8-11)お節介
「これ、さっき話していた花水さんって人が書いているんです。室長と会わせるより私がクッションになっておきたい、って言った人。オカルトライターなんですけど、他の人が落とした原稿の代わりに適当に小説書いたらなんか受けた、らしくって。それからちょこちょこ怪奇小説を巻末の方に出してるんですよね。本としては流通していないので、読むには雑誌がいるからレアですよレア。コピーで読むより原本でしょう」
「え、っと、有難うございます」
受け取った雑誌はオカルト雑誌だ。身近に潜む怖い話2022年8月号、青葛社。タイトルまで覚えていないが、最近似た雑誌を見た気がして横須賀は瞬いた。開いたページにあるタイトル「狂り」をメモすると、そのまま前のページをめくり確認する。藤沢が持っていた雑誌名。「身近に潜む怖い話2020年10月号/青葛社」と残っていたメモに、小さく丸をつける。見れば花水此岸ともあったので、この人物はこういった題材が得意なのだろう。2022年8月号狂りと書き込む。
そこまですると紙を折って、横須賀は新しいページに戻った。今すべきことは知ることで、過去と重ねることではない。
「
何度読んでもいいと言っている割に、木野の説明はまるでこれから読む横須賀を気遣ったようなものだった。五冊、という言葉をメモし、文字を追う。
冒頭は色薬の説明だ。赤月が持ち運んだ資料のものを、簡潔に示している。色の種類、効果。白と黒についてふれ、黒が最初に戻すのはなにかという考察。
文字の区切り、ページをめくる息継ぎのような合間を縫って、木野が言葉を差し込む。
「うまく調べ上げて、それを自分のロジックで組み立てるセンスがある人なんですよね、その人。色薬について見つけているのも強い。五藤さんの本の後の出版物です。彼と五藤さんのくらいしか私は知らないので、二人が別の所から得たのか、それとも五藤さんの所から花水さんが得たのかはわかりません。あくまで小説は与太話、としていますが、こっちで色々調べていると、もしも、と思う所をうまく捕まえているんですよね。
そうですね、たとえばちょっと先ですけど、ここ。「色薬は、治癒したものを黒が食らうことにより、人の質量分薬を増やす。――そういうおぞましい連鎖を生むものではないだろうか。人は、黒の餌なのだ。黒を食らい、そして食らった人間を黒は最初に戻す。そうして増殖する」これなんか、子途ですよね。黒って形にしているのは色薬のところからですけど、黒を透明と見立てるあたりなんか、混ざって色が映ったように見える子途を思い浮かべられる。中々どうして、よく出来ているものです。ご本人は好き勝手に書いているだけ、って言ってましたけどね」
五藤。書いているのは花水というが、どうしてもその名前は、先ほどの山田を思い出させる。山田は花水には特に反応しなかった。翻訳家。赤月が言っていたのは、外国人かもしれない人物。
聞き馴染まない言語を、人はどう認識しやすいか。
「花水さんの記事、他も中々面白いところはありますが、オカルトライターとしての方は気を付けてくださいね。そもそもその雑誌の特徴なんですけど、実際の事件に関係したオカルトも普通に扱っているので、そこそこセンシティブなんですよ。実名出していないとはいえ好奇心で結構ずかずかやっちゃうとこなんで、そのまま娯楽とすると危ないものもあります。あ、花見途奇此岸名義の方は小説として普通に楽しめるんで安心してください」
木野の言葉にうなずくと、木野は別の雑誌を先ほどの棚から引っ張り出した。そうして床に座り込んだ彼女は、横須賀を見て笑む。
「時間は見とくので、どうぞ。途中までで十分とは思います。なにか気になるワードがあったら聞いてください、多分それなりに答えられるんで」
「あ、りがとうござい、ます」
うん、と木野は頷き、「本の話は幸せですからね」と軽い語調で言った。軽い語調なのに、なぜかそのあとに落ちたのはため息で、横須賀は文字に落としかけた視線をもう一度上げる。
問うような横須賀の視線に気づいたのか、まいったな、と、木野は笑んだ。
「なんでもないんで、ええとですねぇ」
はは、と笑う木野に横須賀は頷くが、しかし、木野ははたりと笑みを消した。それから頭をガリガリとかく。あー、と少し唸るような声にぱちくりと瞬く横須賀は、結局文字に戻れず木野の言葉を待った。
「嫌だな、と思ったのに、私がそれを使っちゃだめですね」
木野の言葉の意味を、横須賀はわからない。だめ、ということはない気もするが、かといって否定しようにも話の流れが不明だ。
結局黙する横須賀に、木野は雑誌を撫でた。
「お節介が多くてすみませんっていうのと、勝手な願望の押し付けを自覚しているんですよねぇ」
木野の言葉は横須賀に届くものだ。独り言ではない。けれども視線は雑誌に向いていて、対話というには閉じている。
「……わからないままはしんどいな、って思うんです。守秘義務とかそうじゃないなら、一緒に仕事していますしね。余計なお世話、とはわかっているんですけど」
私もねぇ、やっぱ思うところがあるんですよ。そう続いた言葉は先ほどよりも独り言に近い。まだ独り言にはなりきってはいなさそうだが、いなさそう、なだけで、独り言でもよいのかもしれない。そう考えている横須賀の内心に気づいたのかどうかはわからないが、は、と短く息を吐いた木野が横須賀を見上げた。
――いや、見据えた、か。感じたのは強い意志で、しかしその意思を、横須賀は理解できない。
「横須賀さんは、山田さんとこれからも働いていきたいですか」
「え」
唐突な言葉に、間の抜けた音が漏れた。本当に唐突でわからない。そして唐突だからこそ、横須賀はあっさりと頷いた。
働かせてもらっている自覚がある。そして、転職しようという考えは持っていない。
横須賀にとって、今の職場は幸いだ。当初は想像しなくとも、今はそう考えている。
「……私もここで働きたいです。太宰室長はちょっと、それなりに、秘密主義みたいなところありますけど」
秘密主義。リンと山田が重なり、横須賀は少しだけ手元の雑誌を撫でた。考えるなと山田は言う。リンも、そういうところがあるのだろうか。上司というものはそういうものなのだろうか。
理解できずともそれでいいと言ったのは平塚で、彼女は信念を持って言葉を重ねる人だった。
「知れることは知りたい。情報は糧で、私の強みですからね」
言い切る姿は、横須賀には眩しかった。浮かぶのは、すごいな、という純然たる賛辞。
「だから横須賀さん。気になったら聞いてくださいね。私は知りたいから、知りたい人の味方なんです」
言い切りと共にある笑顔は、その語調と同じくはっきりとしていた。先ほどの溜息などないような晴れやかさ。その言葉の真っすぐさに三度瞬きを繰り返すと、横須賀はゆっくりと頷いた。
うん、と頷き返した木野の視線が、今度こそ文字に向かう。横須賀も文字に視線を落とし、なぞり、メモをする。自分の中で再構築される文字が、少しだけ脳みそを押す。
なにかを探しているわけではない中、木野がくれた時間は横須賀にとっては幸運なのだろう。自分の為に調べてくれる、というのは、調べる側が主の横須賀にとって落ち着かない。
けれども同時に、その落ち着かなさは横須賀の内側のものと少し違った。ずっとなにか、焦っている。そこまで考えて、横須賀はようやく自覚した。
焦っているのだ。なにかを残さねば、得なければと考えてしまう感情の名前を理解する。しかし同時に、焦る理由はわからなかった。
知りたい、と、木野は言うが、知らないでいることは今更だ。だから困惑しながらページをめくってばかりで――そもそも誰かに聞かれて本の中を探すことがあっても、自分のために本の中言葉を探した時間を横須賀は知らない。
はくり、と息を飲み込んで、しかし横須賀は思考をそこで止めた。木野が差し出したこれは、山田にとっては不要な情報なのだろう。それでも横須賀は求めたのだから、ならば、文字を追うしかない。
作り話とされる物語の言葉を、横須賀は探る様に追いかけた。