10-5)当事者
最後の言葉で、山田は眉間に皺を寄せたまま片頬だけ持ち上げた。く、と歪んだ笑みは自嘲のようでもあった。
横須賀が拳を固くする。山田はややあって、笑みからため息を零した。
「アンタが調べたこと、その事件について話をしよう。これから俺がケジメをつけるもののはじまりだ。なにがあったか、なにを追っているか。これからどうするつもりなのかを説明するにも、過去がいる。……聞いてくれるか?」
「はい」
ゆっくりとした問いかけに、横須賀ははっきりと頷いた。眉を水平気味に寄せた山田が、小さく笑い捨てる。
「アンタはそういう奴だよな」
声には穏やかな呆れが詰まっていた。そうして、山田は小さく息を吐き閉じると、軽く手を組むようにして改めて口を開く。
「はじまりは恐らく、兄だったんじゃないかと思う。詳しく知っているわけじゃない。ただ、兄の趣味からの推測だ」
淡々と山田は言葉を並べる。もしかすると思い起こしているのかもしれないが、瞳は相変わらずサングラスに隠れているのでわからない。開いた両膝の上に置かれた腕と組まれた手は少し固いように見えた。
「兄は謎というものが好きだったようだ。天体、オカルト、推理小説。どれも自分が知り得ない物を愛し、その中で解明される世界を好んでいた。逸見五月はどっちかというとそう言うモンには興味がなくて、星の話や探偵の友情あたりは好んで聞いたがコアな方面になると引っ込んでいたから具体的にはあんまりわかっちゃいない。ただ兄が読んでいた雑誌は逸見として処分した後山田太郎として調べ直しはしたし、こっち方面なのはわかっている」
こっち方面というのは山田の仕事に関係するということなのだろう。死体部屋にも山田が読む平時のものにも、オカルトを取り扱っているだろうものは多くあった。年数までは覚えていないが、確か古い雑誌もあったはずだ。
「太宰桐悟は兄と親しかった。元々太宰家とは付き合いがあって太宰竜郎と逸見兄妹は従兄弟としても友人としても楽しんでいたんだが、太宰桐悟が来てから更にって感じだったな。太宰桐悟の両親が亡くなり太宰家に養子に入り、しかし最初は気を使って上手くいっていなかった、とは聞いている。それで確か誕生日会をするって名目で歳の近い逸見兄妹に白羽の矢が当たり、大人の思惑通り逸見兄妹はすぐ親しくなった。特に兄と太宰桐悟は同じような趣味をしていた。太宰桐悟は推理小説までは特別どうとは言わなかったものの、星やオカルトを好んでいたんだ。両親が元々星を好んでよく天体観測をしていたらしい」
過去を伝える言葉は穏やかだ。ただ、太宰桐悟の名前を出すときに少しだけ眉間の皺が深くなった。それでも並べられる過去は優しく、そうであったことだけを伝えるような声音だった。
手元の写真を見下ろす。親しい四人の子供は確かにそこにあったのだろう。
「太宰桐悟と逸見藤悟。兄は太宰桐悟にお揃い、と言った。兄弟みたいだとも。ややこしいからあだ名で呼ぼう、なんて話になって、太宰桐悟は
だからこそ詳しくは知らなくてもきっかけは兄だと思う。太宰桐悟は自分から行動しようと言うタイプじゃなかった。兄も基本はのんびりしたマイペースなやつなんだが、興味を持ったことには積極的だったし、普段の会話から予想はしやすい。そうして兄の提案に好奇心で乗ったのが太宰桐悟だ。――二人が
は、と山田が息を吐いた。星陵の丘。開いたノートの上、調べた文字をなぞる。そこにあるのは星陵の森だ。
星が落ちて、黒い穴に星以上のまばゆさで気が狂う。星の言葉で知恵を、近づきすぎたら声を奪われる。山田の兄は会話すら不自由になった、とのことだったか。
「星陵の森の先、星陵の丘。星自体は逸見五月も太宰竜郎も好んでいた。それなのに天体観測と言って二人だけで行ったんだ、元々
そうして行った先で太宰桐悟は消え、戻った逸見藤悟は支離滅裂な言葉を呻くだけでまともな会話が出来なかった。痙攣や硬直、一瞬会話が成り立ったかと思ったら前後がまったく繋がらない、大半はなにも話せないか小さい声で何かぶつぶつと繰り返していた。今考えると、恐らく異常なモノと遭遇したんだと思う。テメェはそうマズくなんなかったがな、いくつか山田太郎が調べた事件ではそちらに順応してしまった連中を見る機会があった。前言った『次元違い』、その異層になっちまったんだろう。
だがまあ、当時はそんなこた知るわけねぇ。兄は入院することとなり、両親は突然のことを受け入れられずに医者を捜し治療を模索していた。特に母は神経質になっていったな。どうしようもない事だとしても、んな簡単に受け入れられないもんだし、生きている限りはどうしようもないと言い切ることもできねぇ。治るかもしれない、は存在する。その為に必死になることを馬鹿には出来ないだろうし、俺も兄が治ることを祈ってはいた」
山田の肩が上下する。静かに繰り返される呼吸を見ながら、横須賀はノートの中心に置いたままだったペンを握った。
なんとなく、赤月を思い出す。母親というものと、子供の関係。横須賀にとって遠い物語は、ある人にとっては当たり前の物語でもある。
酷く優しく厳かなものにであるはずの感情は、同時にずしりと肺を重くした。
「兆候はあったかもしれないが、もう一つの転機は突然に思えた。神経質になり病院だけでなく民間療法まで手を広げだした母を見続けることが苦しかったのかもしれない。目を逸らしたつもりはなかったが、それでも確かに逸見五月は治らない兄、焦燥する母を見守りきれなかった。
八月十一日、することがある、と母が夜に出かけて行った。その時聞いた行き先は印刷所。父はまだ帰らなかったので、そちらの手伝いだと逸見五月は認識した。兄の病院、母の状況、そして会社のこと。逸見五月は少しだけその時安堵したのを覚えている。ずっと母は兄のことでいっぱいいっぱいだった。家事をあまりしなくなり、逸見五月が代わりを少ししたがすべてには成り得ない。父の支えには足りず、兄や母を案じ父を案じながら至らなかった逸見五月は、母の視線が父に向いたのを好意的に見ていたんだ」
言葉が止まる。五秒ほどの間の後、山田の眉間に皺が寄った。水平気味の眉と少し下がった頭。そうしてから肩がすう、と下がる。組んでいた手を開き太ももの上で拳をもう一度作り直して、山田は顔を上げた。眉間の皺は戻っており、しかし唇の端は少し引き下がっていた。
「――母と父は、深夜になっても帰らなかった。逸見五月にとっては起きている時間ではない。先に寝ようかと思ったが、夏休みだ。落ち着かない心地で待っていたが、連絡もなにもない。事務所に電話はしてみたが意味はなかった。本来出かける時間ではない、と思いながらもそのままでいられなかった。寝間着から着替え、懐中電灯を持って外に出た。
もし入れ替わりになってしまうにしても、会社への道は決まってるのですれ違うはずだ。それでも、念のため書き置きだけ残した。夜中のもう二時、これから朝に向かう時間だった。罪悪感で随分あたりを見ながら向かったが、幸い誰かとすれ違うこともなく会社に着いた。さすがに機械がこの時間動いているわけもない。従業員は誰もいなかったし、なにより事務所に明かりがあった。ほっとした、のを覚えている。両親がそこにいるんだ、と思った」