覚えています。主治医でしたし、太宰さんからのご希望もありました。――検死すらできるような状態でなかったのに、あの異常な光景が焼き付いて離れません。どのような段階であれ、あの形になるようなものを逸見さんのお嬢さんが見た。考えるだけで恐ろしい、と思いました。

 あまり多くは言えませんが、多分時川さんが想像しているものは検討違いじゃないと思います。でもこれはね、私には言えないんで。はい、時川さんもお聞きなさりはしませんよね。有り難うございます。

 ただ悪いものじゃないということだけお伝えしておきますね。多分、ずっとずっと抱えていかなければいけないような難しい孤独ではなくなりました。……本当に、よかった。

 ふふ、時川さんにしては珍しい。悪い意味じゃないですよ。私が言う立場かなぁって思っていたんですが……いえ、嬉しいです。大丈夫です。私が成せなかったとは思いますが、なにもかもしなかったわけじゃないとも思ってもいます。――見守るのも、大人の務めですからね。ただ子どもが抱えすぎることは、避けられたらよかったんですが。

 ええ、色々ありますよね。背負いたくない子もいれば背負わせたくない子もいる。その子が苦しくてどうしようもなくなったとき、知らないままでは手を伸ばせない。私はずっと見守る人であり続けられたと思います。それはそのままでいいんです。ええ。

 あの子達が笑ってくれる。そういう今を見られるのは、本当に幸せですね」

(リメイク公開: