台詞の空行

10-4)回答

「……テメェは本当、イカレてる」

 長いため息と共に吐き出された言葉は相変わらずの評価だった。身を固くして顔を上げない横須賀に、山田はつり上げた眉を少しだけ和らげ笑みだけを作る。

 は、と勢いよく酸素を吐き捨てた山田は、どさりと大仰に椅子に背を預けた。天井を仰ぎ見るようにして、先ほどの笑みを消す。

「二十三年」

 落ちた言葉に、横須賀が顔を上げた。叱られるのを待つ子供のように伺い見る横須賀に、山田はもう一度、今度は小さくため息を吐いた。

「二十三年だ。テメェが生まれて今に至るまでと同じような時間でもって、山田太郎は存在している」

 ある意味では同い年ってやつだな。そう笑うと、山田は天井から横須賀に視線を戻した。笑い損なったような笑みは山田太郎を作って、その内側の感情を半端に殺している。

「まさか時川さんに会うと思ってなかったのは、俺の想像力不足だったな。ガキの頃だったがあの人は随分変わらない。髪の色だとか皺だとか関係なく、背筋の伸びた洗練された雰囲気の人だ。正直ぎょっとしたし、誤魔化すために発言したのは失敗だった」

 はは、と笑う声が転がる。楽しげと言うよりもどうしようもなさが含まれたような音は、眉間の皺と歪んだ口元によく馴染んでいた。

 山田が椅子から背を離し、少しだけ前のめりになる。視線がどこをみているか、サングラス越しではわからない。それでもその顔の向きから、もしかすると写真を見ているかもしれないと思えた。

「ワンピース、だけだ」

 ぽつ、と落ちた声は小さかった。独り言のようなその言葉を拾い上げ、なぞる。そうして意味を探す前に、山田は写真を摘んだ。

「逸見五月に関係する物は捨てた。太宰さんの家に元々あった物や向こうが引き取ったものは別だが、逸見家にあるもので俺が把握しているものはほとんどすべて、だ。写真すらない」

 山田の親指が写真にそっと触れる。撫でるようななぞるような所作は、すぐに写真の縁に戻った。

「それでも、ワンピースだけは残しちまった。馬鹿みたいだがな、最初はとっととケリつけて、墓参りの時に着ようって思ってたんだよ。人の格好に興味ない兄が唯一、かわいい、と言ってくれたそれだけで。……それだけで残していたんだ」

 本当馬鹿だな、と山田が呟く。否定の声は出せず、しかし横須賀は首を横に振った。山田にとっては自身と逸見を繋げるものが失敗だというのはわかる。それでも横須賀にとっては山田と逸見を繋げてくれた大切なものだ。それに、思い出を馬鹿だなんて思えるわけがなかった。

「特注でもなんでもない量産品、他の人間にとってはどうでもいいモンだろうと思った。言い訳のような物だったかもしれないがな、でもそう宥めて死体部屋につっこんだ。下手に整理しすぎると持ち主の感情が出る。できるだけ片づけないようにして、それでも着れなくなってしまうのが惜しくて。この歳になったらもう着る着ないって問題でもなくなってた、未練ったらしい死体でしかなかったんだが」

 山田が大げさにため息をつく。はじくように机の上を滑らせた写真を横須賀が慌てて掴んだ。山田の表情は、サングラスに隠れている故に見えない。けれどもその口元は少しだけ緩く笑みを吐き出したようだった。

「執着しない奴だと思ったが、見誤ったな。そんなとこまで拾い上げるなんて思わなかった」

「すみませ、」

「謝るってことは話を終いにするってことだぜ横須賀さん」

 にやりと笑った山田の言葉に、横須賀はびくりと体をこわばらせ口を噤んだ。きゅ、と唇を結び直して、じっと山田を見る。

 まるで、これなら大丈夫ですかとでもいうような視線に、山田はくつくつと笑った。

「終いにする気がないなら、その言葉は暫くひっこめとけ。たかだか個人が他人を動かすことなんざ出来ネェんだ。探るアンタを止められなかったのも見誤ったのも糸口を捕まれたのも俺だ。俺のモンをテメェのモンにされるのは趣味じゃねぇ」

 眉間に皺を寄せた揶揄するような笑い。少しして、眉尻が下がった。つり上がりぎみに描いているためわかりづらいが、それでも少しだけ穏やかな色が入る。

「アンタの推察はだいたい間違っちゃいない。元々背格好があんまりないからどうするかと考えたが、こんだけ逆にしちまえばなんとかなるモンだな。特に人から好まれない外見だ。下手な奴には絡まれネェし、絡む奴はよっぽど阿呆か理由があるかだ。名前についてもご名答。ジョン・ドゥやら名無しの権兵衛みたいなもんで、まあ本名隠しが理由だと思われればそこで大抵止まる。実際本名は隠しているし、結構便利なもんだ。人は思いこみで動きやすい」

 山田の言葉に、横須賀は頷いた。確かに平塚もそのような認識だったと思う。本名より先を意識はしづらく、思い至れば心当たりがいくつも思い出されるのに、思い至らなければすべて流してしまっていた。

 横須賀だって、山田から拒絶されなければ考えもしなかっただろう。逸見家の話を聞いたときも、最初は逸見藤悟を想像した。

 それでも逸見藤悟が会話すらできないような症状で病院にいたことやオカルトや推理小説が好きということが別の可能性を示唆した。そうやって歪を拾い上げれば、山田の外見は男性ととるよりも女性ととる方が自然すぎた。人が骨格を歪め誤魔化すことは難しい。リンのような化粧や衣装で覆い隠すものですら、見える手の形、その体格からやはり男性と聞けば納得できてしまうのだから当然とも言えるだろう。

 けれどもその当然を、山田は所作と態度で隠し続けてきた。その理由を思うと、思考が重くなる。それでも沈まないように、耐えるように横須賀は顔を歪めた。

「ただ、山田太郎と太宰竜郎については偶然みたいなモンだ。日本人なら大抵サンプルになりやすい有名どころを使った、その程度の理由。……まあ、一緒にやりたい言われたときに宥めるのには使ったがな」

「一緒には、しないんですか」

 山田の言葉に、ぽつりと横須賀が疑問を挟んだ。しかしそれは疑問と言うより確認に近かったかもしれない。山田がリンを現場で動かさないのを、横須賀は見てきた。

 案の定、山田はあっさり頷いた。

「リンには悪いが、これは俺のケジメだ。正直アイツのツテで随分協力してもらっているのに現場に連れて行く気はない。これ以上はいいんだ」

 もごり、と横須賀の口元が動いた。リンはおそらく山田の傍を望んでいる、と思う。けれどもそんなこと山田はわかっているだろうし、しかし黙ったままでいるには共にいることを拒絶された側に入る横須賀自身が落ち着かない。

「太宰さんに申し訳が立たねえんだよ。太宰桐悟がいなくなって、逸見家もああなった。十分してもらっているし、太宰さん自身も多くを失っているのに俺の都合で太宰竜郎になにかあったら詫びても足りねえ。これは山田太郎の仕事だ」

 淡々と山田が言う。やはり視線をさまよわせ言葉を探す横須賀に、山田は続けてため息を吐いた。

「……正直、俺も耐えられネェよ。親も兄も、義理とはいえ親しかった従兄弟もああなって、唯一残ったリンまでなにかあったら、そしてまた俺がなにもできなかったら、俺は俺を許せないし、もう、無理だ」

 声は小さかった。ぐ、と横須賀は溜まった唾を飲み込む。うまく声にならない言葉が一緒に嚥下えんげされ、しかしアバラの内側で引っかかる。

 それは多分、リンも同じではないだろうか。けれどもそれは既に二人で論じられた後なのだろう。山田が小さくかぶりを振った。

「従兄弟といっても、二人とも友人だった。仲良くさせて貰ってたんだ、こればっかりは俺の勝手だが勝手を貫く。この環境の支援だけで迷惑かけている状況で、危険にあわせたくはネェ」

 は、と仕切り直しとでも言うように山田は息を吐き捨てた。横須賀を見上げる表情は少し険しい。眉間に寄った皺は、おそらく日暮と同じように感情を伝えるための物だろう。

「だからずっと一人でやってきた。逸見五月を殺して山田太郎として、事件を追いかけた。探る為のモンだ、随分勝手をしてきたし、相棒はいらなかった。
 テメェが言うように俺は俺の情報を抱えている。暴かれても面倒で、信用出来る奴を探すのも難しい。下手にお人好しを捕まえてそいつに気を使われても厄介だ。俺のケジメの為に他人を巻き込む訳にはいかネェ。そう思って、一人でやってきた。事件を追いかけて答えが見つからず、残したワンピースに袖を通そうなんて思えなくなるほどの時間。逸見五月として生きた時間よりよっぽど長く山田太郎で居続けた。――それがこのザマだ」