台詞の空行

8-13)願い

 笑いながら、山田が横須賀を見上げる。穏やかな賞賛に横須賀は身を固めた。見返すしかできない横須賀とは反対に、山田はそのまま横須賀が調べることだとか読みとることだとかを簡単に木野に教える。

 事件のことになると伏せることが多いので簡易であり省略したものだったが、こういった穏やかな会話での賞賛は随分とくすぐったく横須賀は固まった体を小さくした。なんだか光栄すぎて落ち着かない。嬉しさとなじまないことに心がざわつく。というか、今日は特にざわついてばかりなのかもしれない。対する木野は、少しだけ眉をしかめて笑い返した。

「そう念を押さなくてもわかりますよ。相性がいいんでしょうねぇ」

「相性は関係ないでしょう」

 軽い木野の言葉に、山田がぴしゃりと答える。冷たいわけではないが山田の平坦な声は木野と反対で、浮かない故にやけにはっきりと響いた。

「確かに合う合わないというものは存在します」

 声の調子を変えないまま、山田が言葉を重ねる。その顔は木野を見たままで、横須賀は眺めるだけしかできない。

「縁だとか運だとか言われるものも私は否定しません。そういったものの定義については面倒なのでおいておきますが、その言葉が利用される必要がある場合は確かにあります。否定するメリットはない」

 静かな断言。そうですね、と木野は首肯した。はい、と頷いた後、「ですが」と山田は更に言葉を重ねた。

「それでも彼の仕事の出来、私にとっての結果は相性という曖昧なものより彼の力に寄るものだと思います。彼の作業は、どちらかといえばシステマティックなものと言えるでしょう」

 山田の言葉がつらつらと並び、途切れる。それまで真顔のまま言葉を重ねていた山田は、そこで少し大げさに肩を竦めた。

「まあ私に対してさほど怯まない、無駄に探りすぎないというのは確かに私にとっていいことだったとは思いますがね。その点で言えば否定はしきれませんよ」

 は、と漏れた笑いは揶揄するような音だった。山田の外見からすると当然ありえるだろう憂慮をジョークのように言う様子に、木野は指摘こそしないものの苦笑した。

「それも含めての縁と相性、ですよ。ねぇ横須賀さん」

 突然同意を求められ、横須賀は肩を揺らした。ついつい跳ねがちな体を揶揄することなく、木野は横須賀を見上げている。

「使ってもらえて、うれしい、です」

 確かに縁なのだろう。最初に誘われた時に関して言えば、その業種に怯んでいた。けれども今、横須賀は仕事を好んでいる。

 後悔や苦しさは存在する。それでも、たとえなにも出来ないことや足りなかったことに焦燥しても、自身が使われることの感謝は確かにある。

 山田の側で働くと言うことには、確かに横須賀にとって望ましいものなのだ。だからこそ山田が横須賀を褒めるような言葉は落ち着かないだけでなく、光栄で、有り難いと思う。

 足りなくても知ることが出来れば、というのは自分勝手だと思いつつ横須賀の願いじみたものでもあった。教えて貰えない中でも微かに縋る心地で探す。聞くことも探ることもできないのだから、なにかあったときに得ておきたいと考えてしまう。と言っても先ほどのようにわからないままなにをしているのか、という問題もあるが――それでも、無いよりかはいい。調べる時に大事なのは情報の精査で、捨てることではないのだとも思う。

「使いやすい奴ですよ」

 山田は横須賀の言葉にしばらくなにも言わなかったのだが、木野の視線を受けてあっさりと返した。くる、と右手の指先が左手の中に隠れる。とん、と左手の指が右手の甲を弾き、しかしそのまま動かなかった。

「気軽なのはいいですよね。私もそれなりにフットワーク軽いつもりですけど、そう思って貰えているといいなぁ」

「木野さんなら大丈夫でしょう」

「有り難うございます」

 へへ、と木野は山田に答えると、一度視線を奥の机に向けた。誰も座っていない机は木野の机とは対照的に、すっきりと片づいている。おそらく室長の机だろう。

 無駄な物が置かれていないその机は、しかしよくみると小さな置物やメモホルダーなどがあるようだった。遠目でわかるのは小さな花の絵があるペン立て、月とうさぎがかたどられているメモホルダーぐらいだが、すっきりしているのに飾るものが当たり前のようにあるのはリンらしく、横須賀は目を細める。

 持ち主の『好き』が見える瞬間は、横須賀にとって好ましいもののひとつでもあった。メモホルダーにはなにも挟まっていないが、存在しなくてもそこに人の香りがするように思える。

「太宰室長は忙しい人なんで、それなりに気安く頼んで欲しいなあとは思っているんですよね」

 机を透かしみるようにして、木野が言う。表情は優しいが、伏せる瞳は少し寂しげだ。

「でもまあ、さっきも言ったように私に頼めることとか言えることとか種類が色々あるみたいで。そりゃ太宰室長の立場から仕方ないとは思っているんですがやっぱうん、感じない訳じゃないんですよねぇ。だから実のところ山田さんの言葉は羨ましいって思ったりもします。どうしようもないんですがねぇ」

 いいなー横須賀さん、と呟かれ、横須賀は頭を下げた。

 慣れない言葉になにかを返すことを、横須賀はあまり上手にできない。といっても木野の言葉は羨みを含んでも返事を求めるものではなかったのでそれで丁度良かったのかも知れない。思い浮かべたのは先ほどの木野の言葉と、飯塚の助けを受けた後の、リンの――ツカサの様子だった。穏やかにリンは笑うが、話さないと決めたことはきっとそのままなのだろう。

 情報屋として、そして情報管理室の人間として正しいことなのかもしれない。木野もそう思っているのか、仕方ないんですけどねえ、と言葉を落とした。

「手伝えること手伝えないこと、仕事だから区分もありますしできる範囲をって思ってはいます。わかってはいるんです」

 言い訳のように、木野は言葉を重ねる。浮かべた笑みは微苦笑だ。わからないままはしんどい、そういった先ほどの言葉が、声が香る。

「中々こればっかりは私が願ってもどうしようもないものですから、十分承知の上、です。不相応な願いとも思いますよ。でも感じちゃうことはさすがにどうにもできないといいますか――さっきも言いましたが、こればっかりは下っ端の悩みですねぇ」

「木野さんは、大丈夫ですよ」

 山田が穏やかに笑って宥めた。だといいですねえ、と木野は頭を掻くものの、微苦笑はそのままそこにある。

「太宰が選んでいるんですから、私はそれを疑うつもりはありません」

 山田の言葉は言外に疑うんですかと問いかけるようなものがあった。眉を下げた木野の表情は、寂しげであり少し諦めるような形にも見える。木野は息を吐くと、微苦笑をゆるりと深めた。

「ですねぇ。選ばれる側としたらそれを信じるしかないです。それでも選ばれるためにがんばりたいって思うくらいには気に入っている職場ですからねぇ」

 山田はそれに答えず、つい、と顔を動かした。出口に向いたその動作に木野と横須賀もつられるようにそちらを見る。

 扉が開くのに、さほど時間はかからなかった。

「太宰室長、お疲れさまです」

「お疲れ木野さん」

 木野の出迎えにリンは軽く会釈をした後、室内をぐるりと見渡した。山田が立ち上がるのを見て、横須賀も慌てて続く。

「お待たせ、太郎」

「手間かけさせたな」

「手間じゃないよ。そういうこと言うなって」

 山田の言葉に、リンが眉を下げる。少し寂しげな表情に山田は苦笑した。

 リンの言葉はそれだけで、他に続く言葉はない。とん、と落ちた言葉をそのままにして、山田はするりとリンの傍に進んだ。机から離れた二人に木野は会釈だけすると自身の机に戻る。最後に一瞥だけして離れた木野に、横須賀も会釈だけ返した。

「とりあえず必要分は揃ったけど、どうする?」

「外で聞く」

 短く答えて、山田がリンと入れ違うように扉に向かった。リンはひとくくりにした髪を揺らすと、そっか、と呟いて木野を振り返る。

「木野さん、ちょっと見送りしてくるから」

「リョーカイです、いってらっしゃーい。山田さんと横須賀さんはお疲れさまですー」

 声をかけられぐるりと椅子ごと振り返った木野は、軽い調子で手を振った。山田は声を後ろに聞いたまま扉を開き、リンは木野に片手を上げて返した。

 二人の様子を見て横須賀はリンに倣うように手を上げた。それからゆるゆると木野を真似るようにして手を振るのを見て、木野は止まっていた手をまた三度ほど振って、笑う。

「頑張ってくださいね」

「はい」

 穏やかな声に横須賀は少しだけ首を傾げ笑い返した。