10-2)推論
「一つ目の嘘はわざとわかりやすくしたんでしょう。山田太郎という名前が偽名ならば、身分証がない理由は単純に貴方の本名だけになる。貴方が本名と一緒に隠そうとした貴方自身――女性であるということまで思い至る可能性が低いと考えて、その名前を選んだ。リンさんがツカサと名乗るのはその延長でしょうか。
横須賀の並べる言葉に反応はない。表情の変化も読みとれない。表情を作れないと言った日暮の方がよほど反応を示していたと思う。
それは日暮が示そうとしたからで、彼が言葉を用いたからだ。
話すことなどないと言った山田が示さないのは当たり前のことだと自身を宥めながら、横須賀はそれでも変化を見つけようとじっと見続ける。
「お兄さん、ご両親、そしてお二人と続いた事件から考えて、貴方は自身を隠しながら事件を追っていたのだと思います。そして嘘が少ないから、女性と考えると納得がいきます。シャツから透ける薄手のベストを防刃ベストだと貴方はいいました。事件が危険だという主張はわかる気がします。でも、わざわざシャツの下に着ているのは単純に脱ぐ必要がないからではないですか? 例えなにかあったとしても、軽率に脱ぎがたい状況になります。だとしたら体を守る以外にも、体のラインを隠すためなのかと思いました。そうして当たり前みたいに隠して、貴方はほとんどそのままにしている」
サングラスに横須賀が映っている。濃度の高いサングラスは、決して透けない。
「サングラスに隠したのは顔立ち。でもきっとそれは隠すよりも飾る方が強いのだと思います。できるだけ外れないように振る舞いながら、貴方が失うことを考えないわけがない。きっちりとしたオールバック、整えた眉を本来より大仰につり上げ描いて、飾るサングラスでの見え方を貴方は意識している。リンさんのように喉元を隠さないので、喉仏がないことはわかります。それをきちんとノリのきいた襟と赤いネクタイで意識させない。隠さないことで当たり前にしている。貴方の特徴は全部最初からそこにあった」
はく、と一度唇を奮わせ、横須賀は自身の人差し指と中指を右手で握った。横須賀の手はその体に見合った大きさで、少しかさついている。骨が太い横須賀の関節はごつごつとしていて、血管は浮き出ている。
腕を組んで今はわかりづらいが、山田の手はつるりとしていて、細い。小さな手の先でやけに深く切られた爪は、本来の形がわかりづらい。
山田の手はリンや横須賀よりも、赤月のほうに似ていた。
「狭い肩、綺麗な喉、小さくて細い指先。男性でもそういう人はいるかもしれません。女性的な方はいらっしゃるとは思うんです。でも、貴方のそれはこれまでと結びついて、別の意味になってしまう」
絶対あり得ないと言い切るには横須賀は多くを知らなすぎる。けれども絶対を用いない程度には、横須賀は覚えることが苦手だと言いながらも知識を得てきたのだろう。
そして一般論と山田を比べ考えられる程度には、横須賀は山田を見続けてきた。
「貴方が触られるのを嫌う意味からも言えます。触れられるのが単純に苦手な方もいますが、最初貴方は汚いと言いました。だから汚れが苦手なのかと思っていましたが、単純にそれは触られた時に拒絶する理由だったんじゃないかなと今は思っています。だって貴方は、自分から俺に触ることを躊躇わない。俺があの黄色い色薬にまみれた時ですら、貴方はなんの躊躇もなく手を取った」
あの時捕まれた腕を撫で、横須賀は息を吐いた。山田の所作は大仰で、指先まで綺麗に伸びた役者じみたところがある。だからこそその余裕が無くなった時が山田の本質なのではないだろうか。
俺の手柄だと言った叫びの意味が、少しだけ染み渡る。今更だ。今更でもあの言葉、あの叫びの意味が内側で転がる。
「逸見五月さんは花が好きだったとも聞いています。園芸委員だってきっと好んでやっていらっしゃったんでしょう。庭が好きと言ったあの言葉は、本当だった。秋山さんから聞き出すための話術ではあったと思いますが、貴方は簡易な嘘を重ねることを好まない人です」
嘘を吐けばその嘘を貫くために嘘を重ねることになる。嘘の負債が知らないところで降り積もることを好まない山田だ。もし好きでなければ別の言葉選びをしただろう。
偶然かもしれない。嘘かもしれない。けれども嘘を最低限とするなら、すべて本当に受け止める方が横須賀にはあっている。そしてその中で違和感の強い部分だけを拾い出せばいい。
「――だからきっと、ホームズを読んでいないのも本当なんです。そしてだとすると、興味ない貴方がホームズ、ワトスンと言う意味が出来てきます。一般的に有名な映像作品、興味ない人間が耳にしやすい範囲でいうなら、ホームズの相棒はワトソンです。けれども貴方が言うのはワトスン――文庫本の訳に多くある呼称です」
「くだらネェな。もし最初だけ読んでたらどうする? 有名どころ、学校で少し読んだだけでやめたのかもしれねぇぞ」
面倒くさそうに山田は一蹴し、それからくつくつと笑う。
いえ、と小さく否定し、横須賀は目を伏せてノートを見た。絶対ではないが、単純なことがある。
「その可能性は低いです。小学生の時に読まれていたら断言できませんが、貴方が通った中学校にあった本はおそらくワトソンです。読んだ方から名前を確認しました。
それになにより、貴方は俺がグレグソンと言ったときそのままグレグソン、と返しています。知らなかったんでしょう? ワトスン、ワトソン表記はそもそも翻訳の関係です。ワトスンと呼ぶ人にとってグレグソンはグレグスンです。そしてグレグスンは、最初に事件を運んできた名前です。貴方みたいな人が事件が始まる前に読むのをやめるとも考えづらいです」
横須賀の言葉に、山田は笑うだけだった。ほとんど反応が返らない中で挟み込まれるのはその推測が無駄だとでも言うような表情ばかりで、横須賀は小さく息を整える。
並べた言葉をしまってはいけない。ひたすら山田に見てもらうしかないのだ。自分の調べたこと、自分が知る山田、自分の願いを。それが不相応だとしても、横須賀は選んだのだから。
「俺が調べたことは、多くないです。だから偶然とかこじつけ、と言われることもあるとは思っています。でも、思うんです。特殊な事件、貴方の言葉、貴方の姿、貴方の周り――リンさんの言葉や、飯塚さんがおっしゃっていた昔のこと、時期。それら全部があまりに繋がりすぎている。ひとつひとつなら偶然かもしれない。でも、これだけ重なっている」
「……それで?」
山田が、静かに問いかけた。組んだ足と腕を下ろし開いた足に右肘を立てて、頬杖をつく。
「状況推論大いに結構、それはテメェの自由だ。ただまあ、それ以上にはなりえネェがな」
笑いが吐き捨てられる。横須賀は眉をしかめて俯いた。確かにそれ以上には成り得ない。けれどもその中の一つが正しいことを証明することはひどく簡単だ。
想像つかないわけがない。相手は山田だ。確実にわかっているだろうに、山田は態度を変えずあざ笑う。
横須賀の膝の上で、紙が音を立てた。俯いた顔を再び上げる。