7-4)紹介
* * *
「よかった、太郎ちゃんともうまく言ったみたいで」
「有り難うございます」
リンの言葉に、三浦が笑う。二人の会話を眺めながら、横須賀はちびりと手元のグラスに口を付けた。甘い。
カルーアミルク、と言うお酒は、白っぽい薄茶色でコーヒー牛乳に似ている。味もコーヒーに似ているので、元々そういうものなのかもしれない。ただコーヒー牛乳を見たことがあっても飲んだことはないので同一かまではわからない。けれども。知っている二つを合わせたものに似ている、ということだけはわかるので、横須賀はそれをお酒にしたものなのだろうか、ともう一度口を付けた。ミルクの甘みが随分強い。
横須賀は酒が飲めるというだけで詳しくないのでよくわからないが、随分甘くて不思議な心地になった。
「横ちゃんカルーアミルクは初めてって言ってたけど、甘さ大丈夫? ビターにする?」
「ビター?」
リンの言葉に、横須賀は瞬いた。ああいいですね、と笑う三浦は横須賀と同じカルーアミルクに口を付けている。
選ぶと言っても知っている酒は少なく、とりあえず三浦と同じものをとしただけの横須賀はリンの気遣いに少しだけ不思議そうに首を傾げた。リンはその仕事柄か、横須賀にも随分と気を配ってくれて手のひらがざわつく。
「せっかくだし試してみる? 甘いのと苦いのどっちが好き?」
「どっち、も」
「じゃあ試してみましょ。ちょっと待ってね」
どっちもよくわからない。その言葉は喉に突っかかり、結局外にでなかった。リンは楽しそうに笑って後ろの棚を振り返り開ける。長い髪が少しと揺れた。
棚にはいくつかの瓶とコップが並んでいた。調理用なのだろうか、と思う。見せる為のものではないので、外に並ぶ酒とは別だ。ただ、酒がないわけでもない。
ぱっと見えたのは三本のボトル。さつき乃舞、藤の恋里、rindo。rindoというとこの店の名前でもあるので、リンの趣味だろうか。藤、は花の名前だと横須賀にもわかるので、さつきも同じく花の名前かもしれない。ただ、さつきについては横須賀の知識だとわからないので予想でしかないが。
リンは棚からインスタントコーヒーの瓶を取り出すと、あっさりと閉めてしまった。瓶はよく見かける大きなものではなく、小さい。ラベルに書かれているのは英語のようだ。リンの大きな手で隠れてしまったので、なんと書いてあるかまではわからない。
スプーンに軽くひとさじ掬って、リンが横須賀の飲んでいたコップにさらさらと粉を降らす。じ、と見ていた横須賀に、リンは笑った。軽くかき混ぜて、マドラーを抜く。
「飲んでみて」
「あ、はい」
口を付ける。先ほどよりも少しだけ甘みが和らいだようだった。甘いことには甘いが、コーヒーの香りが少し増した印象だ。
「どう?」
「おいしい、です」
こく、ともう一度口を付けて横須賀が答えると、リンは嬉しそうに目を細めた。
長い睫が影を作り、元々大きな黒目がさらに大きく見える。
「よかった。横ちゃんは甘すぎないくらいが好きなのね」
「あ、え、どちらもおいしいです。リンさんがいれてくださった、ので」
「もー、いいのよそれは」
横須賀が慌てたように言うと、リンが唇をとがらせた。それは、の意味が分からず、横須賀は瞬く。
店のものでも、こうやって誰かが目の前で作ってくれるということは横須賀にとってそれだけで一等有り難いものだ。確かにリンが一手間増やしてくれたのは申し訳ないくらい有り難いが、どちら、という問題ではない。どちらにせよこれは横須賀にとって大事で不可思議な飲み物だ。
「仲が良いんですね」
穏やかに、三浦が笑った。なかがいい。馴染まない単語を横須賀は内側でなぞる。平仮名で頭に浮かんだ文字をなぞり、漢字にして――理解が追いつく手前で、リンがふふ、と笑った。
「そー見える? 太郎ちゃんの仕事仲間だし、可愛いからついつい構いたくなっちゃうのよね」
仕事仲間、という言葉は漢字のまま横須賀の内側に落ちた。こくり、と頷く横須賀に、三浦が眉を下げる。
「山田さんのことを随分と信頼されているのですね」
「付き合い長いから。じゃないとみーくんに紹介しないわよお」
「わかってます。貴方が信頼しているから、俺も山田さんを信頼しています」
たはは、と笑うのは三浦の癖なのだろうか。どこか困ったように、でも困ったと言うよりは気の優しさを見せるような笑いは三浦に馴染んでいるようだった。二人を見ていると、三浦が横須賀に視線を向ける。
「あ、やっぱみーくん似合わない思います?」
「え」
「ガラじゃないなって思うんですけど、リンさんこれ譲らなくて。最初みーちゃんだったんですけど猫じゃないからせめてって感じでこーなったんですよ」
横須賀が答えるより早く、頭をかきながら三浦が苦笑して言葉を重ねた。発音が違うじゃないというリンの抗議に、でもさすがに猫ですよそれ、と三浦も抗議で返す。
呼び方というものを横須賀はあまりよくわからない。呼ばれるということはそれだけで素敵に思うし、似合う似合わないというものでもないだろう。
「別にみーくんいいでしょ。ねー横ちゃん」
「あ、はい」
「俺名前の方が好きなんですよー」
リンに同意を求められて頷くと、三浦が不満の声を上げる。名前。先ほどもらった名刺をなぞろうとするように、横須賀は鞄を見下ろした。
「仁君、よね。でも私あだ名で呼ぶの好きなのよ。気に入った人は名前。おまじないのようなものよ」
「おまじないですか?」
リンの言葉に三浦が瞬く。ええ、とリンは頷いた。
「悪い虫がつかないようにおまじない」
「聞いたこと無いですけど……っていうか、だったら山田さんはどうなるんですか」
「太郎ちゃんは特別だもの」
唇の前で指を立て、リンは口角をきゅっと持ち上げた。赤とピンクの中間のようなルージュが艶めき、瞳は優しく弧を描いている。紫の爪はほんのりラメがかっていて、ストールの淡い色を宝石に閉じこめたようだった。
リンの所作に横須賀は目を細めるが、三浦はなにか言いたげに薄く口を開いた。けれども言葉は続かず、次に浮かんだのはあの人の良い、眉を下げた笑みだ。
「まあいいですけど。その呼び方ならリンさんだってすぐわかるくらい特徴的な呼び方ですし」
「ふふ、有り難う」
リンの言葉に三浦は頭をかき、それからグラスに口を付けた。見ながら横須賀も同じように口を付ける。
「でも確かに、似合う名前よね」
「でしょー」
リンの言葉に、三浦が得意げに胸を張った。仁。思いやり、慈しむ心、だったか。リンが少しだけいたずらっぽく、猫のように目を細める。
「それなりに体格もいいのに酔っぱらいに絡まれたのは名前から滲み出ていたからかしら」
「う」
やや大げさに三浦が胸を押さえる。そうしてがくりと頭を下げる様は意気消沈という言葉が似合う割に、大げさだからかへこみすぎているというよりは楽しげな印象も持たせた。
賑やかな人だ。かといって、騒々しい訳ではない。
「リンさんには感謝してます。本当どーにも、ああいうことよくあって。きちんと体作ってる人ほどじゃなくてもそれなりに体格あるし顎ひげとかもそこそこ箔付けになっていると思うんですけど。なんで皆ああなんだか……どう考えても話しかけやすいパーツじゃないでしょうに」
むぅ、と三浦が唇をとがらせる。確かに山田ほどかっちりとした固い印象はなくとも、がっちりと筋肉のついた大きい体は話しかけやすさとは別なのかもしれない。箔付け、というが髭のない様子がきちんと想像できないので、その状態と比べてどうかまでは横須賀にはわからないが――しかしころころと変わる表情と人懐っこい笑みは、それらを全て人の良さに変えて見える。
「あら、自覚無いの貴方」
リンが頬に手を添えて首を傾げた。さら、と髪が揺れる。
「普段は話しかけやすいように色々気配ってますよ。コミュニケーション大事ですし」
「うん、そうだけど。それだけじゃなくって……横ちゃん、一緒に来たならわかるんじゃない?」