4-6)確認
* * *
山田がジャケットを羽織るのを待ちながら、横須賀はあたりを見渡した。学校のオリエンテーションで洞親子の祠には来たことがある。しかし教師の引率によって通った道は林の中だったし、宿泊施設もここからは離れていたので地元とは言え正直見慣れない場所だ。
そもそも横須賀は地元の中で動き回ることがなかったので、大抵地図を見て初めていく場所が多いのだが――それでも来たことがあるはずの場所が随分違った様子に見えるのは新鮮と言える。
「閉めていいぞ」
「はい。……あの、荷物持ちますか?」
「無くていい。お前もいつもの以外は持ってくなよ」
山田の言葉に頷いて、横須賀はトランクを閉めた。ホテルに泊まるときに持ち込んだ山田の小さな鞄と横須賀の手提げ鞄は、そのまま車内に残される。
「民宿、借りるって言っていましたけど」
いつもの白い鞄の紐を握って、横須賀が尋ねた。鞄の中には借りた本などがあるので必要十分なのかもしれないが、それは日帰りの場合である。今更トランクを開ける気はないが、横須賀は不思議そうに首を傾げた。
「ホテルで話したように、調べはじめたら思いのほかって形だ。宿泊準備してるのに予約もしてない客なんざおかしいだろ。ホテルの都合がつかなくなった、っていうほどの観光地でもネェしな」
歩き出す山田に並ぶ。車をおける駐車場はここが一番近いので、これからは徒歩だ。
「まあ、なんもねぇのが一番なんだが」
山田が少しだけごちるように呟いた。なんとなく珍しい心地で、横須賀は瞬く。
山田の物言いはいつもはっきりしている。相手を刺すような言葉だったり、あざ笑うようなものだったり。そのサングラスで表情が見えず意図がわからない物言いもあるが、わかるものだと大抵吐き出すように向かう言葉は伝えるためにあるのが常だ。大げさなため息などもそれに近く、自身の感情から漏れるというよりはわかりやすさを優先している伝達道具。怒鳴る時ですら、それは他者に向けた意思表示だ。
「なんだ」
伺い見る横須賀に、山田が眉を潜める。尋ねるだけの言葉は平坦で、いつもと変わらない。横須賀はええと、と言葉を探した。
「民宿だと、部屋って」
「ひとつだな。さっき確認して空いてたんだ、まあ埋まるこたねぇだろ」
「寝ない、んですか」
ひどく今更な問いと自覚しながら、横須賀は尋ねた。山田の問いに返せる言葉がないからひねり出したような問いだが、しかしある意味では確認の意図もある。
山田が肩をすくめ、息を吐いた。
「なにもなきゃお前は寝ていい。というか、なかったら寝ろ。運転手が睡眠不足は流石にヤベェだろ」
「山田さん、は」
「確かに人間寝ないと頭にはよくネェが、だから朝遅らせて出てんだ。一晩くらいはなんとかなる。気にすんな」
気にするな、と言われて気にしないことが出来るものでもない。横須賀は首後ろに手を当てると、中指の腹でとんとんと五度ほど押すように叩いた。
人が居ると眠れない。そう言ってホテルではわざわざ別室をとったくらいである。嘘だと思ってはいないが、改めて確認すると落ち着かない。
「俺、夜起きたりするの、で、少しくらいは外にいても」
「起きようがなんだろうが横にはなってろ。起きるなと言って起きなくて済むならテメェの面構えも少しはマシになるだろうから強制はしねぇが、言ったように運転手なんだ。気ぃ使われても迷惑だし、そもそも民宿って時点で俺は向いてネェんだよ」
面倒臭い。そう伝えるように歪められた顔と素っ気ない物言いに、横須賀は背を丸めた。
山田に言いきられてしまえばそれ以上は言えない。横須賀が夜起きてしまうことをどうにもできないように、山田が眠れないのもきっとどうしようもないのだろう。
「なにかあればテメェにも起きて貰うぞ。今回はそういう仕事だ」
無ければいいがな。もう一度小さく続けられた呟きに、横須賀は首肯で返した。今度はそれ以上追求しない。仕方がわからない、というのがある意味で事実だろう。
色薬がらみ、と聞いていたのだが、その割に山田の言葉がいつもと違う。そうは思う物の、結局横須賀にはそれ以上重ねる言葉が存在しない。
「……民宿は、年寄り一人で経営されている。
前を向きながら、山田がぽつぽつと言葉を落とす。ポケットに入れたまま左手が動いているのか、左腕が少し揺れている。伸びた背筋で真っ直ぐ言葉を落とす山田の声を拾う為に、横須賀は少しだけ歩を早めて体をさらに縮めた。
「民宿利用客からの評判は悪くない。ただ近くに自殺の名所があるせいでそういう目的の客もいる。幽霊が出る、なんて噂もあるくらいだな。ハイキングも兼ねての家族での利用客、オカルト目的の利用客、そして最後の晩餐目的の客がいる」
自殺の名所。言葉をなぞり、横須賀は眉を下げた。近くのハイキングルートから外れれば、森が深く登山として重装備が必要になるのは知っている。しかし自殺の名所、とまで言われるような場所だと意識したことはなく、唐突な死の言葉に内側がざわりと震えた。
甘い果物の香りが、記憶から昇る。
「今回の目的は二点。一点は色薬。洞親子の話がそれに絡んでいること。もう一点は、秋山不二代がそれを利用していないか確認することだ。なにもなきゃそれでいい。なにかあれば調べるが、今回結果はいらない。メインは洞親子だ」
「確認、ですか」
くるりと言葉をなぞり、横須賀は復唱した。利用していないか、ということを調べるのなら人を探すのだろうか。以前女性を見つけたのは、偶然声をかけられたからだ。おそらく赤月の治療に関わっただろう被害者については図書館で見つけたが、あの女性の件があったから確信が早かったとも言える。山の中では調べる場所も遠い。
「秋山不二代が使うなら、対象はほとんど決まっている。それがいるかどうかだ」
山田の顔が斜め下に向く。その目がおそらく自身の鞄を見たのだと判断した横須賀は、右手を鞄のチャックに添えるように下げた。
「洞親子の話はどこまで把握している?」
「えっと、簡単に、です。親がいない子供にとって、おじいさんとおばあさんが親でした。でも、他の子供たちに親じゃないと言われて、おじいさんとおばあさんも自分たちを親だという子供をかわいそうに思っていて。子供はそのことを知ってしまって、ええと。そのあとまた親がいないことを言われた子供は、喧嘩をして森の中に行って、そこで洞窟を見つけたんです。そうしたら両親を見つけて、家に連れて帰ったけれど、それは化け物だからお爺さんが子供に隠れて洞窟に連れ帰って。でも、振り返っちゃいけないのに振り返っちゃって、両親は崩れ落ちて、見に来た子供もただれてしまって、子供は両親と一緒になってぶよぶよになってしまって。ええと、村にそのまま子供は戻って、畑は枯れて死んじゃう人も出て。おじいさんが子供に「お前は私たちの子供だよ」って言って子供を抱きしめたら二人は混ざり合って溶けて水になった、そうです。水は畑を治して、村の人たちは子供とお爺さんに悪いことをしてしまったと祠を立てて祀った、ってお話です。
家族の形はそれぞれあるから大事にしなきゃいけないよ、とか、約束は守ろうとか、そういう形で聞いています」
昔読んで、聞いた話だ。あまり横須賀は物覚えが得意ではないが、こういった地元の話はオリエンテーションで話して貰う機会があるのでなんとなく覚えている。
それに、民話は幼少期手に取りやすい題材でもあった。山田に見せた本は何度も読んだ覚えがある。最近のものと旧字体、それから和本と同じような内容でも文字が違ったので、読み比べが出来たのも原因の一つだろう。
ただ、今はどうしても内容がひっかかる。溶ける、水になる。浮かぶ情景に、横須賀は眉をしかめた。