台詞の空行

4-7)洞親子

「本によっては場所の詳細や資料の有無が違う、くらいでしょうか。本じゃない方だと洞窟の名前とか、祖父と村長とのやりとりが多く載っていたのが珍しいですが、あくまであれは個人のものなので……」

「個人だが、興味深いところは多かったな。洞窟については、学校のオリエンテーションとやらでも言ってたのか?」

 つい、と山田が前を向く。向かう先は洞親子の祠の場所だろう。丘にあるので少し昇ることにはなるのだが、足場は無いわけでもない。舗装されてはいないが、気をつければ人が通れる道だ。

「洞窟については、なにも。だいたい本じゃない方に載っていた内容は聞いていないです。子供がぶよぶよになる、といった描写もあっさりしていたと思います」

「ま、オリエンテーションじゃそんなもんだろうな」

 山田の納得はあっさりしていた。横須賀自身、考えてみればあまり細かく描写を伝えないのは納得でもあった。それはどうしても想像してしまうものができてしまったからかもしれないが――今の横須賀には、崩れ落ち、ただれ、ぶよぶよになるというあいまいな言葉でも少しだけ酸素が足りなくなる。

「洞窟の場所がないのはそのままか。ヨミのうろ、だしな」

 口伝に書かれていた洞の名前に、横須賀は瞬いた。山田はあの話を他の民話と同等に扱うようだ。洞親子をどうおやこ、ではなくうろおやこ、と読むことから考えると確かにヨミのうろという名前が由来とも考えられたが、場所がないということがそのままとなるのはわからず首をかしげる。

「ないのが普通、なんですか」

「ヨミっていったら黄泉の国。振り返ったら問題あるのも王道っちゃ王道だ。比喩的なものか実際あったかは知らネェが、不思議なわけわかんネェ場所っつー扱いなのはよくあることだろ」

 確かに、と横須賀は頷いた。振り返ったらいけない、見てはいけないという禁則事項は物語では王道だ。逆に言えば、王道であるのに何故民話の本に残っていなかったという疑問すら出てきそうなくらいだ。とはいえヨミの洞については、村長と祖父のやり取りが多かったからこそ子供を主軸とするために削られたのかもしれない。

 そうして名前だけが、かすかに残ったのだろう。祠と違い、場所がわからないのだから抜け落ちたことに気づかれることもなかった。

 そこまで考えた横須賀は、山田が足を止めたことに気づいて慌てて自身も立ち止まった。つい、と動いた顔がどこを見ているのか、視線まではわからない。そちらの方向に目を向けようとすると、じゃり、と足下の土を削り山田が横須賀を見上げた。

「こっちでいいか」

「あ、はい」

 山田の足取りに迷いがないのでつい付き従っていたが、問いかけを受けて横須賀は少しだけ足を早めた。今更ながら、先導するような形で進む。道を覚えている自信はなかったものの、人が踏み固めた道と遠くに見える祠が横須賀の背を押した。

 丘を登りきれば、石で出来た小さな祠がある。祠に向かって右手側には洞親子について記した大きな石碑。そして左手側には井戸のような囲いとそれを覆う屋根があるが、実際の中は小さな穴程度で形だけのものだ。以前見たときはオリエンテーションの暗がりであまり外見を覚えていなかったが、祠は古い話の割に意外にも綺麗だった。

 山田が横須賀の隣をするりと抜け、祠を見下ろした。

「ガキの時なにかしたか?」

「ええと、見に行っただけ、だと思います。もう悲しいことがありませんように、お友達と喧嘩しません、みんな一緒にしあわせでありますように、みたいなことをお願いするように言われましたけど、肝試しのようなものだった、と思うので、あんまりなにかしたことはない、です。約束守らないと怖いものが来るよ、いろんな事情があるから思いやりを持とうね、悲しいことをしてはいけないよ、というお話の後のご挨拶、でした」

「じゃあ作法もなにもネェな」

 は、と息を吐くと、山田が手を合わせて頭を下げた。深々とした一礼を見て、あわてて横須賀も同じように倣う。

 いち、に、さん、し、ご。持ち上げられた顔はいつもと同じだ。祠の下に供えられた小皿を見、山田がしゃがむ。

「失礼いたします」

 通る声のあと、山田が皿に触れた。どうすればいいのかわからず横須賀が半端に足を曲げてそれをのぞき見ると、山田が顎でしゃがむように示した。

「誰か居る」

 小さな声に、横須賀はびくりと体を強ばらせる。それをいさめるように山田の右手が横須賀のシャツを掴んだ。ぐ、と下腹部近くに重みが乗る。

「地元の人間かなんかわからネェが、今なにかされる覚えもネェ。向こうが近づくまでほっとくが、調べるのに礼儀を欠くなよ。もし地元が観光客の荒らしに警戒だったら、下手に敵増やすことになる」

 こくり、と横須賀が頷く。山田が横須賀と自身で隠れた小皿の縁を親指の腹でなぞった。それから、中央に盛られた白い粉を摘み擦る。

「あくまでここを見に来ただけだ。それを隠す必要もないし、誰か無理に探す必要もない。音が聞こえただけだしな。一応地元で祀られている神仏に入るからそこだけちゃんとすりゃいい」

 白い粉の隣にあるコップに入った透明な液体を、山田は指の腹で押した。そちらは舐めることなく、横須賀の手の甲に押しつける。拭うような所作でつけられた跡を、横須賀は見下ろした。それを確認して、山田が立ち上がる。

 手はじとりと濡れたが、色はない。

「意外と綺麗に祀られているんだな。毎日供えてんのか、地域信仰にしてもなかなかマメだ」

 祠を見ながら、山田が言う。横須賀に話しかけるような色ではない。しかし独り言というには誰かに聞かせる為のようで、それはおそらく見ているだろう人間に向けたものなのだろうと予測できた。立ち上がったついでのようにして簡単に周囲を確認してみるが、人影を見つけることは出来ない。

 改めて祠を見下ろす。祠と言っても大きさはさほどなく、地面からみても百センチ程度だろう。その中に火山岩のようなでこぼこした石が鎮座している。石造りの祠に扉はついていない。

 石に文字が刻まれているようだが、祠の中は影になっており見て取るのは難しい。ライトで照らしてわかるかどうかだが、それは礼儀に欠けるようで流石に躊躇うものがあった。

 両脇にある花立ては空。のぞき込めば水もない。暗くて見づらいが、内側に溶けた草の乾いた跡を見つけられる。底には数枚の木の葉。

「誰か願いが叶ったのかもな」

 山田の言葉に顔をあげれば、山田は隣の井戸に似た囲いをのぞき込んでいた。明らかに底は浅いのに釣瓶のあるそれは、もしかすると井戸を埋め立てたものなのかもしれない。とはいえ、埋め立てた井戸がこのように形だけ残る者なのか横須賀にはわからない。完全に埋まり切ってもいない微妙に浅い穴程度になるのものだろうか。調べて見なければわからないが、調べずとも山田は知っているかもしれない。

「願いが叶った、んですか?」

 どこまで何を書けばいいのかわからないが、それでも見ることが横須賀の仕事だ。見て取ったことをメモすれば山田は読む。見たものをそのまま書き出した横須賀は、山田の言葉をなぞる様に尋ねながらその側に並んだ。山田は横須賀を見ることなく、井戸の縁を撫でる。

「一般的にだが、こういうものを毎日管理するのは難しい。ほとんど地元の物だからな、氏子が居たとしても神社みたいな管理の仕方はできねぇだろ。ついでに管理してくれそうな寺や神社があるわけでもない。にもかかわらず、塩と水が供えられている。花はないが、金がかかりすぎるし無くて普通だろう。それでなくともこの時期暑さで溶けるしな。とはいえ簡単になくなっちまうだろう塩と水がこうやってあるってことは、誰かがわざわざ来てるって考えるのが筋だ」

 山田が井戸の縁から壁、地面を触る。井戸は石造りで、苔が生えていた。地面に茂る草は水を含んで青々としている。

「洞親子に願い、ですか」

 少し不思議な心地で、横須賀はもう一度言葉を落とした。小学生の頃にお願いしましょうと言い聞かせられたことは、今思えば願いと言うよりもお話のようなものだった。または、宣言というべきか。お友達と喧嘩しません、みんな一緒にしあわせでありますように。そういう言葉で洞親子となった子供を慰めるためのもの。子供が寂しくないように、という言葉だけは願いだったのかもしれないが。

 そもそも洞親子は、化け物によって変化してしまった子供を抱きしめた祖父を、抱きしめられた子供を、そうなってしまった悲しい事実を残し、鎮めるためのものだ。だから願い事が叶うというのはやはり奇妙に思えた。

 子供も、祖父も。物語の登場人物は願いを叶えるものではなかったし、どちらかというと叶えることが出来なかったものではないだろうか。それなのに存在する願いが、奇妙なあべこべ、歪さを見せる。