4-12)孫
「山田さん?」
問いかけると、山田の唇が引き結ばれる。ぎゅ、と眉間に皺が寄り、しかしすぐにその口角はいびつに持ち上がった。
「テメェは部屋に居ろ。デカいのは邪魔だ」
は、と嘲笑と共に吐き出された言葉に、横須賀は一度部屋の戸を見た。邪魔と言われればどうしようもない、と横須賀は思う。
確かに横須賀は大きいのだ。どんなに体を縮こめても、人を見下ろしてしまう。それが誰かを怯えさせるかもしれない、と考えると恐怖だ。軽蔑と恐れと嫌悪で、視線を逸らされ続けることだって、横須賀がどうしようともどうにもならないことだと知っている。横須賀はきっと、様々な意味で邪魔なのだ。
「おい」
山田の声で、横須賀は思考から浮上した。ねじれた鞄の紐を隠すようにしながら親指の腹で撫で伸ばす。事実はどうしようもない。見下ろすことが申し訳なくて、横須賀は視線をさまよわせた。
近くの扉には隙間がある。先ほどの見取り図から不二代の部屋だ。急いで行ったのだろう。台所には扉がない。中を覗くことは出来ない。しかしそうやってぐずぐずと視線をさまよわせても、横須賀は一歩がでなかった。
「どうした」
動かないまま、山田が区切るような音で尋ねた。言葉がうまく出ない。もごもごと唇を動かし、閉じる。ややあって横須賀は、ようやく山田に向き直った。
見下ろすと言うよりもその更に下、自身の足下を見るような視線はおそらく横須賀が思う以上に弱い。
「大きいから、ダメ、ですか」
ようやっとこぼれた呟きは、狭まった喉を通り抜けた故に細く少し高い音だった。山田の左眉の眉尻が、少しだけ上がる。
従わねば、とは思う。だがそうするには気になってしまった。けれども気になったことは横須賀にはどうしようもないことで、結局どうにも出来なくなってしまう。
是とも否とも言えなくなり、喘ぐように漏らした疑問に山田が大げさに息を吐いた。
「テメェが邪魔になるだろうから言ったが、サイズは問題じゃない。そこは訂正しておく。邪魔になるだろうってのは変わんねぇがな」
「はい」
山田の言葉に、少しだけ横須賀は安堵したように声をだした。下がった肩に、山田が視線を逸らす。
「秋山が誰かと連絡を取っているのか、だとしてどうするつもりかまでが読みきれねぇ」
「れん、らく」
静かな言葉に、横須賀は間の抜けた声で復唱した。先ほどの戸惑いをまだ残したようなすぼまった声は、つっかえながらもとすりと落ちて、奇妙な疑問を形にする。
「……先に言っておく。秋山に孫はいない」
静かな声に、横須賀の喉が鳴った。ひゅ、と漏れた空気はかろうじて戸惑いを一音運びだし、しかしそれに意味などない。
理解するには唐突で、否定するにはあまりに端的。結局ぱちくりと瞬くだけの横須賀を見ず、山田は玄関を見据えた。
「こんな時間に手紙をだしたところで、回収が間に合うとは思えない。明日でも十分だろう。手紙はおそらく嘘だ」
嘘。続いた言葉をなぞり、しかし嘘の理由がわからず横須賀は視線をさまよわせた。
孫が居ないことと嘘の理由が繋がらない。せめて嘘の理由だけでも探そうとするが、横須賀の頭にそんなものが浮かぶわけなかった。結局、山田の元に小さな黒目は戻る。
「この家を空けてでも報告しなきゃなんねぇことがあるのか、それとも呼び出されたのかは判断出来ねぇ。ただ盗聴器はねぇだろうな。秋山は孫の部屋だけは守るはずだ」
盗聴器。つらつらと並べられる言葉はすべて奇妙に遠く、それでいて質量があった。
山田の言葉はこういったとき、いつも横須賀にとってなじみのない物を当たり前のように並べ立てる。横須賀の気質として元々人の言葉を信じやすいところはあるが、それでもその平坦な物言いには思考を挟ませないだけの当たり前が存在する。
「俺の発言でも急いで戻ってくる様子がないことから問題はさほどないはずだ。この時間が俺達を誘い出す為ってのは薄いとは思う。際どいとこつついても、こっちへの不信感は見えなかった。外出理由として思いつく理由は外部接触――ただタイミングも方法も読めねぇ。人の気配はしたが、ならわざわざなんでそんな家を空けるか、だ」
山田がそこで言葉を切った。事実を読み上げるようないつもの声は、それでいて思考の発露のようでもある。連なる文字を浮かべながら、横須賀はその声を追う。
「孫についてはあらかた想像ついている。だから結局」
そこで山田が言葉を切った。眉が持ち上がり、半端に小さく開いた唇が少しだけゆるんだ表情を想像させた。
言葉を待つ。眉がしかめられ、きゅ、と唇が引き結ばれた。まるで声を飲み込むような所作の後、山田が孫の部屋を見やる。
「色薬だから、か」
呟きに、横須賀は身を強ばらせた。山田が舌打ちをする。
「見るだけじゃどうしようもねぇな。もしかするともしかするかもしれねぇ。そもそも今更の招待状だ、タイミング的には間違っちゃいねぇ」
「あの、どういう」
戸惑う横須賀を山田は見ない。背筋を伸ばしたまま真っ直ぐ、廊下の奥を見据えている。
「秋山不二代は事故で息子夫婦、孫を同時に失っている。常識的に考えれば孫がいるなんて妄言は心の病と判断できるが、可能性は低い。それを確認しに来た」
静かな声。ともするとこぼれ落ちそうな音を拾うために、横須賀は身を屈めた。
視線を下げても、山田の見ている物を横須賀は見つけられない。その先にあるのは廊下と壁、扉だ。
「色薬の件はまだ事例が少ないが、テメェが言った話からも前回の事件からもひとつだけはっきりしていることがある。人間が液体になることだ」
山田が横須賀を見上げた。今日の山田はやけに眉をしかめている、と思う。馬鹿にするようなというよりは、少し神経質な険しさ。
「洞親子の民話から見ると、液体のようななにかがが人間になっているという奇妙な点があるが――見方を変えれば、ヨミの洞に入った子供が液体になって人の形をとり戻った、とも言える。これまで見たのは水を飲んだ、だが、あの民話が色薬のことを言っているとしたら、水を飲む描写が削れたのかそれとも別の要員があるのか――どっちにしろ、今秋山がなにを飼っているのかという問題と、もしそれが本当に孫だったとして、利用する人間にとっては孫なんざどうでもいいだろうってことだ。おそらく秋山は大事な孫を薬にするわけネェだろうからこそ、な」
「え、でも、亡くなってるなら」
人が崩れ落ちる。あまりにも異様な光景は確かにあって、けれどもだからといって異様な事態を横須賀は受け止めきれない。死んだ人が蘇ることなどなく、故にあの光景は罪悪だ。そしてそもそも、利用するというのもわからない。
民話をなぞるのなら、村から出ることが出来ない子供を作ることになる。死んだ両親を連れ帰った子供。山田に指示され持ち出した口伝で村長は告げていた。両親は子どもを洞に連れ帰ると。そうさせないために祖父が代わりに向かい、封じることになった。それでもその子供は、村から出られないと、村長はそう言った。「この村でなら生きられる」、そういう言葉のものを、作ったというのことなのか。けれどもあの子供は――
「死んでるのは事実だ。だからテメェは部屋に居ろ」
山田の声は、静かだった。はっきりとした宣告。並べられた言葉を一音ずつ飲み込み、内側で組み立て直す。そうしてようやく理解した横須賀は、はくり、と金魚のように口を動かした。
「もし俺がなんかやらかしたようだったらリンに連絡だけすりゃいい。帰れ」
「俺、結局なにも、」
横須賀の喘ぐような言葉に山田が大げさなため息をついた。以前もこんなことがあった。青提灯、神社、子供、黒いジャケット。
なんとか傍にいることを選んで、それでも山田が言う恐ろしい何かを横須賀は見ることなく遠ざけられた。山田は横須賀を使うと言う割に、どうしてかその時になると離れさせたがる。