7-8)部屋
* * *
「どれがどれだかわかりづらいな」
山田の言葉で、横須賀は両手を止め顔を上げた。室内を見渡した山田は、面倒くさそうに眉間に皺を作っている。
ぎちり。動こうとした指先に固い感触が食い込んだ。横須賀はその感触に引っ張られるように顔を右肩に向ける。捻れた鞄の紐が、指に食い込んでいた。白い指先に眉を下げ、横須賀は肩を大きく上下させ息を吐いた。
「お前パソコンはそれなりに触るよな」
「はい」
山田の言葉に横須賀はこくりと頷いた。捻れた紐を整えながら、一人暮らしにしては広いが物が有る故に寂しいと言った感じを持てない、三浦の話し声が聞こえそうな部屋を改めて見渡す。
中央近くには机がある。床に座って使うもので、座椅子が一つ置かれている。クッションは机から少しはみ出る長方形の物が一つあり、その上に一人用だろう正方形の物が二つ置かれていた。カバーは着脱できるチャックのもの。近くに延長の電源コードがあり、引き出し型の小物入れが二つ、リモコンが二つ。少し離れたところには小さなシュレッダーも置かれていた。
入って右手側奥にはパソコンラックがあり、近くの本棚には本とCDケースが並んでいる。時折かわいらしい犬の人形も飾られているようだ。
壁にはコルクボードが張られていて、シンプルな無地のメモ帳からかわいらしい花柄や動物のメモ帳まで特に種類を分けることなく使われていた。メモに書かれているのは本のタイトルや日用品の名前で、コルクボードの下には丸形の小さなゴミ箱が置かれている。
「一人暮らしの割にパソコンが随分多いが、何か見てわかるか?」
山田はおそらく、パソコンは簡易にしか利用しないのだろう。表計算や文章作成関係のソフトについてはそれなりに触れるようだったが、ノートパソコンにはデータが残っていない状態だった。死体部屋というように残った物を管理しようとしない性格だとしたら、データを最初から残す気がないのかもしれない。だとしたら、必要のないことを覚える意味はないのだろう。
「自作のようですし、趣味で作っていらっしゃるか、あとお仕事の関係でOSを分けて使用されているのかもしれませんね」
横須賀もさほどパソコンに詳しいわけではないが、それでも整理などには便利で使う方だし、聞かれて調べることも少なくなかったので想像がつかないというほど知らないわけでもなかった。OSで稼働するソフトは変わったり、動作も変わる。三浦は自身を慎重と言っていたし、違和感はないように思えた。
「ふうん。ま、有り得ないってほどでないならいい」
山田はそっけなく言って、そのままパソコンラックに近づいた。横須賀もその後に続く。足元にあるコードはホコリ防止シャッターと雷ガードがついたもので、なんとなく三浦らしい、と思えた。
山田がパソコンの電源を一台入れる。ブウン、と起動音が響き、ディスプレイに起動画面が写った。丁度アタリを引いたようだ。
アタリ、という表現には理由がある。パソコン机は上の段にルーターとプリンタ複合機、真ん中の段にパソコン本体二つとディスプレイ、キーボード他周辺機器、メモ帳とボールペン。そして下の段にまたパソコン本体が一つと外付けハードディスク三つ、DVDケースが並んでいるからだ。ものによってはなにもしないとディスプレイが黒いままだったのではないかと思われる。
ただ、切り替えは簡易だろう。切替機が付いているので平時から使い分けていることがわかる。
画面が明るい空の色と草原の平地に切り替わる。マウスでクリックすると、熊と犬と兎のキーホルダーが並んだアイコンが真ん中あたりに浮かんだ。ログイン画面だ。
山田は特に入力をしないまま、とん、とエンターを叩いた。
画面にはログインできませんの文字が浮かぶ。
「流石にパスワードをメモするような男じゃねぇか」
わかっていたのだろう、小さく呟いて山田が一度ディスプレイから離れた。確かにメモ用紙はあるが、パスワードらしきものも、三浦が残しただろうメモも存在しない。
「なんか見つけたら教えろ。俺は先にこっちを見る」
「はい」
横須賀の返事を山田は背中で受け、隣の部屋の扉を開けた。追うように横須賀の視線もそちらに動く。ベッドと本棚、パソコンが見える。小型のディスプレイとタブレット端末も確認できたが、さすがに遠目では分からない。ベッドの頭側には物を置くスペースがあり、そこには平置きされた本とティッシュ箱が見えた。
山田が部屋に入るのを見て、横須賀は息を吐いた。気づいたらまた鞄の紐がねじれていて、それを直しながら奥の書斎机に向かった。
部屋に入る前に確認したのはトイレと風呂、炊事場。山田が確認した冷蔵庫は調味料や保存食以外は綺麗に片付いていたが、元々三浦は元恋人を探すために時間を使うつもりだったようなので三浦自身の意思で来なかったかどうかの判断材料にはならない、と山田は言っていた。そもそもあんな約束をしたのだから来ない理由はないのだが、それでも確認しておくことがある、というのが山田の言だ。
部屋の確認については既に話を付けていたので問題ないものの、持ち主がいない部屋を見て回るのは落ち着かない。とりあえず確認を、と思い、横須賀はゴミ箱に視線を落とした。
使わないものならまだ触れることを躊躇わなくていい。基本的に入っているものは紙屑だったし、破り捨てた様子もないのでプライバシーとしてもそこまで案じず横須賀は手を伸ばした。なんとなく、三浦なら見られてまずいものは細かく破り捨てるかシュレッダーを使いそうな気がする、というのもある。
紙にはあまり難しいことは書かれていない、というより空いた穴や日用品、本のタイトルらしい名前から、コルクボードのメモを思わせた。買うものをメモしているのか、それとも買っておいた在庫をここで管理しているのかまではわからないが、あまり三浦の言葉は存在しないようである。
捨てられたメモを開いて、日用品、本のタイトルらしいもの、わからないものと分けていく。ゴミ箱の中にあったものを机に直接置くことは流石に躊躇われ、ティッシュを並べた上にはみ出ないようにして分類した。
基本的に分類できるものが多かったが、二枚だけ店の名前と時刻が書かれたものがあった。片方は兎の絵、片方は兎と犬の絵が小さく描かれていたのでそれもまた別に分ける。兎の絵は「クリーム・ケース」、兎と犬の絵は「喫茶 木立ち」。他の日用品の文字はハネが次の角に続いたり払いがそのまま流れて行ったりしているが、このメモだけ止めハネ払いがきっちりしていて、確かめるような書き方である。それでいて文字は固いというより、楽しそうにも見えた。
(甘い物、好きなのかな)
頼んでいたカルーアミルクを思い出す。甘い、不思議な味。コルクボードをよく見ると、犬の絵があるメモがもう一つあった。こちらには本のタイトルがある。『オススメ!』と書かれた文字は、本のタイトルの脇で元気に跳ねており、犬の絵はその近くに添えるように並んでいた。
「なんかあったか」
びくり、と横須賀は体をこわばらせ、声の方を振り返った。山田がするりと横に立ち、メモを見下ろす。
「ゴミ箱の、で」
「覚え書きか」
山田が一枚紙を手に取って呟いた。他の紙と手元の紙を流し見るように首を動かした山田は、しかしあっさりとメモを置く。
「必要ねえな」
言い切りは独り言のようでもあったが、声量から考えると横須賀に伝える意味もあるのだろう。しかし横須賀は頷くには少し躊躇った。
ゴミではあったが、メモというのものはどうにも横須賀にとってひっかかる。破り捨てないそれは、なにかになるのではという夢想。しかし根拠が無い自覚もあるため、横須賀はメモを写しはしなかった。
「多分こっちで十分だ」
短い言葉で山田が離れる。ついてこい、という言葉はなかったが、なんとなく横須賀はそのあとに続いた。止められることはないが、振り返る様子も無い。それでも続いたのは、三浦の寝室に本があるのを見たからだ。見てわかるものではないだろうが、しかし横須賀にとっては意識しやすいものが本だ。