10-15)担保
叫びと一緒に、机が蹴飛ばされる。椅子を転がすようにして横須賀は叶子を抱えた。びくりと揺れた体が、そのまま横須賀に抱きすがる。山田の手にはスタンガン。
大きく響く扉を開ける音。
「警察だ!! おとなしく、」
平塚の大声に、悲鳴が重なった。山田の視線が外れた一瞬、痙攣した桐悟が体ごと机を押し出す。机一つ分の距離――入れ替わるようにして駆けた平塚が入り込む。
机にしなだれかかり呻く桐悟を上から押さえつけ、平塚は山田を睨んだ。
「手に持ってる物を離せ!」
「……なんでアンタがいるんだ」
床に落ちたスタンガンを平塚が拾い上げる。山田は手に持ったナイフをそのままに、呻く様に言葉を落とした。は、と平塚が引きつった笑みを吐き捨てる。
「善良な市民の協力によるところだ。武器を捨てろ。もう終わっただろう」
イヤホンに告げた声は聞こえなかったが、おそらく応援を呼んだのだろう。スタンガンで痙攣した体を捕獲されてしまえば桐悟に出来ることはそう多くない。抱きかかえた叶子の背中をとん、と横須賀は叩いた。
大きく、山田が息を吐く。
「まあ、終わりましたね。つれていってください」
平塚が桐悟の口に猿ぐつわを巻くの見、山田はあっさり言ってのけた。手にあるナイフをくるりと回し、床に向ける。
「なんで持ったままなんだ」
「私の物なんで」
「危険だ、離し給え」
「もう向ける先もないでしょう? それだけ厳重に取り押さえるんだ、貴方だって意味を分かっているはずだ」
くつり、と山田は左頬を持ち上げて笑った。ぐぬ、と呻いた平塚は手元の桐悟を見下ろす。呻きはするが、言葉を発することは難しいだろう。
ひどくオカルト的で奇妙なものだが、言葉が意味を持つということを平塚は理解する職場にいる。そういう対策をする時点で、平塚も山田が対峙した理由のほんのひとかけらは察しているはずだ。
それに足りるだけの情報は、そもそも渡されている。
「おにいちゃん」
「前話したこと、覚えてる?」
二人を見ながら、横須賀は叶子に囁いた。ずり、ずりと少しずつ距離を持つ。手のひらのざわつきを誤魔化す様に叶子を下ろすと、その肩に両手を乗せた。こくり、と叶子が頷く。じゃあ、――そうか。そういう横須賀の言葉は、叶子にだけ届いた。
「とっととそいつを連れていってください」
「応援が来るまで待機する」
チッ、と山田は隠しもせずに舌打ちをした。眉を顰め、不服げな表情を平塚が睨む。
「貴様が何を企んでいたかはあとで聞く。流石にこの状況で言い逃れはできんぞ」
「するつもりもないです。そこのデカブツに何を聞いたかわかりませんがね、勝手な想像はやめていただきたい」
山田の言葉に、平塚が目を見開いた。は、と山田が笑う。
「驚くことでもないだろ。アンタが一人ってことはここでやばいことがあるとまでは聞いていないってことだ。デカブツがどういう言い方をしたかはしらねぇがあんたらはチームで動く。におわせる程度だったら警戒してペアで来る方が自然だから少し言い方が違ったんじゃネェかな。……気を許した俺が馬鹿だったって訳だ」
最後の言葉は揶揄する様な音があった。叶子の肩を掴む手が震える。叶子が眉を下げて笑うのを、横須賀は見ることが出来ない。
叶子の背に立ったまま、横須賀は小さく呼吸を繰り返した。
「いい相棒だろう。貴様が間違えるのを案じたのだ」
「その男を殺しはしねぇよ。だから安心して連れて行ってくれ。全部終わった」
肩を竦めて山田が言い捨てる。平塚はこめかみを押さえ、息を吐いた。
「……貴様の推測通り、彼から聞いた情報ではこんな事になるとまでは思っていなかったからな。正直貴様が間違えなければ乗り込まず応援を待っていたんだ。連れ出すに足りない。貴様も彼も、そこの少女も必要だ。協力願いの段階を超えてる状況だろうこれは」
「安心してくださいよ刑事さん。私の目的はもうほとんど終わった、あとはもう――」
「ほとんど、でしょう」
低い声が、とん、と投げられた。室内に落ちた声はあまり響かない。それでもはっきりと届いた声に、平塚と山田が顔を向ける。桐悟はぐらぐらと揺れているが、それ以上の動きは無い。
息を吐く音すら慎重に、長く、長く。ゆっくりと整えた横須賀は、叶子の肩を押す様にしながら、そのつむじを見下ろす。
「貴方の目的、ケジメ。それはまだ残っている」
山田の眉が顰められる。右頬が水平気味に痙攣し、左眉が持ち上がった。歪な表情に、横須賀は静かに視線を向け続ける。
山田から問いがないことが、ある意味で答えのようでもあった。
「横須賀君……?」
「有難うございます平塚刑事。貴方が一人で来てくれて本当に良かった」
不安げな平塚に、眉を下げて横須賀は笑った。気が弱い青年の顔。それは平時と変わらず――ただその表情は、なぜか随分と落ち着いて見えた。
「山田さんが太宰桐悟さんを追求すると決めたとき、対策はずっと太宰桐悟さんでした。一番危険である、と叶子ちゃんを示したのに、太宰桐悟さんがなんとかなればそれでもう大丈夫だとでもいうように、山田さんは示してきました。子途が出入りする場所、彼女が決めたとき山田さんも俺もなにも出来なかったのに」
静かに横須賀は言葉を落とす。長身から落ちる低い声は、しんしんと降り積もる。
叶子は少しだけ目を細めると、まるで頷く様に俯いた。
「貴方が言ったのは、彼から彼女を治す術を聞くことだけです。治せなかったときの対策を結局貴方は言わなかった。貴方が俺を拒絶してまで求めたケジメを、俺が好まない結果を俺は考えました。多分、きっと。それは間違ってない。――間違っていて欲しかったけれども、貴方はもう決めていたから」
山田の手が白む。不安げに山田と横須賀を見比べる平塚が、言葉を探して揺れる。
「出入り口、だ」
横須賀を睨みながら、山田が呟いた。横須賀はその言葉の先を知っている。だからこそ頷きもせず見下ろす。
「そのガキが望もうが望むまいが、繋がっている。俺のケジメはあの事件を終わらせることだ。逸見藤悟の、逸見咲子の罪を終わらせること。そいつがいる限り被害者は増える」
「警察がある」
山田の言葉に平塚が低く断じた。は、と山田が笑い捨てる。引きつった表情は笑いであり悲鳴にも似ていた。
それでもナイフは離されない。
「このガキから出てくる物を見てネェから言えるんだ。いくら警察がどうこうしたところで、こいつが望む限りどうしようもない。テメェらは殺さないだろう。それが道理だ。だが俺はそれじゃあ終われないんだ」
「知っています」
静かに、横須賀が声を落とす。見上げる山田の眉間に寄った皺が、眉根が少しだけ震えた。
「叶子ちゃんが叶える子で有り続ける限り、神様を求める限りどうしようもない。貴方が嘘を吐いてまで捧げようとした未来の行き先を俺は想像できてしまう。貴方のケジメは貴方のもので、二十三年と、そして嘘と一緒に渡した未来をかけて貴方は果たそうとする。きっとこれが失敗しても、貴方はずっと未来を捧げ続ける。貴方はそう決めた。分かっています」
「だったら」
なんで、という山田の言葉は、横須賀の笑顔で声にならなかった。眉を下げて、色のない顔で横須賀は笑う。
ひどく寂しそうに、それでいて、真っ直ぐと。真っ直ぐと見下ろし貫く視線の意味を探るより早く、横須賀は姿勢を正した。
「貴方のケジメは貴方のものです山田さん。でも、貴方が果たさなくてもいいんじゃないでしょうか」
山田の唇が戦慄く。横須賀は微笑んだ。ひどくやさしく、ひどく穏やかに。それが救いである様に。
「目的はひとつ。過程は必要ないと思いませんか」
「俺のケジメだ」
「貴方のケジメで、――俺は貴方の相棒です。だから」
ごめんね叶子ちゃん。横須賀の呟きに、叶子は微笑んだ。その細い首に、そっと両手が覆い被さる。
「横須賀君」
震える平塚の声に、返事は無い。ただ貫く視線だけが真っ直ぐと山田を見下ろしていた。
それははっきりとした、宣告だった。