4-8)肝試し
「氏神とかそういう関係を見ていると、たまに調子がよくなったとかなんだかでその後わざわざ参る人間が居る。他には地元で家が近くて玄関周りを掃除するついで感覚で面倒見るお人好しがいるパターンもあるな。ここはその面倒見るにも少し外れているだろ。たとえば今日偶然きただけで毎日でないにしても、花がないって段階でマツリゴトとは別の個人のものだろうとわかるし、じゃあなぜわざわざ来るっていったら願いが叶った、が一番わかりやすいだけだ」
そういうと、山田は立ち上がった。そのまま祠の裏に向かうのを見て、横須賀も続く。祠の裏に特別何かある様子はない。ただ不思議なくらいつるりとした石造りの社だ。
正面からではさほど気にならなかったが、木から漏れる光を受けて反射している様は、墓石にも似ている。石碑の裏側の方が岩らしいごつごつとした材質のようだった。中にある石と似ているようにも思える。
「願っている、はないんですか?」
「ありえなくもないな。ただ、そういう願掛けに向くとは考えられない像にわざわざ繰り返し足を運ぶかどうかといったら不可思議なところがあるから、優先として叶った、と俺は考えた。……まあ、叶えたか願ったかはさほど重要じゃないからどちらでもいいがな」
ぐるり、と祠を回りきり、もう一度正面に立った山田が眉間に皺を寄せた。両手が体の脇で拳を作る。それから深く下げられた頭に、横須賀は最初と同じく慌てて続けた。最初と違うのは、手を合わせていないことくらいか。
「ぶしつけに失礼いたしました」
「しつれい、いたしました」
山田の言葉を殆ど復唱するだけになったことに気づき、もう一度礼をする。結局二回礼をしたが、山田はそれを言及しなかった。視線が、右手側の岩に向かう。
「書いてある内容は本とさほど変わりないな。スマホでいいから石碑だけ写真撮っておけ」
「はい」
うなずいて、なんとなくもう一度礼をしてから写真を撮る。フラッシュで反射したものの、文字は読める程度だ。
それでも念のためもう一枚、と撮影ボタンを押す。シャッター音と、葉の潰れる音が響いた。
「こっちで伝わるものが拝めればよかったんだがな。さすがに日が落ちるし、日帰りじゃきつかったか」
は、と山田が息を吐く。不思議な心地で横須賀が伺い見れば、明確に足音が響いた。横須賀たちが通った道から響くその音はゆっくりとしている。
ざ、ざ、ざ。ざ、ざ、ざ。三拍子のリズムが繰り返される。山田がそちらに一歩足を向けた。
「お足元大丈夫ですか」
少し斜面のきつい丘を登り切った男に、山田が穏やかに声をかける。男の瞳が一瞬驚いたように見開かれ、そして歪んだ。
「問題ない。アンタ達、こんな辺鄙なところに何の用だ」
男は訝しそうに山田と横須賀を見上げ尋ねた。年齢は七十代くらいだろうか。手に持った杖がおそらく三拍子の原因だろう。
「洞親子の祠を拝見しに参りました。貴方は地元の方ですか?」
山田の問いに男は答えず、じろり、と横須賀を改めるように見た。どうすればいいかわからないまま鞄の紐を握り頭を下げると、男の眉間の皺が深くなる。横須賀を十数秒ほど眺めると、男はようやっと山田に向き直った。
「なんでわざわざ見に来たんだ。肝試しをするような歳には見えんが」
「はは、肝試しですか。さすがにそれはそれは……ああ、
山田が名刺を取り出す。横須賀が戸惑うように鞄のチャックに触れれば、男が名刺を受け取り見る時に手で制された。
「探偵……?」
男の顔が険しくなる。対する山田は、相変わらず穏やかに笑っていた。
「といっても、今回の仕事はこちらの洞親子の祠とそれにまつわる民話を調べることです。ご存じかもしれませんが、探偵と言っても殺人事件の謎を解くなんて物語の中のものでして」
じゃり、と土が少しだけ深く抉られる。男の顔は険しいままだ。山田は人差し指の背で二度自身の顎を叩くと、その手を見下ろすように少しだけ俯いた。そうしてから、改めて男を見返す。
「私のところはそうですね、さしずめ捜し物や資料調査が多いんです。浮気調査とかは何分向かない性分でして、こういうちょっと不可思議な仕事をさせていただいています」
いやはやお恥ずかしい。そういう言葉で締めくくると、男は名刺を面倒くさそうにポケットにしまった。それからもう一度横須賀を見上げる。
「肝試しやジャーナリストじゃないのはわかった。そこの小僧だけだったらアレだったがな、アンタがいるなら大丈夫だろ」
唐突に指し示され、横須賀が瞬く。山田が横須賀を見、男を見、それからもう一度横須賀を見た。
「彼がどうかしましたか?」
「アンタ、本でしか調べてないのか? このあたりは自殺が多い。アンタは死にそうにないが、そこの小僧はどうにもな。アンタの部下ならもう少し体調管理してやれ」
「ああ……お言葉有り難うございます。最近この仕事をするようになったので、まだ慣れていないんでしょう。気をつけます」
申し訳ない、と山田はゆるく微苦笑する。口を挟むタイミングもわからず、横須賀は男に頭を下げた。
「ところで、……ええと」
「
やや大げさに山田が言葉を探すように俯くと、男――渡辺は面倒くさそうに息を吐きながら名乗った。ああ、と山田が嬉しそうに声を上げる。
それから改めて渡辺を見据える山田の表情は相変わらずサングラスに隠れていて、口元だけが穏やかな微笑を湛えている。
「渡辺さん。渡辺さんはいつもこちらに参っているのですか?」
「たまにだ。下の畑からだと馬鹿な連中が見えやすいからな」
「肝試し、ですか。そんなに頻繁に?」
「そこまで多くはないが、少なくもない。この時期は余計だ」
渡辺がそこで大きくため息をついた。ありありと主張される不愉快さに、山田が肩をすくめる。
「心中お察しします、と言って失礼がなければよいのですが……私も依頼で下調べなどしていますが、中々どうして敬意の払い方を学ばない人間は少なくない」
「ああ。まあ子供が遊ぶ程度ならいいだろうが、ゴミを捨てたり祠にいたずらする連中は罰当たりにもほどがある。少し外れると自殺に使われた車がそのまま遺棄されているが、そこにまでゴミを捨てやがるんだ。まったく祟られてしまうぞ」
ぶつぶつと渡辺が不服を並べるのを、山田が首肯して聞く。ええ、ええ、その通り。相手の語調に合わせるように声の大きさを変えながら、山田はその会話を至極尤もだと言うように続けていた。
渡辺の言葉で改めて横須賀はあたりを見る。ゴミは落ちていないので、おそらくそういった人たちが来たときには渡辺が片づけているのだろう。先ほど見た限り祠にいたずらされている様子もない。どちらかというと愛されたように存在する祠たちは、努力によるものなのだろう。
言い伝えられる洞親子。そして洞親子の祠に失礼がないよう見守る住民。それは部外者である横須賀にとっては、なんとなしに素敵なことのように思えた。
「若げの至りと言っても、その過ちが大きな後悔になる前に大人が目を配らなければならない。子供に限らず、無知や思い込みが相手を傷つけます。だからこそ思いやろうというお話のように思えたので、このようなお心配りを地元の方がやってらっしゃるのをうかがうと頭が下がります」
渡辺の言葉が途切れるタイミングで、山田がゆっくりと言葉を落とした。感情的ではないが丁寧に染みるようなテンポで呟かれた声に、渡辺が今度は不愉快とは別の息を吐く。
「アンタは見た目の割にきっちりした兄さんみたいだな。実際洞親子ってのは、子供の気持ちに気づけなかった故に起きた教訓話のようなものだ。子供達にはあの物語で傷つけた側にならないよう想いやろうと伝えてはいるが、大人にとってはそうなる前に目を配れ、というもんだと思っている。泣いた子供がよくわからん場所に行かないように、な。
人は一人で生きていけない。子供と祖父がああなってしまったことを、仕方なかったではなく繰り返さないためにあの物語はあるんじゃないかとな。……やかましい爺さんと思われても、そりゃお節介しとかんと落ち着かん」
「すばらしい心がけだと思いますよ。民話はただ楽しむだけではなく、知識や知恵の継承もその役割にある。渡辺さんはじめ、この土地の方は丁寧に民話と向き合っていらっしゃるようで感服いたします」
山田が朗々とした声で頷く。それを受けて、少しだけ渡辺は眉をしかめた。
「……きっちりはしてるが少し大げさだなアンタ」
「はは、申し訳ない。これでも本心ですよ」
「本心は疑わないがね」
渡辺の言葉に、山田は笑むだけで答えなかった。それからあたりをぐるりと見渡す。
「ただ素晴らしい心構えですが、あまり無理をなさると若者が短気を起こしたりはしませんか? 渡辺さん一人でそういうことをしているんです?」
「あんまりにも危なそうなら警察を呼ぶさ、基本様子を見てだな。他の連中にも声をかけることはあるがまあ稀だ。なんだかんだ言えばわかる。人がいないと悪さするが、やっぱりこれも目の数だろう」
「そうですね、目が多いことは確かに良いことだと思います。……ゴミの片づけや見回りついでに供え物もしているんですか? マメだな、と思ったのですが」
そういえば、といった調子で山田が尋ねると、渡辺の眉が少しだけ皺を深めた。ざり、と杖が右手前に滑る。
「俺ではない」
短い言葉。山田はそれを追求はせず、ついと視線を井戸の方に向けた。
「そうですか、では別の方でしょうか。水道があるように見えないので、少し手間が多いように思えますが……」
渡辺は答えない。山田が足下の土を鳴らす。
「それとも見えないだけで、実は近くに水道があるんでしょうか。井戸だったようなものもありますし」
「見ての通りその井戸もどきはもどきでしかない。」
渡辺がため息とともにようやく答えた。山田の視線が渡辺に戻る。
「では、わざわざ水を汲んでこちらに持ってきている方がいると」
「それがどうした」