台詞の空行

8-12)待機

 * * *

「すみません、お待たせしました」

 室内に入る時の木野の第一声に、横須賀は少しだけ肩を揺らした。椅子に座って書類を見ていた山田が、その手を止める。

「おまたせしまし、た」

 遅れて続けた横須賀に、山田は書類を置いた。そうしてから横須賀を見上げる口元には笑みがある。

「予定の時間にゃ間に合ってるだろ。いないのは意外だったが、まあ別にいい。好きにしていいと言ったのはこっちだしな」

 笑みだけでなく、そう言う声もどこか穏やかだった。よかったですと先ほどと同じ位置に座った木野を見て、横須賀もおずおずと机に近づく。

「座ってろ、ツカサに確認頼んで待ちの段階だ」

「確認?」

 何故だろうか。笑う表情は平時の挑発するものと違って柔らかいのに、それがやけに落ち着かない。不安を疑問に変えて復唱した横須賀に、ああ、と山田は頷く。

「必要な話はおかげで聞けたからな。あとは確認作業だ。嘘だった場合早めに対応が必要って理由だが、まあ大丈夫だろ。待つだけだ」

「成果があったようで何よりです。じゃあ一緒にお喋りして待っていましょうか」

 楽しそうに声を上げる木野に、横須賀は口角を持ち上げて笑い返した。お喋り。不思議な心地で隣に座る。

「なに見てきたんだ」

「え、っと、本を」

 答えて横須賀は首元に手を置いた。どこまで答えていいのかわからない。窺うように木野を見ると、木野はあそこですよ、と、軽く言った。

「太宰室長に任されてる部屋です。私の管理している本見てもらいたくてですね」

「なるほど、貴方はいい切り口で見つけてくると太宰も言っていましたよ」

「わは、嬉しいですね。照れます」

 そのまま和やかに会話しだす二人の様子を見ながら、横須賀は小さく、あの、と声を漏らした。しかし小さすぎるのか、二人は横須賀を見ない。

 近くにいる山田になら届いているかも知れないが、山田はあくまで木野の方を向いていた。

「あの」

 もう一度声を出すと、木野が横須賀を見上げた。途切れた言葉と視線で、横須賀は申し訳なさそうに背中を丸める。

「山田さんが聞いてきたことって、その」

「別に聞かなくてもいいことだ。結果さえあればそれで、な」

 は、と笑う山田の言葉はある意味予想通りと言えただろう。話す気がない、という様子に横須賀は眉を下げた。

 二人の様子に、木野が苦笑する。ええと、と言う声は先ほどの明るい調子よりもやわらかく、少し寂しげでもあった。

「結果だけでなく過程も大事とは思いますけど、山田さんも室長もちょっとそういうとこありますよねぇ。太宰室長、普段は細かく話すのにものによっては端的すぎて下っ端は戸惑うんですよぉ。ね、横須賀さん」

 木野に同意を求められ、横須賀はちらりと山田を見た。はは、と笑うだけで、山田は木野を見たままだった。横須賀に向かない視線は、いつものことのようにも思う。けれども先ほど出迎えた笑みとちぐはぐで、横須賀は眉をしかめた。

「……はい」

 とはいえそれを指摘する、という選択肢は持たない。戸惑うという木野の言葉に対し小さく頷くだけの横須賀に、ですよねぇと木野が同意した。木野の視線に対し、山田は肩を竦めてやや大げさに息を吐く。

「上も上なりに色々あるんですよ。終わればよしとしてください」

「まあ文句言える立場じゃないんですけど、下っ端のことも考えてくださいよって話です」

 ああでも横須賀さんを下っ端っていったらいけないかな、と言う木野に、言いたいことはわかりますよと山田が答える。二人を見ながら、横須賀はポケットのメモをもう一度撫でた。

 基本的に横須賀は聞く方が多い。言葉の多い木野とその合間に差し込むように相づちを打つ山田に混ざることも出来ず、結局あの部屋で見た本に思考をずらした。といっても、なにか手に入れられたと言えるようなことはないのだが。

 雑誌は木野が薦めた範囲だけ。そこからさらに読んだのは、星の降る丘の話。

 ちらり、と山田を覗き見る。山田が何を知っているのか、横須賀はわからない。資料係として、という言葉と、考えるな、が、重なって、今伝えない知り得たことが浮いている。

「山田さんは博識ですね」

「いえ、偏ってますよ。最初に言ったように、私はあまり物語に詳しいわけではないので。民話は仕事柄関わることもありますが」

 聞こえた音に、思考がまた、ぐるりと巡る。山田の仕事を横須賀はあまり知らない。死体部屋から察する力は持たないし、山田は過去を語らない。そして横須賀自身、語らないものを聞こうとはしなかった。

(なに、を)

 先程の木野の言葉が浮かぶ。知識が力になるとして、自分はなにを探しているのか。なにをしたいのか。なにが問題なのか。そういったものを考えることは横須賀にとって少し難しい。難しいのに、なにかが引っかかる。なにかがずっと、降り積もっている。

(五藤黒務)

 山田が語りたがらないのは、その人物のせいなのだろうか。語らないと山田が決めたことを横須賀は知り得ないだろう。木野も、五藤黒務についてはさほど知り得ないと言っていた。

 五藤については、珍しい名前、とは思う。しかしペンネームならどういったものでも不可思議さはないだろう。翻訳家に詳しいわけでもないので、横須賀は結局それ以上を知り得ないままで終わった。横須賀の先ほどの問いに対して山田が答えないのだから、きっとどうしようもない、とも思う。どうしても引っかかる思考はあるが、どうにもできないことに変わりはない。

 五藤について聞かなくても、例えば雑談のように星陵の森について話せばいいかも知れない。先日三浦の時に行った場所から近いのだから、そんな場所があったんですね、くらいに言えばいい。けれど横須賀は、なんとなく言葉にしづらかった。

 あの時三浦よりも優先して何をしていたのか、山田は答えていない。それなのに終わった事件を探るようで心苦しいのと、何故気になっているのかが言語化できない故にあの民話について言葉にできなかった。

 それに、星陵の森の地図からわかったこともさほどない。情報を得たと語るには少なく、尋ねる根拠もないままただメモだけが残っている状況だった。

 地図を見たことで場所はわかったが、そもそも現存する森なので本を読まなくてもわかる情報のはずだ。それもあって、木野は先に雑誌の話を見せてくれたのだろう。

 調べてしまえば場所については単純だ。先日の工場からそのまますぐ、という距離ではなかったが遠すぎるものでもない森は、徒歩で三十分程度のものとネットのマップで出せた。舗道があるわけではないので、人が入り込みづらい場所らしい。名前は美しいが観光地としては扱われておらず、民話の中でも普通人が入らない場所とされていた森についての情報は、多くないが少なくない。

 民話がどれほど広まっているかはわからないが内容はあっさりとしたもので、四ページほどで簡単にまとまっていた。

 家族を失った男がいた。男は、近くに星が落ちたという日に、隣人と共に丘に登った。そうして星の落ちた場所に向かうと、まばゆすぎる光の中響いた声が美しくあったという。男はひざまずきこうべを垂れ、作物の為の知識を得た。隣人は声に惹かれ近づきすぎ、その言葉を奪われた。

 ある日、男は夢を見た。失った家族を男の元に戻す為の作り方、隣人の言葉の取り戻し方。どちらかしか叶わず、男は隣人の言葉を選んだ、という内容だった。

 花水というライターが書いた狂りは、この内容と色薬を結び付けたものだった。なぜ元に戻すことと言葉が同時にかなわなかったのか。集めれば願いが叶うというのは王道で、ならばきっと男は全ての色を持っていて、それを混ぜたのが白じゃないのか、といった話だった。そして色薬を使ったものは黒に戻るというのは、薬を餌にして増幅するためのなにかがいるのではないか、という、書き手曰く与太話からなりたつものだった。

 与太話、というが、横須賀はつい考えてしまう。森、星、黒、知恵、言葉を奪われる、失った家族。並ぶ言葉はそのままだ。ただ、浮かんでしまう。山田が度々言う、イカれる、という言葉。秋山、直臣、子途。

「いいコンビなんですねぇ」

 木野の言葉に、横須賀は思考から浮上した。顔を上げた横須賀を見て、木野が微笑む。

「目が悪い代わりなら、だいぶ信頼しているってことでしょう」

(代わり?)

 リンと山田の関係は、代わりというには違うような気がして横須賀は首を傾げた。少しの沈黙の後、まあ、と山田が呟いた。

「嘘を付くような奴じゃないんで、便利ではありますよ」

「確かに横須賀さんはそんな感じですよねぇ」

 よく知らないけど向いてなさそうです、と笑う木野に、横須賀はぱちぱちと瞬いた。よこすかさん、と口の中で繰り返す。ややあって驚いたように横須賀が目を丸くすると、山田は面倒くさそうに椅子にもたれかかった。

「一人が当たり前だったので必要はないんですがね、便利なら使った方が楽でしょう」

「必要ないくらいがいいんですよ」

 ふふふ、と木野が呟く。楽しそうな声は語りかけるものであり、どこか言い含めるような調子があった。

 必要ない、という言葉は横須賀にとって当たり前であり空しいものでもあるのに、木野はそれが愛しくてたまらないと言うように目を細める。

「依存しなくて丁度いいと?」

「あー、まあ依存はアレなんでそれもありますけど、でもそれじゃないですよ。依存って言うより何というか私個人の感覚なんですけどね」

 山田の言葉に木野は頬を掻いた。少し照れたような小さな目は、それでも愛しさをかたどるように弧を描いている。

「必要ないのに側に置くってことは、選んでるってことじゃないですか」

 えらんでる。言葉を横須賀は心内で復唱した。山田が眉間に皺を寄せる。

 いまいち横須賀には木野が笑う理由を理解できない。山田は仕事をするとき、考えるのは俺だという。だからたくさんのことを一人で選び続けただろう。考えれば考えるほど当然だろうと言える当たり前のことを、木野は貴重なことのように笑うから不可思議だった。

「いいですよねぇ」

「……仕事なんてそんなものですよ」

 しみじみとした言葉に、山田が呟く。ぱち、と瞬いて、木野は首を傾げた。

「そうですか?」

「そうですよ」

 あえて木野の言葉を真似るような調子で山田が返す。そっかーとだけ頷いて、木野は笑った。山田はとすりと人差し指で自身の太股を叩くと、ああでも、と呟いた。

「一応便利さは保証出来ますよ、こいつは。調べる能力、見る能力は申し分ないです。貴方のしているような仕事も向いているとは思います。資料係ですが、情報の分野なら保証できる。一人で動く胆力もある。先日はよく働きました」