7-24)馬鹿な人
「貴方がなにも語らないから俺は俺が大丈夫しか言えなくて、貴方が居るから大丈夫で。そうですね、なにを重ねればいいかな。……ようやく未久さんと話が出来るから、本当は今なにをしているかとか、なにがしたいのかとか、嫌なことはなにかとか、いっぱい聞きたいんですけど。でも多分貴方は教えてくれないから、俺は貴方が忘れているだろうことを重ねるしかないのかな。俺は臆病で、恐がりで、人が好きで――失うことがあんまり得意じゃない」
「……私は貴方を思いやる余裕なんてないわ」
「貴方が死んだ後の話をしなければなりませんか?」
低い声が、部屋に響いた。深山が顔を上げる。
「なにを言っているの」
「俺は誰かが死んだからといって後追いをするような人間ではありません。ですが、俺は貴方が思うほど強い人間でもない。――ひどく滑稽な妄想の話をしましょうか。貴方が俺として死に、俺が貴方として壊れてしまう未来の話です」
深山の右手が、左肘を掴む。左手はそのまま服の裾を握って。ああ、だからわかりやすい。あくまで真顔のまま、三浦は心内で苦笑した。
本当に、馬鹿な人だ。
「俺は俺以外の形で生きられないと思いますよ。そんなに心は強くない。そもそも自分でない誰かになったなんて、妄想でもたちが悪い方だ。どうやって生きろと言うんです。たとえば自分が死ぬ姿を見たら、貴方を恨んで生きるとか思ったんですかね? もしそうだとしたら、恨めると本当に思っちゃうような関係だとしたら、流石にショックですが」
「なにをおかしなことを」
「おかしいですよね、おかしい。俺もなんでこんな妄想をするのか、信じたのかわかりません。見るものが多くても、荒唐無稽な想像を語る言葉は下手くそだった。けれどもね、貴方のその臆病さはわかるんですよ。俺も貴方も、本質は臆病で、だから一時でも一緒に居たんだと信じているんです。――それが貴方にとって幸いでなかったとしても、その一時は本当だったって、そう思っているんですよ」
ずるり、と三浦は床を撫でるように体を引きながら、真っ直ぐと深山を見上げていた。深山の見ているものも、横須賀の語る物も本質的には三浦は理解しきれない。けれどもそれでいい。三浦がすることはたった一つだ。
視野の狭い彼女の臆病を、引きずり出すことだけ。
「貴方が一人ならその選択肢も有り得たかも知れませんが、それは愚の愚です。そもそも貴方が俺に電話した段階で馬鹿なんですよ。そのまま放っておくわけないじゃないですか。
これは恋人としてでは無いですよ。俺は友人に対してもそうです、家族に対してだってそうです。俺は自分で言うのもなんですが、執念深く身勝手に、他人に生かされ他人と生きる男です。そして随分打算的な男です。運が悪くてこんな俺でも助けてくれる人を、優しい人を選びます。そんな簡単に嫌えるような人を懐になんていれない。
だから貴方は、一番最初の電話の時点で間違えていた。あの瞬間、なにもかも決まっていたんです」
なんのために電話したのか、わからない。それでもきっと、なにかを確かめるにしても、不要だったのではないかと三浦は思うのだ。結局三浦は、どんな形であれこの結果に収まった、と考えている。話をするわけでもないワンコール。あの意味は、三浦の中で勝手に結論が出ている。
「大丈夫です。俺は貴方が間違えなければそれで大丈夫です。その先なにがあろうと助けてくれる人は居ます。俺が助けると言えないあたりが格好悪いですが」
ヒーローになりたい。その言葉は本当だけれども。
「聞いてください、話してください。貴方は貴方を追い詰めなくて大丈夫です。俺も貴方も、ひとりじゃない」
救う形が一つでないことも、三浦は知っている。
「貴方はなにも知らないから言えるのよ」
細い声が震えている。馬鹿だな、馬鹿だ。何度も内心で繰り返す。床をひっかく。
「知る必要がありますか?」
「知らないでなにが出来るの」
三浦の言葉に、声を低めて深山が言う。尋ねると言うよりは糾弾に近い色を感じながらも、三浦は気にしない顔で頷いた。
「知っている人に繋げることが出来ます。前も言ったでしょう? なにが起こっているかリーダーは確かに把握しなければなりませんが、すべてをこなす必要はない。誰が優れ誰が今どんな状況か把握する。一人で全部をするなんてできるわけはないんですよ。何のための会社ですか、何のための組織ですか、一人でなにもかも出来るほどの才覚がある人間と俺は知り合った覚えありませんよ」
「貴方はいつもそう。そんなにうまくいかないわ。仕事じゃない。仕事じゃないの。こんな仕事あってたまるものじゃない。これは私の家の問題で、私はせめて……っ」
「仕事にする人間が居ます」
だんだんと悲鳴になりかかった言葉を、三浦は遮った。一瞬逸れた目線と、ポケットに添えられた手。藤沢のメッセージでその提案は既にされている。レンズの奥の瞳は見えないが、三浦は深山の予想を察した。
「貴方を捜すのに俺は探偵さんとご縁がありましてね。なんと偶然探偵の知り合いだという美人に声をかけて貰って、不運な俺にしては最高の幸運でしたね」
「探偵なんかそんなの」
「偶然オカルト的な事件を取り扱っている探偵の知り合いに出会って、偶然紹介されて、幸運にも探偵から仮調査を申し入れられました。本当に幸運で前金もゼロです。……未久さんなら、意味、わかりますよね」
一つ一つ強調するようにして言った三浦に、深山がポケットの上で拳を作る。多分スマートフォンを掴んでいるのだろう。わかりやすさに目を細めて、三浦は息を吐いた。
「やめてあげてほしいんですよ、冷静になってほしい。貴方が最悪の結果――貴方が死んで俺も死んでしまう結果を回避するために、愚の愚である貴方が死んで俺が生きる選択に貴方の友人を使わないでください。優しくて、弱くて、どうしようもない人の心が、救う人の心がやわらかいものだと知っていないわけじゃないでしょう? 彼女も壊れてしまいますよ」
「貴方、どこまで知って」
「なにも知りませんよ。貴方の見ているものはなにもかも知りません」
低い声で、三浦は言い切る。冷たくもとられかねない音は、しかしただひたすら穏やかだった。
「ただ予想は出来るんです。貴方の臆病はよく知っています。貴方が馬鹿で視野が狭いこともよくね」
「馬鹿って貴方」
「馬鹿ですよ未久さんは」
とすん、と、にじみ出した感情は怒りだ。低く断じる音に、深山が肩を揺らす。
「貴方の勝手に俺は付き合いきれない。貴方の見ているマシな一手は俺にとって最悪だ。だから貴方のそれを俺は知る気がないし、――それでも貴方や探偵が言う、俺にとっては馬鹿馬鹿しいくらいあり得ない物事を否定はしない。貴方は実際行っているからだ。そして魂が入れ替わっているわけではなくて本当に俺が死のうが貴方が狂おうがそれとも入れ替わって逆だろうがどうでもいい。どっちにしろ俺も貴方も幸せにはならない。そんなのが救いだとかクソ食らえです。やってられるわけないでしょう」
深山の右足が、引き戻る。そのまま後ろに行きそうになるのをすんでで耐えたように止まるのを視界の端に入れながら、三浦は眉を大仰にしかめたまま深山を見据えた。
深山は努力家で、懸命で、不器用な人間だ。一人で立とうとし、褒められることなど求めず――そのくせ否定に臆病な人間。
だからこそ三浦は、積み重ねた言葉を感情で重ねる。