台詞の空行

7-26)事件の終わり

 * * *

 三浦の手首と足首から安っぽい手錠が外れ、代わりに深山の手首に手錠が光った。じっと見下ろす深山はひどく静かで、ため息すら吐かない。

「現行犯として扱うが、事情聴取のあと保護という形になる。深山家の方はさっき終わった。依頼人について聞きながら、対策をとることになると思う。三浦さんは病院の後事情聴取。貴方については保護にするかどうかも含めて相談させてもらいます」

「わかりました」

 小山の言葉に三浦が神妙に頷く。終わったという言葉で横須賀は携帯を触ったが、連絡は来ない。

「藤沢さん、貴方は事情聴取の後おそらく深山と同じで保護になります。実行犯じゃないが、共謀したのは事実だしな」

「わかっています」

 え、と漏らした横須賀の声を消す、はっきりとした声が返った。困惑する横須賀を藤沢が振り返り微笑む。

「気にしないでください。こうなることはわかっていたんで。……みーちゃんも、そんな顔しないの」

 酷く辛そうに顔を歪めた深山に、藤沢は困ったように笑った。震えた唇が一度噛みしめられる。

「私が無理矢理脅したんです」

「そのことも含めて話は聞く。ただ嘘は止めた方がいい、彼女は嘘を吐く気がないみたいだしな」

 小山が肩を竦めた。藤沢はやはり笑い返すだけで、深山の髪が揺れる。

「……実行犯っていっても貴方が脅されていたのは事実だ。情状酌量はあるし、そこの被害者も訴える気は無い。貴方を脅した人間のしっぽを掴むまでは多少不自由くらいが都合いいのもある。ただ、藤沢さんについては」

「大丈夫です」

 短く藤沢が言い切った。頭を掻いた小山はそのまま癖毛に人差し指を絡めるように丸める。小山がなにか口にするより早く、藤沢は自身の唇に手を当てる。その指先が形作る前に、小山は首肯した。

「とりあえず三人はそんなところ、だな。横須賀さんも事情聴取はさせてもらう。山田は向こうにいるが、君一人で最初聞かせてもらうから」

「はい」

「山田がグレさんとどう話すかは知らないが、俺から君に教えてやれることはない。君はあくまで一般人だしな」

「はい」

 素直に頷く横須賀に、小山が息を吐いた。大げさに頭を掻くのを眺めて小山を伺いみる横須賀は、相も変わらず長身の割にどこかのぞき込むような癖がある。

「……グレさんから言付けを貰っている。『もしなにかあれば尋ねてくれ』だ」

「はい」

 やはり同じ調子で頷く横須賀を、小山の少し眠たげな双眸がまっすぐと貫く。ぱちり、ぱちりと不思議そうに横須賀が瞬き返すのと小山のため息は同時だった。

「君は一般人だ」

 小山が言葉を繰り返す。当然の言葉なのでやはり横須賀は素直に首肯した。小山の指がくるくると癖毛を回す。

 言葉を探すような所作は、するりと途中で抜け出る。そうしてまたもう一度まっすぐ見上げ直す小山の瞳は、多分小山の真摯さを形にしているのだろう。

「三人の話を聞くに、今回君のおかげで助かったところは確かにあるかもしれないけれど、危険でもあった。だからなにかあったら先に警察を頼ってくれ。
 ――藤沢さんから信頼を得られなかったとはいえ、それでも信じてもらえなければどうしようもないんだ。私刑は危険だ。今回はうまくいったけど、それは今回だからだ。確かに君たち普通の人たちが自浄効果を持たなければ警察だけでは足り無すぎるけど、君たちだけでできると思わないこと。いいね?」

「……はい」

 君のおかげ、というのは横須賀にとってはいびつにも思えた。動いたことできっかけにはなったが、三浦の言葉がすべてだったと横須賀は考えている。けれどもそのことを否定する前に続いた言葉は確かに否定できないことで、結局横須賀は頷くだけに止めた。

 横須賀の返事に、小山がもう一度頷いた。それから少しだけ顔をしかめて、目を伏せる。

「全部俺たちが何とかする、って言えりゃいいんだけどな」

 小さな呟きに声をかけるより前に、小山が深山の方に戻る。三浦と深山は会話を終えたようで、入れ違いのように三浦が横須賀の元に来た。

「すみません、色々。助かりました」

 助かった、と言い切っていいのだろうか。三浦と深山の会話を思い出しながら、横須賀は曖昧に顔を歪めて頭を下げた。

「なんかこのまま今日はごたごたで終えちゃいそうですけど、約束はまた後日。お食事誘わせてもらいますね」

「え、っと」

「……すみません、ほんと。色々」

「俺、は、なにも」

 何故か眉を下げて申し訳なさそうに笑う三浦に、横須賀は絞り出すように声を出した。なにかせねば。必死で動いたものの、結局なにも出来ていない。山田が知っている誰かのことも、深山が怯える人のことも、なにも。ただ藤沢と三浦が居て、それだけだ。

 それだけだが、けれども同時に思う。三浦がいる。

「俺は横須賀さんのおかげで、未久さんの説得が出来たと思っています。知は財です。わからないことをわかった上で、なにが出来るか探るってのはひとりじゃ難しいですし、それに山田さんが保証したことだって、横須賀さんが居なければわからなかったでしょう?」

 穏やかに三浦が言葉を重ねる。返す言葉を探しながら、浮かんだ三浦の声に横須賀は眉をしかめた。厚いまつげが伏せられ、前髪が影を作る。

 横須賀の硬い表情を見て、三浦が少しだけ瞳を揺らした。

「……横須賀さん」

 神妙な声に横須賀が顔を上げると、真剣な表情がそこにあった。はくり。言いたげに動いた唇に気づかない振りをして、三浦は横須賀を見上げ続ける。

「食事、山田さんと一緒に誘いますから。落ち着いたら連絡くださいね」

 声が出ない。三浦はそれをとがめず、もう一度「約束ですよ」と繰り返した。

「いつまで話してるんだ」

「ああすみません刑事さん」

 小山の言葉に三浦がするりとそちらに抜ける。約束、という単語が内側に繰り返される。同時に三浦の声に重なるように、炭坑のカナリア、という言葉が巡った。

 二人の会話を聞いていた。正確には三浦の言葉を。聞き取るには能力が足りない携帯端末は、それでも言葉を届けた。

 炭坑のカナリア。病院で見た男は、準備が足りないと言った。準備しなきゃ、あれは誰だっけ?

 山田太郎は、何を見ているのだろう。横須賀は何も知らない。


 携帯はまだ鳴らない。山田から連絡が来なければ、横須賀はその声を聞くことすら叶わない。

「やくそく」

 その四文字は祈りの楔にも似ていて、横須賀はもう一度、内側で小さく繰り返した。

(第七話「おもい」 了)

(リメイク公開: