10-8)答え合わせ
「姿勢は悪い、目つきも悪い、顔色も悪い。アンタはそういうところがあるのに、随分人の顔を伺い見る。使われると嬉しそうにして、メモ帳はまるでそこに答えがあるように随分と指に馴染んでいた。試しに声をかけたらやっぱり随分嬉しそうにしやがる。俺の場合外見がコレだからな、多少良くない反応のが普通だが――アンタは、なんにも関係ないみたいに本当に嬉しそうにしていた」
横須賀は思いだそうとするように二度瞬くと、目を伏せた。当時のことはなんとなく覚えている。本屋で働いていた横須賀は、品出しが好きだった。速度はあまりないので申し訳なかったが、客に声をかけられやすいのが品出しである。重労働と言っても横須賀は上背だけはあったし、力は強くなくともそれなりに重い物が持てた。しなければいけないことを探すのは苦手だが、することがあると安心する気質もある。その中で人に使ってもらえる瞬間は横須賀にとって幸いで、山田が言うことは確かに心当たりがあった。
山田を見たときも、横須賀自身は山田のことを気にしていなかった。見て覚えることが容易な外見ではあった。けれどもオールバックもサングラスも、横須賀にとっては関係なかったのだ。使ってくれる人。山田太郎であることなんて関係なく、横須賀にとってはそれだけで――少しだけ、横須賀は苦笑した。今と当時があまりに違いすぎる。
「本の場所を聞いて、アンタはすぐに案内した。だから会話はほとんどしてなかった。アンタを誘った理由は最初に言ったものとほとんど同じだ。『ご利用いただきありがとうございます』。テンプレを心の底から言えるようなアンタなら、『利用していい』んじゃネェか、って思った」
こくり、と横須賀は頷いた。テンプレがどうかというのはよくわからないが、使ってもらえることは横須賀にとって幸いだ。そして、山田が横須賀を使ってくれたことでここにいる。
利用してもらえなければ意味がない。当時と大きく違うのは、横須賀にとってそれは利用されなくてもいいということと結びつかない点だ。切り捨てられることを当たり前と受け入れられるほどの素直さを横須賀は持てない。オールバックにサングラス、小さな体で背筋を伸ばす山田のそばで使われることを、横須賀は望んでいる。
「ずっと一人で現場にいた。太宰さんたちの支援はあったが現場には連れて行きたくなかったし、俺は一人で出来ると思っていた。――それでも不安はあった。俺は二度ほど逃げている。あの時殴ってでも止めてくれる誰かがいれば、と思いながら、でも巻き込むわけにはいかなかった。
人ってのはどうしても関わりすぎる。暴こうとする人間は邪魔だ。そして俺が選んだとき俺を優先してしまう奴も駄目だ。一人で見つけられず、見つけてもまた失敗するのでは、と思っていた俺に、アンタは魅力的に見えたんだ。使って欲しいという、それだけで幸せを感じそうな愚鈍さ。無理矢理親切を押し売らない性格。使われるだけで嬉しいのなら、切り捨ててもアンタは笑いそうな気がした。
こいつなら利用できる。アンタの無害さと積極性の薄さは魅力で、見通す目は俺にないもんだった。簡単にアンタについても調べた。都合のいい一人暮らし。特に親しい友人もいない。心配については俺の扱う事件の危険性と、なんかあったときの連絡先くらいだったが、それは様子を見て対応しようとは考えた。焦っていたとこもあったんだろうな」
連絡先という言葉に横須賀は少し首を竦めるようにして背を丸めた。右手のペンが少し倒れ、紙が鳴る。
少しだけ息を詰めるような所作に、山田は眉を下げた。
「アンタの連絡先は、幸い時川さんと会って解決した。あの人は相変わらずしっかりした人だな。アンタになにかあったら、と俺に名刺を押しつけてきた。それが原因でアンタに探られると思いはしなかったが、いい縁だったと思う。いい人だ」
「……はい」
神妙に頷く横須賀に、山田も頷き返す。ほんの少しの穏やかさは、すぐに苦笑に変わった。
「とにかく俺の理由は、元々アンタを使い捨てられると思ったからだ。ワトスンについては思いついて言っただけ、そんな神妙な意味を持っているつもりもなかった。……なかったんだがな」
落ちるため息。少し不安げにのぞき込む横須賀に、山田は肩を竦めた。
「俺の目は随分イカレてたようだ。アンタは俺が思うよりよっぽど執念深かった。ここまで踏み込むたァ思ってもいなかったが――んな顔すんじゃネェよ」
すみませんという言葉をぎりぎり飲み込んだ横須賀に、山田が呆れたように言った。ぎゅ、と眉をしかめて漏れそうになる謝罪をかみしめる横須賀の顔に色はない。
それでも目を逸らさない横須賀に、山田はとん、と指で机を叩いた。
「お前は俺のワトスンだよ」
ひゅ、と息を吸い込む音が響く。しかめられていた眉と一緒に瞼が持ち上がり、唇がゆるく開いている。ペンがノートにそのまま押しつけられた。紙の鳴る音にも横須賀の視線は下がらず、少しだけ背筋が伸びている。対する山田はいつもと逆に背を少し丸めてくつくつと笑った。
「現場で俺はアンタにワトスンと言った。アンタだってそれをわかってるから、ワトスンなんだって思ったんだろ。なのになんつー顔すんだ」
「すみっ、あ、え、有り難うござい、ます」
反射で出かけた謝罪に言葉をおろおろと揺らして、ようやく出たのが謝辞だ。はっ、と山田が笑い捨てる。
「悪くない言葉選びだ。……本当に意識はしてなかった。あの探偵達を好む感情は兄のモンだ。だけど確かにアンタの言うように、俺はアンタにワトスンを求めてたんだろうな。どうにも煮詰まった中で、アンタは便利に見えたんだろう。そしてアンタは思ったよりも動きすぎた。アンタのお人好しっぷりは不安であり不快ではなかったが――アンタを傍に置き続けられるほど、俺はイイヒトにゃなれネェんだ」
横須賀の瞳はじっと山田を貫いている。立ち去らないとでもいうような鋭さに、山田は怯むことなく水平気味に眉を寄せた。
「アンタは新山叶子に同情しすぎている」
短い言い切り。横須賀の口が一度開き、言葉を探す。山田はその見つからない言葉を消すように、小さく首を左右に振った。
そうしてから山田はゆっくりと、諭すように言葉を並べ出す。横須賀を見据える所作は静かで、水平に寄った眉と少しだけずれて見えた。
「アンタの新山叶子への感情は俺が言う事じゃない。ただアンタはアレを見捨てられないだろう。俺は俺のケジメのために他人を切り捨てる人間だ。二十三年をかけた執念がある。兄が巻き込んだ男の過ちをすべて終わらせる。アンタがどう感じようが、俺は俺の信念で選ぶ」
横須賀は紙に押しつけていたペンを右手で摘み浮かせ、両手に持ち直した。水平にしたペンの頭をノックして、出したままだったペン先をしまう。ぐるりと両手の人差し指の上でペンを転がすと、右手の中に隠すようにしまった。
はみ出たノック部分が、こつりとノートにぶつかる。
「俺は、それでも、来ました」
「ああ。アンタは来た。俺の予想も勝手な選択も聞かねぇでな。アンタの選択は、アンタのモンだ。そして俺の選択も俺のモンだ。今更アンタを追い払うつもりはネェが、アンタの為に俺がケジメを曲げることはない」
静かな宣言。横須賀は背筋を伸ばし、山田を見下ろした。見上げる山田は声と同じく静かで、しかしそれは長くなかった。
こぼれたのは、微苦笑だ。
「話をしよう。これまでの事件を、アンタは知っている。そしてアンタはここにいる。だから今度は、これからの話だ。――使わせて貰うぜ、ワトスン」
「はい」
どこか悲痛に歪んだ笑みに、横須賀ははっきりと頷いた。