8-7)情報管理室
「子途、おそらくこれに関係するものが複数あるんですよね。洞親子は氏山市ですが、あそこは静岡の東部。愛知からしたらずいぶん遠いのに、この子途は本来どこからきているのか、それともどこにでもあるのか。そもそも色薬だろう話は基本愛知なのに、あそこだけ県外、しかも横に長い静岡の東なんですよ。隣の県とはいえちょっと遠すぎでしょ。私も地元がそっちなんですけど、ほんとあそこからここまでってねぇ。そもそも氏山の大糸じゃ新幹線使ってからの移動も面倒だし……いやこのへんは実際に行ったからご存じですかね。ええととにかくそんな遠い場所にあって、そのくせ他はだいたい愛知。まるでどっかから洞穴を通って移動しているみたいで――そうそう、移動すると言えば鏡移しなんかも話にありますよね。これは色薬と関係ないですし魂の話ですが、でも、この層を使った移動を扱うモノがあるんじゃないかって考えがあるんです」
立て板に水、という言葉が見合う言葉の洪水。あまりに早すぎてメモもろくにとれない。洞穴、移動、層。かろうじてそれをひらがなで並べるうちに、するすると言葉は次へ次へと進んでいく。
「子途と似た話は元々愛知じゃよくあるんです。不定形のよくわからないものだとか泥だとか。大池でんでんはそのへんですよね。ちょっとタイプが違うけど泥って方向ならもっとあって、どろン子さんとか。まあ、これらは基本そっちは別と判断していますけど、なんというか、昔の大雨から土砂災害が恐ろしいと思われたのかその手の話題ある。
ただ、そういう中で色薬ってのはちょっとおもしろいですよね。よくある願いが叶うネタですけれど、所謂七不思議みたいにセット扱いされていない。あくまで個別の特殊な力であり、色薬について知らなければそれぞれ単独のものでしかないんです。そのくせ、山田さんたちが持ってきてくれた色薬の効果をまとめたものがある。不思議なんですよ。色薬を示唆する物語は確かにありますが、そこですら、書かれているのはあくまで二種類なんです。おそらく二種類だろ、程度のモノ。それなのに山田さんたちが持ち運んだものがあって、かつ、同じような話をとある雑誌でも扱っている。問題はどこでどうやって、の話なんですけれど」
「木野さん」
「最近そのルーツが判明しました。とはいえ子途についてどんなものか説明したものではないです。これは過去の件と合わせ考えてもおそらく求めた人間に対しての――」
「木野さん!」
机を殴る音と大声。びくりと体を跳ねさせた横須賀は、目を丸くして山田を見上げた。立ち上がった山田の眉間には深い皺。木野はきょとりと山田を見上げ、ああーと頭を掻いた。
「すみません、どうにも夢中になると言葉が多くなりすぎてしまって。順を追って話すのが楽なんですよねえ」
あはは、と苦笑する木野に、山田が大きく息を吐く。大仰な溜息はいつものことだが、しかし固まった拳は動かない。
「……それなりにこちらもやることがある。本題に入ってくれ」
唸るような山田の声に、木野は頷いた。すみませんね、と小口を指先でなぞりながら、へらりと笑う。
「本題って言っても難しいんですよね、全部が全部連なっているんで。まあとにかく子途と薬は関係する話が出ています。先にお伝えしてた件ですね。その結びつきが特に強く残って伝わっていたのが洞親子でしょうね。先ほどなんで氏山なのかと話しましたが、とはいえ氏山です。あそこはパワースポット的に有名な場所でもありますよね。層による話も多い。そのへんも連なっているのかなとか勝手に思いますが、っとこれも話がずれていますね。黄色の話でしたすみません。
子途に関係しているだろう話でよく見かけるケースは再生と崩壊、液状化、泥化。液体になるのも液体が成るのも、洞親子の話を見ていると想像つくでしょう。びちゃびちゃと親らしきなにかが崩れ落ちたのは、びちゃびちゃとした何かだった、戻ったという認識。そして子供はぶよぶよのなにかになったあと、混ざり合い溶け、薬になった。
そこから考えたんですけれど、黄色の皮膚は私たちが思うよりも範囲が広くなるのではないでしょうか。人の形を成すんです。それは求められて親となったけれども、そして健康な子供はただのぶよぶよとしたものに成り下がってしまったけれども、もしかすると人の体のパーツをもっと補完できるんじゃないでしょうか。補完させたからこそ、秋山さんたちはああなってしまった」
木野の言葉は相変わらずの早口だ。自分の思考と言葉を一緒に吐き出すようなペースに単語が滑っていく。それをなんとか留めようと捕まえられた単語を紙に記していた横須賀は、最後の言葉でペンを止めた。
浮かぶのは、何も出来なかった直臣の姿。そして瞼の裏側に
「人のパーツを補完できると仮定したところで意味ネェだろ。そんな妖しげなものを使うつもりな訳ないよなアンタ」
落ちたのは、静かだが切り裂くような音だった。サングラス越しに睨み付けるような声。透けて見えることが無いのに、鋭い音がその視線を思わせる。
山田の糾弾じみた言葉に、木野は手で口元を隠すように覆った。
「あー、まあそういう意味になりますよね、申し訳ない。どれも推論でしか無いですし、実際使うとかは置いときましょう。ただそういうものを求めたという事実を残しておきたいんです。色薬を探している人間の目的が分かれば」
「目的は必要ない」
山田が言葉を遮った。木野が少しだけ眉間に皺を寄せる。もごり、と動いた口は、しかし苦笑で不服を隠した。
「……言葉が多いのは私が案内人だからです。貴方が拾い上げたうえで捨てるならそれで十分。そもそも黄色の薬は手に入りませんし、うん、まあそれでいいです。もしかしたら人のパーツを補えるなんて浪漫で悪魔のようなもんですしねぇ。緑の話を聞いていても、使うことでデメリットは多いみたいですし」
「結局黄色についてはそれだけか」
「それだけ。まあ、それだけですよ」
前のめりになっていた体を椅子の背に預け直して、木野が肩を竦めて言った。山田の視線が本を見、自身の手元に移る。固まっていた拳がゆっくりと開かれるのを見て、横須賀はつられるように息を吐いた。
「私はあくまで状況から情報を選ぶだけ。貴方に本や伝承を伝えられますが、そこからどうするかなんて提案は出来ないですし。ただ伝承、繋がり。物事の最初をないがしろにされたくはないです、が、それを強要するのは読みたがらない本を薦めるようで趣味では無いです。ええ、そこは無理を言いません。気になれば誰から聞かれても答えますがね」
最後の言葉は、横須賀の方を向いていた。ぱちり、と横須賀が瞬くと、木野は分厚いレンズの奥でにこりと笑う。
「ただ子途と色薬については覚えておいてください。色薬に関係する民話と、それを説明する話が別なことも。貴方が知りたいことには大事なことでしょう」
山田は答えない。しかし、代わりに山田の肩はゆっくりと上下した。それを認めると、木野は小さく頷く。
「あなた達は実際に色薬が使われている場所に行った。そういう意味で、触れてきたものは色薬の個の力であり、受け取った側でしょう。与えた側ではない。だから選ぶべきはあちらか、それとも――太宰室長から聞いている話からすると、貴方が調査するのはその書類で言うならAグループ。貴方がなにを求めているのかは知りませんが、薬の効果、その元は多分把握した方が便利かと思います」
山田の手のひらが膝の上に乗る。伸びた背筋は平時と変わらず、しかし視線は下がっていた。
「……案内人ですし、思うだけで言い切れませんけど。すみません、お喋りが好きすぎるんですよね、私」
眉を下げて木野が頭を掻く。癖なのだろうか、がりがりと癖毛を揺らして、木野は息を吐いた。
木野がまた横須賀を見る。横須賀は山田から木野を改めて見返した。目が合った瞬間へらりと笑った木野に、反射のように頭を下げる。
木野の表情は微苦笑ではあるものの穏やかだ。反対に山田は黙したままで、横須賀はペン先をメモ帳の上で回す。
落ち着かない。けれどもかけるべき言葉を持たない。
「いえ、十分お話を伺いました。失礼を言って申し訳ない」
山田が木野に頭を下げる。木野はそのつむじすら隠れるようにがっちりと固められた頭頂部を見て、いえ、と呟いた。
「十分ならよかったです。薬の検査とか専門は川﨑さんとこですが、私はまあ探して選ぶだけなので。情報管理室は探さなくてもぼろぼろ集まってきたりするんであんまりやることないんですけどねー」
たはーと笑う木野はあっけらかんとした語調で言った。明るいというには底が抜けたような音。底抜けではなく、底が抜けたが見合う少し間抜けなどうしようもないそれでも確かにある明るさに、山田は短く小さな息を吐いた。