10-10)必要なもの
「正直止めることを目的としなかったことを言い訳にしたとして戦果は悪い。なんとか終えたのは青と、赤月のガキは半端に止まってる。こっちの案件として過去に調べていた事件ももうストックねぇしな。後手にまわったらどうしようもない。これ以上ケジメつける先を広げられる訳にゃいかネェんだ。あの男が深山未久になにを求めたのかは知らないが、知りたかったものが手には入らなかったのは事実だ。居場所を掴んだ今、動くのが吉だ」
「深山さん、の時は、なにを調べていらっしゃったんですか」
おずおずと、だがはっきりと問いかけた横須賀に山田が片眉を上げた。じっと見つめ返す小さな黒目は、切れ長の睫の下ではっきりと山田を見据えているのがよくわかる。
山田のサングラスとは反対の見えやすい感情に、山田は少しだけ息を吐いた。
「深山の家について少しと、太宰桐悟について探っていた。太宰桐悟が深山に接触したのがわかっていたものの、それだけだった。深山家の特徴が元々異質であったこと、伝聞。俺の最優先は太宰桐悟で、そのためには深山を泳がす必要があった。どういう結果になったとしても俺は奴の出所と狙いを探る方を優先した。
……アンタが聞いたときに答えたが、俺は三浦さんを利用するために金を取らなかった。俺は俺の選択を後悔はしないが、三浦さんにとって悪い選択だったのは事実だろうな。おかげで手札は手に入ったが」
さり、と山田が紙をなでた。山田が伏せてしまうと、元々見えづらい表情は更に隠れてしまう。再度持ち上がった時には相変わらず読みとりづらい表情で――けれども、これまでよりは少しだけどうしようもなさを含んでいた。
「だからアレはテメェの手柄だ」
手柄。直臣の時の言葉を思い出しながら、横須賀はやはりそれに頷くにはまだ足りなかった。以前の手柄は山田のもので、あれは恐らく山田の責任を意味するのだろう。けれどもあの時も、頷ききれなかった。横須賀はあの時、確かに横須賀の力の無さを感じたのだ。そして三浦の時も。山田の切り捨てる物を諦めたくなかったが、それでもあれは、三浦のおかげだと横須賀は思っている。
そして同時にもう一つ、巡る言葉もある。手柄に言及せず、文字を拾うために横須賀は細く息を整えた。
「依頼人とその後についてはフォローするって言ってました、けど、それは太宰桐悟さんの狙いが山田さんだから、ですか」
「そんなとこだな。あの男が失敗した儀式をもう一度繰り返そうとしたところで、優先は俺だろう。深山家と三浦さん、藤沢さんに向かう前に動きはわかりやすいし、どっちにしろ色薬の為に動いたはずだ。深山家で知りたかったことに拘るかどうかも含めて動いてみたが、アイツはあくまで色薬優先だ。新山叶子も周辺で見かけることはネェし、しばらくは安心していいと思うぜ」
安心との言葉に横須賀が眉を潜めた。抗議には足りない情けない表情に、山田が苦笑する。
「言っただろ、そもそもアイツが動くにもまだ時間はある。色薬で動かれる前に動くんだ。俺の心配は必要ネェよ」
そうして話をしまいにするように、山田が色薬の紙を滑らせるようにして持ち直した。とんとんと整えられた紙が、最初と変わらない様子で封筒にしまわれる。
「いくつかキーワードがある。木野さんが言っていた子途や、深山家の件であった鏡移し。民話として伝えられている星の降る丘。子途が大元、と考えていいが、そもそもこの星の降る丘で男に色薬を与えた光は何だったのか。そして民話では個別のものなのに色薬としてまとめ知識を与えたのは誰だったのか。五藤桐悟はなにを得てどのように訳したと言えるのか。原因を知る必要はないが、おそらく、子途が薬になるとしても、それを広める別のものがあった、は、把握した方が良いものだ」
「別のもの」
木野の言葉を遮った時の山田が浮かび、横須賀は小さく復唱した。山田は相手を動かすように言葉や声を選ぶが、あの時は確かに強い遮りだった。横須賀はその時驚くだけだったものの、今は理由がわかる。
山田はそこから繋がる何か、を、見据えようとしてきたのだ。
「そもそも、氏山の件では肉塊を作ったのは俺たちじゃない。人の道理ではない形で成り立った。そしてその肉塊を餌にさせたが、子途を呼んだのはあくまで新山叶子だ。肉塊から子途になったわけでもない。それなのに当時逸見五月の母親は夫を殺した。もしそれが太宰藤悟によるものだったとして、この差は考える必要があるだろう。
おそらく、あの男は何度か儀式を繰り返そうとしている。それでいて、子途を運ぶのは新山叶子で、あの男ではない。『神と通じ通り子を成す儀式』、を新山叶子は強要され、神――おそらく子途と通じている。だからこそあの腹から子途が出てきたんだろう」
儀式の言葉に横須賀は顔をしかめた。その前に記されていたはずの言葉を山田は使わないが、その儀式がなんだったのか横須賀は知ってしまっている。けれども今それを思うのは別だ。唇を噛み、横須賀は息苦しさを飲み込んだ。
「あの日、太宰桐悟は黒を止めることが出来なかった。なんで、どうして。そういう困惑はあれども、なにもできなかった。その黒を、子途を新山叶子は腹から出し、使うことが出来ると考えられる。太宰桐悟はおそらく、層を繋いだだけだった。新山叶子は呼んだ。違いはでかいだろう。太宰桐悟は、あれを呼べない」
「え」
静かに落とされた言葉に、横須賀は目を丸くした。物事を成しているのは太宰桐悟だ。にも関わらず呼べないというのは意外、というよりも、山田が太宰桐悟の次の事件を案じることと繋がらない。問いかける言葉を探す横須賀に、山田は少しだけ視線を外した。
「正確に言えば、アイツはアイツだけで呼ぶことが出来ない。どういう条件かは知らないが、秋山も逸見五月の母も利用されていた。あいつだけでやればいいのに、おそらく必要だったんだ。逸見五月の母についてなんて、なにを吹き込んだか知らネェが旦那をめった刺しにさせてるんだぞ。普通は、無理だ。体力も精神も必要だし、だからこそ他人にさせるほうが困難でもある。それも女の力で――本人がやるよりも無茶苦茶すぎる。それでも選んだのなら、アイツ自身では足りない、じゃないのか。だってアイツは、病院ですら逸見五月を待っていた。そしてアイツ以外を用いても足りなかったのが病院での結果で、黒に戻す間違いで。子途を使うという形を得た現在、おそらく重要なのは新山叶子だ」
並べる音は、かろうじて繋がっているようでもあった。ほんの少しなにかが変われば途切れてしまうのではないかという静かな言葉を飲み込むように山田は口を閉じた。
左頬だけ歪めるように持ち上げた笑みで、山田が横須賀に向き直る。
「だからこそこっちが動くのに都合いい。アイツ自身は翻訳家以上の力を持たない。他人を使うことで動いてきた男で、物理的に止められりゃ問題ない。それくらいの調べはついている」
「物理的、に」
「――俺がやる。テメェに期待はしてねぇよ」
もごりと口の中で丸めるように復唱した横須賀に、山田ははっきりと言い切った。ぐ、と歪んだ表情は少しだけ横須賀の不服を見せる。
横須賀は自身の左手の甲を、ペンの背でひっかいた。
「山田さんでも、相手の人は」
「確かに俺はそんな体力も技術もねぇが、テメェも見ただろ? アイツは大分もう、向こう側だ。問題はアイツが繋ぐ先で、新山叶子が引き連れるものの方だ。それを止めるのと何かあったときに崩れないかの方が重要だよ。病院では確かに俺は失敗したが、あの時は秋も新山院長も全部が整っていた。俺自身も、アイツを把握しきれていなかった。けど、今度は違う」
言い聞かせる言葉は、先ほどの途切れるような調子と違いあえて区切り音を並べるものだった。横須賀を見るサングラスから瞳は透けないが、それでもはっきりと見据えられるような視線を感じて横須賀は体を固くする。
わかっていたことだ。細く息を吐いて、横須賀は山田のサングラスを見抜くように真っ直ぐと返した。
「俺も行きます。殴る人が必要、でしょう?」
横須賀の言葉選びに山田は眉を上げると、そのまま息を吐いた。つられるように下りる眉尻の感情を、横須賀は知らない。
微苦笑に似たそれで、山田は頷いた。
「ああ、俺と違ってアンタは逃げ出していない。いつそうなるかわからねえし、どんなもんでも絶対なんざネェが……俺が欲したのは、そういうやつだ。ただ」
最後の言葉が少しだけ小さくなる。山田のはっきりした物言いには浮いている音は、浮いているのにそのまま溶けてなくなってしまいそうな違和でもあった。
きゅ、と横須賀は口元を引き結ぶ。
「俺はワトスンであろうと思って来たんです」
横須賀にしては婉曲な表現だ。山田の消えかけた言葉を尋ねることなく言い切った横須賀に、山田は一度口を開きかけ――止めた。
持ち上がる口角に従って、片眉がひそめられたまま吊り上がる。
「言われなくてもわかっちゃいるさ。じゃないと俺だって連れてかネェ。こんな話なんざしねぇよ」