台詞の空行

7-7)次の約束

「子供っぽい人。……といっても子供の時の初恋だし、子供っぽくて当たり前なんだけれどね」

 ふふふ、とリンが笑う。少しだけ逸れた瞳は、長い睫の影で揺れて見えた。想いを巡らせるような視線は、交わらない。

「頭が良くて難しいこと考えるのに、興味ないことは全然考えなくて。好奇心と優しさで出来た人。周りを見ていないようで人思いだったから、ずるいわよねぇ」

 愛しい、というような柔らかい声音は、高く作った声よりも少し落ち着いたトーンでゆるゆると下りる。

 睫が少し震えた。一瞬だけ眉が寄り、しかしぱちりと瞼が持ち上がる瞬間すぐに戻る。

「やだわ飲んでないのにお喋りになっちゃう。今言ったことは内緒よナイショ」

「はい、有り難うございます」

 誤魔化すようにソルティドッグを三浦に慌てて差し出したリンに、三浦はくすくすと笑いながら頭を下げた。

 内緒、という言葉を内側で繰り返して、横須賀は神妙に頷く。

「わかりました」

「ふふ、横ちゃんは真面目だから安心ね」

「俺も真面目ですよぉ」

 リンの言葉に三浦がはーいとグラスを持った片手を上げて笑う。酒を飲みながらの茶化すような穏やかな声に、ええ、とリンは頷いた。

「貴方も真面目そうよね。嘘は得意そうだけれど滅多なことじゃしなさそうだし、だからついつい私もつられちゃったわ」

「嘘が吐けないとは言いませんが、得意そうと見られるのは中々信用薄くなりそうな気がしますね」

 たは、と三浦が頭を掻く。横須賀が首を傾げ、リンはくすくすと笑った。

「横ちゃんはピンとこないみたいね」

「横須賀さんはなんでも信じそうですものねぇ」

 いや疑われるよりいいんですけどね、などとフォローのような言い訳のような言葉を重ねた三浦に、横須賀は反対側に首をまた傾げ、それから首肯した。

 確かに、疑うと言うことはあまり得意ではない、と思う。調べて正否がわかるようなものならいいのだが、そうでないものを探ることは得意ではない。

 言葉をそのまま受け取ることを、横須賀は悪いとも思っていない。そう思って欲しいと相手が願うのなら、自身だけの場合はそれでいいとすら思う。幸い山田は不要な嘘を吐かないし、山田が暴くので仕事でも必要はなかった。

 必要ない、はずだった。

「横須賀さん?」

「へ」

 三浦の声に、首肯したまま俯いていた顔を横須賀は持ち上げた。案ずるような表情が安堵に変わるのを見、は、と息が詰まる。

「すみませ、俺」

「いえ俺の方こそすみません。なんでも信じる、は無いですよねそりゃ」

 慌てる横須賀の声を、穏やかな三浦の声が遮る。低い声はあくまで優しいのに、謝罪をそれ以上続けさせない色があった。横須賀は左手で右手の甲を撫で、頷くに頷けず、しかし否定も出来ずに三浦を見返した。

「一応弁明させていただきますと、必要な嘘は吐きますが出来る限り吐きたくないと思ってます。嘘を吐けば、相手の信用を失います。特にささいな嘘はその効果の割にデメリットも大きい。どこでなにが漏れるかわからないですし……嘘は自分さえ完璧ならだまし通せるものでもない。人と人は繋がっていて、時間も連なって今がある。今とせめて未来の自分だけで最善を尽くそうにも、過去や他人はどうにもならないですから。吐くならそれ相応に覚悟して、ってなると、吐く方が疲れるんですよねえ。だから吐けない訳じゃないですけど、得意そうはちょっと違うかなって思います」

 どっちかと言うと苦手なんじゃないかな、と三浦は肩を竦めた。まあわからなくもないわね、とリンは先の言葉をさほど気にしていないのかあっさりと肯定で返す。

「山田さんも、そんなこと言ってました」

 ぽつり、と横須賀は呟いた。言葉選びが違えども聞いたことのある言葉だ。苦手、という言葉をもう一度内側で繰り返す。

「そういう人なら、安心ですね。実はちょっと外見で怯んだとこはあるんですけど、頼るしかないしリンさんは良い人っぽいしなにかあっても横須賀さんみたいな優しそうな人もいるから腹くくって利用させてもらおうってくらいの勢いでしたが、よかった」

 よかった、ともう一度三浦が繰り返す。細められた瞼は柔らかく弧を描いており、手はグラスを堅く握っていた。

「すみません、俺本当お喋りですね」

 ふと、へにゃりと笑って三浦が横須賀を見上げた。横須賀はいえ、と短く答える。

 たくさん言葉を尽くしているのは事実だろう。だが、お喋り、というと何故だかなにか違うように思えた。有り難うございます、と礼を言って、三浦がグラスに口を付ける。

「それでも随分長く経ちました。あんまり遅くにすると明日山田さんに怒られちゃいそうですし、そろそろですかね。最後にお酒もうひとついりますか?」

「だいじょうぶ、です」

 グラスは空になっていたが、飲みたい、という感覚を横須賀はあまり持たない。ぺこりと頭を下げた横須賀に、そうですか、と苦笑した。

「今日はお付き合い有り難うございます。おかげでちょっと不安が減りましたし、楽しかったです」

「あ、ありがとうございます」

 楽しかった、という言葉にどう返せばいいかわからず、ぴゃ、と横須賀は頭を下げた三浦に再度頭を下げ返した。横須賀が顔を上げるのを待って、三浦がリンに向き直る。

「リンさんも、紹介と、今日はこの場所を有り難うございます」

「いーえ。紹介は私の勝手、この場所はお仕事。気にしないで良いわよ」

 ね、とリンに同意を求められ、横須賀は頷くとも会釈ともいいがたい形で返した。

 気にしないでとリンが言うのならそのまま同意でいいのだが、同意を求められてもその行動をしたのは横須賀ではないのでどう返せばいいかわからない。元々聡い方ではなかったが今日は特にそんなことばかりで、横須賀は困ったように眉を下げた。

「今日は時間をいただいちゃいましたし、会計はまとめて俺が払って良いですか?」

「え、あ、いえ、自分で」

「そうですか、じゃあ別でお願いします」

 慌てる横須賀に三浦は穏やかに答えると、リンに声をかけた。はあい、と頷いたリンが会計を始める。横須賀が会計を終えるのまで待つと、三浦は扉を開けて横須賀に先を促した。

「あ、りがとうございます」

「どういたしまして。今度は奢らせてくださいね」

「え?」

 扉を閉めながらの言葉に、横須賀は不思議そうに三浦を振り返った。今度、という言葉が口の中で転がる。

「ほら、仕事頼んだ関係だと奢られにくいのかなーって思いまして。彼女のことうまくいったら、山田さんと横須賀さん二人にごちそうさせてください」

「えっと」

「依頼がうまくいったら、お誘いしますから。ひとまず明日よろしくお願いしますね」

 しばし逡巡したものの、横須賀は結局頷いた。依頼とは別の謝礼を山田が受け取るかはわからないが、三浦が山田に問う分には問題ないだろう。そういう理由での首肯だったのだが、三浦はひどく嬉しそうに笑った。

「有り難うございます。約束ですよ!」

 少し子供っぽいような大仰な笑顔で、三浦が念押しのように言葉を重ねた。こくり、と横須賀は頷いて、メモ帳を取り出した。

「書いておき、ます」

「ああ、それなら安心ですね」

 くすくすと三浦が笑い、横須賀がメモを取るのをのぞき見る。やくそく、とひらがなで追加した横須賀は、ひどく慎重にまるをかいた。

「じゃあ、また明日。俺の部屋の確認からですね」

「はい。明日、よろしくお願いします」

 メモ帳を鞄にしまうのまで確認して、三浦が笑う。悲しい顔よりもこちらの顔の方が三浦によく合うように思えて、横須賀も小さく笑い返した。仕事がうまくいけば、三浦の憂慮も晴れるだろう。やくそく、と口の中で繰り返して、横須賀は三浦と別れた。


 けれども次の日、三浦は姿をみせなかった。

(リメイク公開: