台詞の空行

7-5)お人好し

 突然話を振られ、横須賀はびくりと肩を揺らした。ぱち、ぱち、と言葉を咀嚼するように瞬く横須賀を三浦が見上げる。

 一緒に来た、ということは表情だけではないのだろう。やや考えるように首を捻った横須賀は、ああ、と呟いて笑った。

「三浦さん、は、見て、受ける人、です」

「? どういうことです?」

 三浦が考えるように眉を寄せる。えっと、と横須賀は呟いて、手を膝の上に置いた。

 指先が自身の脚を撫でる。ペンを持っていないものの持つような所作で人差し指と親指をつけた横須賀は、小さく揺らすようにしながら口を開いた。

「来る時なんですけれど、人とすれ違う時は一度俺の後ろに下がってました。それで、必ず一度止まる、んです。すれ違う相手の人が見ていても見ていなくても笑って会釈されます。相手が気づく前に後ろに下がってすれ違うときは止まらないですけれど、見るとやっぱり会釈されてました、し。会釈をもらったときはやっぱり笑顔で返しますし」

 歩いている時横須賀と一緒だったので、普段の歩き方はわからない。横須賀に対しては随分物腰柔らかく接してくれていたので話しかけやすいかもしれないが、普段はそうでないとしても、すれ違うときの所作は横須賀が居るからというようなものに見えなかった。だとしたらどんなに厳めしく歩いたところで、目があった人は話しかけやすいのではないか、と思う。

 山田はどちらかというと反対だ。するすると歩いていき、相手と自分の距離を一定にする。依頼人や調査相手には気遣いの所作をするが、ただ歩いていくだけの時はほとんど横須賀すら見ず、歩くスピードも速い。平塚が言うように見目の問題もあるかもしれないが、見目以外にも間を作らない行動は人に話しかけられにくいもののように思える。

「見て、止まって、反応をされるので。話しかけられやすいのかな、と」

「あー……それは、まあ、ハイ」

 横須賀の言葉に、半眼でどこか遠くを眺めながら言葉を濁した三浦は、結局がくりと頷いた。リンが肩を竦めて苦笑する。

「どうしても嫌ならその癖、直した方がいいわよ」

「まー、絡まれるくらいなら慣れてるんでいいです。嫌なときは一人になれる場所見つけますし。今回はそのおかげでリンさんに会えて山田さん紹介していただけましたしね」

 たはは、と三浦が笑う。リンは情報屋だと山田が言っていた。紹介、という言葉を横須賀は内側でなぞる。

「正直、俺だけじゃきっとどうしようもなかったから本当助かりました。自分で言うのもなんですが中々信用しづらいだろうに有り難うございます」

「恋のお話ですもの。忘れられない人、なんてロマンチックじゃない」

 両手を合わせて、リンが笑う。ややオーバーな所作を指摘せず、三浦は少しだけため息をついた。

「恋って言っていいのかわからないんですけど、ね」

 ため息と一緒に呟かれた言葉は、その息と似た感情を含めていた。戸惑いではない、嘆きとも違う。ただそのため息という言葉が似合う声は、そのままカウンターの向こうに転がり落ちるようにあっさりと終わって行くものでもあった。

「お酒、おかわりいるかしら」

「あー……じゃあ同じのお願いしても良いですか」

「はぁい。横ちゃんは?」

 リンの言葉にひゃ、と声はないものの肩を揺らした横須賀は、自身のグラスを見下ろした。飲む機会はさほど無いものの、どちらかというと飲んでも酔いを感じにくい横須賀だが人の話を聞きながら飲むペースは随分と遅い。

 グラスに残る甘い色に、横須賀は眉を下げた。

「まだあるので大丈夫、です」

「欲しくなったら言ってね」

 笑いながらリンが酒の準備をする。ぐ、とカルーアミルクを飲み干すように煽ったので、三浦の喉が反る。ごつりとした喉仏は男性的で三浦の体格に見合っているが、眉間に寄った皺は甘い酒を飲み干すというよりは薬を飲み込むようでもあった。

「恋ってなんなんでしょうね」

 ぽつりと落ちた言葉は、平坦だ。悲しみと言うよりは単純な疑問。けれども三浦の表情は暗く、横須賀は自身のグラスを撫でる。

「横須賀さんはどう思います?」

「へ」

 間抜けな息をもらした横須賀を、三浦は笑わない。じっと横須賀を見据える黒い双眸は、真摯に答えを待つ鋭さだ。

 グラスを握りしめる。どう答えればいいかわからず、横須賀はただ三浦から目をそらせない。

 と、へにゃり、と三浦が眉を下げて笑った。

「すみません。ガキみたいなこと言いましたね」

「え」

「うん、わかってるんですよこういうのは聞くもんじゃないって。誰がどう思ったとしても本人がどうかでしかないのだから」

 少し早口で三浦が言う。双眸はもう横須賀から外れていた。リンが三浦の空いたグラスを片付け、同じカルーアミルクを置く。

「依頼している彼女、本当まじめな人だったんですよ」

 ぽつ、と落ちた言葉に、横須賀は頷いた。知っているわけではないが聞いていることを示すためだ。三浦はグラスを少し揺らしていて、横須賀に向き直りはしない。静かな横顔と揺れるグラスは、ふと小さく音を立てたのち止まった。

「俺は出向してプロジェクトの手伝いすることがちょいちょいあるんですね。彼女はその時チームリーダーでした。小さなプロジェクトでしたが、若い女性がチームリーダーってのは俺が思う以上に大変だったみたいで……気を張っている、のがよくわかりました」

 穏やかな声で、三浦が言葉を落としていく。返事を求めると言うより転がすままのそれらをメモしていいのか悩み、結局横須賀はメモ帳を開けないまま三浦の言葉に頷くだけだ。リンは特になにも言わず、むしろ三浦の視界から少し外れるように移動した。

 三浦がカルーアミルクに口を付ける。やはり甘いと言うよりは苦味を思わせるような表情を、横須賀はただじっと見ている。

「俺の仕事の話をしてもピンとこない人もいるんでざっくりい言うんですが、パソコン使う業務で、どちらかというと個人でやるものに見えるんですね。でもプロジェクトで納期があって、設計的なものとかある程度コミュニケーションも必要で。俺は自分で言うのもなんですが、そういうおしゃべりとか場をあっためるのはそれなりにできるんですよ。あんまこう、命令とかそういうのは出来ないタイプですけど。で、彼女は頑張っていたんですが頑張りすぎて空回っていたというか、運悪いことにチーム内に女性だからってだけであんまりな言い方するやつも居て。この人崩れちゃわないかな、が、お節介な印象でした」

 ふ、と三浦が息を付く。ころころ転がる言葉は、けれどもそのまま霧散するようなものではない。言葉を求めるつもりはなく、聞かせるためのもの。朗々とした山田の言葉とは違うが、ある意味では同じようなものにも思えた。

 既に決まったことを相手に伝えるためだけのもの。ただ山田と違うのは、三浦の表情が山田より動くという点だ。いや、ある意味では山田の方が大仰なときもあるが――三浦の表情は、見せると言うよりは声に出さない感情がそこだけに集約したようなものがある。

 ひそめられた眉、眉間に寄った皺に倣うように細くなってしまう瞳、時折感情をなだめるように閉じられる瞼。それでいてまた静かに語り出すに従って開く、揺れる黒。

「俺、そういうの気になっちゃうんですよね。俺自身が人に頼って頼られてって生き方しているんで、どうにも崩れたときが怖くなっちゃって。頼りたくない人も居ますし俺の力が足りない時だってあります。それでも俺は彼女の力になりたくて、仕事の話をして、できるだけ聞いて。――そんなこんなをしていたら彼女も俺の言葉を聞いてくれて。色々あって、俺の出向が終わってもお付き合い出来るようになりました」

 はふ、と吐き出された息は、過去を思ってかようやく笑みを作った。それでも寂しげで、どうすればいいのか横須賀はわからない。

 グラスにちびりと口を付ける。三浦よりは苦味があるカルーアミルクは、しかし甘い。

「俺ね、好きな子に目一杯甘えるし甘やかすタイプなんです。元々弟妹が可愛いくて甘やかしていましたし、凹んだ時は甘えてました。一人じゃ出来ない奴だって自分で自覚していて、運悪いのが続きすぎてめっそりしては誰かに助けてもらって、俺が出来ることは精一杯助けて。家族にも友達にもそうで。
 それが当然だったからこそ、彼女みたいに真っ直ぐな人は甘やかしたくなるんです。俺は甘えるし、喜んで欲しいし、いっぱい好きを渡し続ける。いつもピリピリしてたら大変じゃないですか。だから一緒にいるときくらい肩の力抜いて、失敗もそれでもいいじゃんって笑って、疲れたらゆっくり休んで。彼女がだめねぇって苦笑するのも可愛かったし、本当に駄目なことなんて生きていく上でそんななくて、だからそれを一緒に笑えるくらいが丁度よくて。彼女は年上ってこと気にしてましたが、俺としてはそんなの関係ないし、むしろだからこそ甘やかしたかったし。本当、いっぱいいっぱい、愛を渡したつもりだったんですよ」

 つらつらと続く言葉に感情が乗る。先の説明するだけよりも自身の気持ちを吐露するような音は、しかし甘さよりも喘ぐような息苦しさがあった。案の定と言うべきか最後に大きく息を吐いた三浦の肩が下がる。

 ぐ、と甘いグラスを三浦は飲み干し、空になったそれを見下ろした。