7-21)三浦の居場所
「あそこです」
藤沢が短く告げた。思考を過去から今に切り替える。顔を動かして示した先には、話に聞いていた廃工場があった。
雑草が多い、というよりは無法地帯のように自由に伸びてツタが絡まった庭。塀が緑と赤茶色で覆われていて、ツタに締め付けられるように共存している木。それらが外から中が見えないようにしていた。
「昔からあまり変わってませんね。背が伸びた分雑草で埋もれることはないですが」
子供の時に遊んでいたという廃工場は、深山家からだいぶ離れた場所にあった。取り壊せないような経済状況でもなければ管理できないわけでもないのに無法地帯となった場所は、子供たちにとってはお化け屋敷じみたものだったのだろう。
深山は意外と恐がりで好んでいなかったようだが、それでも二人だけで遊ぶ場所を探しに遠くにいくくらいならと使った場所で、藤沢にとっては思い出の場所だ。
藤沢の家で遊ぶと弟がいるので二人だけというわけにはいかない。別にそれでも楽しいのだが、静かな隠れ家のようだったので藤沢は気に入っている場所だった、らしい。
家に居たくないときに深山が怯えながらもひとりで隠れた場所でもあり――藤沢が寄り添った場所でもある。
「昨日言った事務所はあちらですね。休憩所は向こうです」
明かりがついていないことに祈るような心地で中に入る。潜めた声で藤沢が言うのを聞き、視線をそちらに動かした。
廃工場は元々さほど大きくないようだった。事務所はこじんまりとした一室に見える。あの大きさだと、あっても二部屋くらいだろう。
事務所も反対側にある休憩所も、明かりはない。昨日聞いた藤沢の話によると、深山は事務所に怯えていたらしい。
事務所と言っても机もなにもなく空っぽの棚があるだけとのことだ。なにもない故によく見える床には赤黒い汚れが残っており、それが幼心に怖かったのだろう、と藤沢は言っていた。
「もしずっと三浦さんと一緒なら三浦さんも休憩所。違うならあちらの事務所か工場、ですかね」
「……昨日の通り、事務所から見てみましょう」
「ですね」
休憩所と事務所は反対側にあり、真ん中にあるのは工場だ。ぐるりと見て回るにはちょうどいいだろうが、それがうまく行くかは別である。扉が開かないのを確認して、横須賀は事務所に足を進めた。
三時四十二分。二時十二分に藤沢が送ったメッセージはまだ確認されていないようなので未読だ。目印はただそれだけ。けれど、縋る物がないよりかはましだろう。
虫の声は聞こえない。代わりに風が、草木を揺らして主張した。草が香る。異質な香りがしないことに息を吐いて、横須賀は事務所を見た。
休憩所よりも一回り大きいだけの事務所の扉は少し厚そうだ。段差が一段ついている。板看板らしいものはなにもない。さきほど確認した休憩所には遠目では読めない物の灰色に朽ちた板があったので同じ物を探したが、事務所にはないようだった。
そういえば工場の入り口にも看板らしきものは残っていなかった。名前が確認できるものがないのは取り外されたからだろうか。読めるかどうか不明だが休憩所に板看板らしき物があるのに他がないのは不思議になるが、名称がある物は外すのだろうか。いまいち横須賀はそういったことに明るくないのでわからないが、名前をメモする癖があるので少しだけ落ち着かない。
窓にはカーテンがかかっていて、中を確認することはできない。当然だろう。深山がいないことを祈りながら、扉に手をかける。ドアノブを回して鍵がかかっていることを確認すると、藤沢が頷いて鍵を取り出した。
鍵がかかるなら、三浦がいる可能性が高い。元々事務所につけられていた鍵は壊れていたとのことで、子供たちが自由に出入り出来る状況だった。なにかあったときに、と場所もなにも知らされないまま深山から渡された合い鍵は真新しく、ちらりと見た深山の鍵も同じく汚れがなかった為、簡易に鍵を設置するなら余計この場所では、と言うのが藤沢の考えでもあった。
鍵が音を立てる。やや大きい音に首をすくめながら、開いたことに横須賀は鞄の紐を握りしめた。そ、っと隙間を空ける。覗き見る瞬間叶子の目が浮かび、息を呑んだ。
今は居ないはず、だ。深山と藤沢を見ていたことは確かだが、そのあと叶子は逆に行った。まちがえないかみにきた、かえる。おそらく、間違えないと判断したから帰るということだ。だからそれは、多分無い。
息を吐いて、改めて横須賀は隙間を覗いた。黒。暗がりではなにも見えない。横須賀はこれまで闇に怯えたことなどないのだが、どうして見えないということは不安を作るのだろうか。務めるようになって得てしまった妄を瞬きで否定する。
いくつか見てしまったからなのかもしれない。無いことが有ることを想像させて、横須賀は目を凝らした。目を逸らすという選択肢は元々持たない。見なくいふりをしたところで何かが改善することなど無かった。だからこそ、横須賀は見続ける。
扉を開ける。室内の闇が外と混ざり合う。影が床に転がっている。それだけだろうと判断して、横須賀は準備していたペンライトをポケットから取り出した。服の裾で覆うようにしてライトを少し絞りながらスイッチを入れる。
丸くなるようにして転がっている影は、身動きをすることなくそのままそこにあり続けた。ひゅ、と喉が息で高く鳴く。
顔を伏せているが、体格と服装でわかる。三浦だ。振り返り藤沢を見る。藤沢は通知がないかすぐわかるように手にスマートフォンを持ちながら、休憩所を見ていた。
「三浦さんだけ、います」
横須賀の言葉に、藤沢が眉間に皺を寄せて頷く。監視はなにかあったときに深山と知り合いである藤沢の方がいいだろうと藤沢がすることに決まっていた。だから、三浦と話すのは横須賀の役目だ。
藤沢に話した時ほどの緊張感は実のところ無い。三浦のあの性格からというのと、藤沢と違い目的がはっきりわかっているからだ。だから問題は、三浦が三浦であるかくらいだ。そしてもう一つ、今日までと言う山田の言葉がなにを示しているのか、という点。三浦を説得するだけなら、あんなに山田が優先順位にこだわらなくても出来るはずなのだ。藤沢が見つかり協力を仰げる段階で、指示を変えてもいい。けれども山田はそうしなかった。期限がなにを、意味しているのか。横須賀にはわからないし、聞くに聞けない。
病院で叶子におじちゃんと言われた男が浮かぶ。秋が浮かぶ。山田は今日を使いなにを調べているのか。こちらを優先しないのは何故か。それは調べる為なのか。順序を違えたら山田は得られないのか、それとも確実にするために違えなかったのか、こちらが間違えたらどうなるのか――考えたところで、答えはない。
山田は横須賀を止めなかった。なら、最悪は無いはずだと考える。埋もれそうになる思考を、首を振ることで一度散らす。そうして横須賀は、改めて三浦を見た。
既読が付かないのなら、おそらく深山は寝ていると考えていい。儀式、が眠っている最中に行われるものなら別だが、深山が起きるまでは多分大丈夫だろう。緊張してしまう自身に言い聞かせながら、ざわつく手のひらを一度ズボンの裾に擦り付ける。
声を出すのに躊躇い、一度肩に手を伸ばした。触れる。反応はない。ざわつく心地で体を見ると、かすかに上下する動きで呼吸が見て取れる。大丈夫。大丈夫だ。
「みうら、さん」
狭まった喉から出たのは細い声だ。肩を掴む。左手にライトを持ったまま、右手でず、と揺する。顔を上に向けると、眉間に皺が寄った。
「……ぅ」
うめく声。ライトのまぶしさに瞼が固く閉じられる。喉に心臓があるようだ。ライトを床に伏せ光を消して、揺する。
「三浦さん」
は、と息が漏れる。手のひらの内側で、びくりと痙攣が起きた。
「あ、え、は……?」
「三浦さん、ですか?」
ぱちり、ぱちり。厚ぼったい瞼が困惑でゆっくりと瞬きを繰り返す。横須賀はライトをもう一度持ち上げた。
「みうら、です。ええとよこすかさん、なんで」
「探しに来たんです」
「……ちょっと待ってください」
横須賀の言葉に一度三浦は手の平を向けて遮った。手首で手錠が揺れる。それからこめかみに手を当て、首を左右に動かしたり、肩を伸ばしたりしながら三浦は体を起こした。
「約束してすっぽかしたのに、すみません」
「いえ。三浦さんが破ろうとしたわけではないと、思いますので」
「すみません、有り難うございます」
眉を下げて三浦は苦笑した。手首を見つめていると、ああ、と三浦がもう一度、今度は見せるようにして手を掲げる。
「プラスチック製ですが、まあ短期間なら十分使えますよね。さすがに壊せないです。足も有るんですが、中でちょっと動くくらいなら出来ます。動けなくすると言うよりは、簡易的な行動制限以上の意味は無さそうですね」
表情は酷く申し訳なさそうなのに、声は淡々としている。落ち着いた様子で説明する三浦を見ながら、ええと、と横須賀はどういえばいいかわからないとでも言うような声を漏らした。
「三浦さんは、その」
「未久さんが俺をどうやってここに繋いだかはわからないんです、すみません。気づいたらここにいました。正直ここがどこかもよくわかっていない感じです」