台詞の空行

7-25)なり損ないヒーロー

「貴方の選択は貴方の安心にしかならない。楽観的にもほどがある。未来さえ読めば他がうまくいくなんて信頼を与えられるような依頼人だったというんですか? アンタに惚れ込んだ、目の前にいるバカみたいな男の言葉を信じられないくせにそんなものだけ信じられるんですか?
 そんなにアンタは俺を傷つけたいのか、俺がどう思っていたか考えられないのか、一時でも付き合おうと思った感情もその相手も見えないくらいに最初からどうでもいいのか、俺は」

「そんなこと言われたって!!」

 高音が遮った。泣いてしまう。そう感じながらも、きっと涙はまだ零れないだろうとも三浦は思った。

 そこで泣ければよいのに、出来ないのが深山なのだ。

「そんなこと言われたってどうすればいいのよ! 私はずっと言われてきた、能力がないって、未来読みには足りないって、私が弱いからできないって、それが当たり前にあることを教えられてきたわ、私にとっての当たり前なの、未来読みは軽率に出来ない、けれど出来ないからといって信じないなんて出来ない。ずっとずっと、小さい頃から昔のこと今のことこれからのことを言い聞かせられてきた、そして今人の命すら躊躇わずに願い出る人間が居るのにそんなこと」

「じゃあその人は何を求めているんですか」

 三浦が立ち上がる。深山が一歩引く。最後の儀式なのだろう、という予想は自然となされていた。だってこれまで三浦の意識はなかった。入れ替わるのに三浦が起きている必要がなければ、こんな会話などせずにすぐに逃げて放っておけばいい。でも引くだけで逃げないのはきっと贖罪のようなもので、そしてやっぱりこれは言葉にならない悲鳴なのだと三浦は実感した。

 ヒステリーにも近い叫びが、たすけて、と言っている。

「貴方が逃げられないような状況にして、そこまでしてなにを求めているのでしょう。未来を読ませるためだけならおかしいでしょう? だって未来読みとして深山家が職業にしてきたのなら、依頼すればいいだけだ。貴方の家族は怯えていなかったんでしょう? なにを求めているんですその人は」

「なに、を、なんて。だって」

 三浦の足が床を擦る。深山が怯える理由の一つ。それは今も同じだとして、未来を読むように深山が見ているおかしなものはなんなのか。原因まで三浦は理解しない。横須賀も、そこまではわからないと言う。

 でも存在することがわかればそれでいい、とも。

「この場所はその人の指定ですか」

「え」

「先祖環り、未来読み、鏡移し。それらにかかわるだろう、奇妙な民話や逸話、都市伝説じみたものを教えてもらいました。けれどもそれらはここでは起きていないんです。舞台が違う。だとすると、未来読みに必要な場所だからここが選ばれたとは考えにくい。その民話が本当に、未久さんの状況を言っているものだとしたら、という仮定の話ではありますが」

 深山が目を伏せる。しかし視線は床の模様から逸らされている。

「――未来読みはあくまで依頼人が求めるもののひとつで、他にもなんらかの理由があってここが選ばれた。もしくは、この場所のなにかを見るための未来読みか。
 この場所についても、選択も、今も。見てるだけで違和感のあるようなものは確かにある。それがただの偶然かまではわかりません。ですが、そういう中で多くを知る人が今、多分俺の近くにいるんです。そしてきっとその人が、貴方を保護できると言っています」

 顔は上がらない。信じられないと言うよりは返事が思いつかないのだろう。三浦はもう一度床を擦った。探偵の目的が別にあるということは横須賀から聞いている。三浦は別に利用されてもよかった。自分だけでは見つけられないことをこうやって知ることが出来て、そして利用する人間が居ると言うことは、深山の視野の狭さを広げることができるということだ。

 一過性の愉快犯はどうしようもない。しかし目的があるのなら、叶えなかったからと無差別な最悪が訪れることもないと考えられる。

 もっというなら、横須賀には言えなかった酷い理由でもって、三浦は大丈夫だと考えていた。

 だって、簡単なことだ。実行者が居て追いかける人間が居て、さらに実行者が何かを探している。これはぐるりと巡っているのだ。眉をひそめたまま、三浦は薄く笑った。

「依頼者が何者であれ、探偵はその目的をおそらく知っていて、その為に俺に接触しました。なにを調べているかはわかりません。俺を助けにきたのは探偵助手で、彼はきっとあまり知らないでしょう。
 ――酷いことを言いましょうか。貴方や俺に不幸が訪れる前に探偵に不幸がある。だからきっとあの人は、確信を持って大丈夫だと言うんですよ」

「……どういうこと」

 ゆっくりと、深山の顔が持ち上がった。下がった眉は困惑と怯えだ。深山は誤解されやすいが優しい人なのだ。本来は誰かに不幸があることを望まない。

 三浦は自分がそこそこお人好しな自覚を持ちつつも、ある一点では薄情だともわかっていた。

「よく動き回る炭坑のカナリアですよ。探偵が因縁のある人間に関わっていく。貴方が怯える依頼者は探偵を無視できない。そう仮定すると探偵が貴方の安全を保障するのは道理に叶っていると思います。探偵は警察と親密だとも聞きました。結果探偵が死ねば、死人が出れば事件として動くでしょう」

 縁起でもない言葉だ。けれども三浦は断じる。断じることが出来てしまう。

 ヒーローになれずそれでも誰かを助けたいと望んだ結果、優先順位で切り捨ててしまう、諦めにも似た弱さを三浦は持っているからだ。

 けれども仕方ないだろう。三浦が今助けたいものは別だ。ヒーローになりたいのは、彼女のためだ。

 探偵のヒーローは、ここにいない。

「貴方は既に他人の命でもって保証されている。その選んだものから引くことが出来る。友人も貴方を待っている。ここまで準備して、それでも選べませんか」

 静かに三浦が尋ねる。一歩。手錠のせいで小さい歩幅で近づく。深山は引かない。前に出ない。

 捕まえることは簡単だ。けれども横須賀は言った。どういう形で行われているのかわからないのだから、捕まえるだけでは駄目だと。深山と三浦をまとめて保護するのは最終手段。出来るだけ多くを語ってもらえる結果を選ばなければ、横須賀が見てきた奇妙なもの、三浦が信じるには躊躇う物事は予想を裏切り続ける。

 助けるには足りないのではと藤沢が尋ねた言葉に、あの気が弱い青年は言い切った。深山が選べば大丈夫。探偵が保証したのだから。

 だから、三浦に出来るのはここまでだ。臆病を引きずり出し、犠牲を語り、友人を人質にして。

 ヒーローと言うには余りに格好悪い、あまりに手段を選ばない。それでも。

「貴方に惚れた男の言葉は、信用できませんか」

 救う人に、三浦はなりたかった。