台詞の空行

4-5)晴悟

 確かに、本という媒体は個人出版でなければある程度の保証があるのは事実だが、民話については地元の人間の口伝は貴重である。山田がはっきりと命じれば、横須賀ははい、と短く返事をして一つの棚に向かった。

 ある程度本の場所を整理しているようだが、民話というジャンルではなくファイルという形式で分けているのだろう。ファイル自体も色や大きさにまとまりがない。背表紙には達筆で年数や地名がかかれている。横須賀はその中で薄手のファイルを一度取り出すと、中を確認して仕舞い直してから別のファイルを取り出した。

「こちらです」

 まとめて取り出された紙は、手書きをコピーしたものであることがわかる。棚にはファイルだけでなくなにやら箱も置かれていることから、もしかすると原本はその中なのかもしれない。山田は横須賀が取り出しているものを見ているだけだが、それでも十分整頓されているのはわかる。意味のない箱があるとは考えづらい。

 とはいえ、原本を確認するほどの理由もないので予想は予想以上になり得ない。山田に必要なのは情報のみで、その文字を軽く流し見、それから眉をしかめた。

「……これを借りていくことも出来るか?」

「はい、大丈夫です」

 明らかに故人の遺産だろうものにも関わらず、横須賀の言葉はあっさりしていた。山田が顔を上げると、いつもと変わらないハの字眉がそこにある。

「祖母は本を読みませんので」

 目が悪い、とのことは来るときから聞いているし、当人の話もある。そのことは疑わない。財産だろうに軽率なのはあの祖母にこの孫あり、という考えも出来るだろう。指摘してやる道理もなく、山田は軽く鼻を鳴らした。

「さっきの本もこの資料も、将来的にテメェのモンだから問題ネェってことか」

 稀覯本に執着があればこの軽率さはなく、遺品という価値を見ているのならばもう少し別の慎重さがあるはずだ。さらにいえば、そもそも横須賀一という男が物に執着するように見えない。横須賀のプライベートを山田は知らないが、執着の薄い男、というのは山田にとって横須賀を示す言葉に近くもあった。大事にするものがないわけではないだろう。本を、というよりはそのメモをはじめとした紙の印象が強い所作はある。

 しかし、それはあくまで自身の活動によるものだ。他人がどう扱うかについてはさほど興味がないようだったし、本を飾るより調べることを好んでいるのは見当違いでない印象だろう。そもそも金銭に執着するようにも見えないからそういった意味でも笑美子とはまた別の執着の薄さがあるのかもしれない。どれも答えを聞く気のない推測止まりのものだが、しかし持ち出しに制限しないのも当然と言える推測ではある。勝手にそれが答えと納得してしまえる程度の、当然の推論。

 そうして納得ができたが、故に山田は眉間に皺を寄せた。ちらりと一瞥した横須賀の視線は下を向いている。山田を見ているのではない。ただその猫背で下を向いていることしかわからない。

「両親も、本には興味がないので」

 山田の言葉を肯定するような呟きだが、床に転がるように落ちたそれを山田は拾い上げずに本棚を見た。無価値というには整った書庫。故人の探求欲と蒐集家としての姿、言葉が形を変えて並んでいる。

「長居しても意味ねぇし、とっとと出るぞ。ビジネスホテルで一泊して、資料に不足がなけりゃ移動だ。テメェはなんかあるか」

「え、あ、ない、です」

 山田が問いかければ顔を上げてつっかえながら横須賀が答える。いつもと変わらない。首肯し、山田は持っていた資料を横須賀に押しつけた。――それを鞄に仕舞うのを見届けることなく山田は歩き出す。

「テメェがババアに一言挨拶すりゃおさらばだ。もし引き留められたら俺が車で待っているからと言え。鍵貸せ」

「あ、はい、お待たせします」

 書庫の出口で山田が手を出せば、ちゃり、と車の鍵がそっと乗せられた。倉の鍵を閉めるのを見て、足早に山田は車に向かう。

「今よろしいか」

 車の扉を開けるより半拍早く、静かな声がかけられた。山田が振り返る。音から予想した通りそこにいたのは晴悟で、見下ろす瞳は声と同じく静かだ。その背の向こうでは横須賀が玄関の扉に消えていく。

「ハジメ君はご挨拶に言っていますが」

「君と話したい」

 率直な言葉に、山田は口角を上げた。少し水平気味に寄った眉とそのいびつな笑みは軽薄な心証を与えるだろう。だが晴悟は気にした様子もなく、ポケットから銀のケースを取り出す。

 カチン。蓋が開くのを見ながら、山田は少々大げさに肩をすくめた。一度後ろに手を伸ばしかけ、しかし結局それは止まる。

「話と言っても簡単なお願いのようなものだが――もし彼になにかあったら、私にも連絡をしてほしい」

「緊急連絡先は伺っておりますが」

 差し出された名刺を受け取らず山田が答えると、晴悟の瞳が静かに細められる。

「見ての通り笑美子さんは電話が得意じゃない人だ」

「必要が有れば届くと思いますが? 一応こちらも仕事でしてね。いくら身元がはっきりしている方でも、申し訳ないが是とは言えない」

「では、君個人に名刺を貰ってほしい。連絡は好きにしていい。そこから先は山田所長の都合で決めてくれ」

 ぐ、と名刺が押し出される。山田は息を大きく吐き出すと、面倒臭そうに後ろのポケットから平べったい革の名刺入れを取り出した。

「頂戴いたします。一応、私の名刺もどうぞ」

「ああ、頂戴する」

 銀のケースの上で晴悟が山田の名刺を睨むように見る。視線が文字をなぞるのを確認すると、山田は受け取った名刺を一瞥した。

 社長職だけでなく会長職も退いている。ついている肩書きは理事。エンボス加工がさりげなく施されている名刺は、地味だが複製を簡易にさせないものだ。しかし記載されている情報には物珍しさもないため、山田は興味なさげに名刺入れに仕舞った。

 晴悟はまだ動かない。

「……他になにか?」

 探ることも探られることも山田は慣れている。しかし黙したままの晴悟に山田はするべきことを持たないので、訝しげに尋ねるだけだった。晴悟は横須賀の知人であり、それ以上でも以下でもない。自身の見目から疑われることに慣れてはいるが、疑うよりも言いたげにされる理由は持たず、またその言葉を引き出す義理もない。

 晴悟が玄関を振り返る。横須賀が扉から出てくるところで、晴悟を見て軽く会釈をしたのが見て取れた。

「会社のことでは答えられないだろうが、他になにか聞きたいことがあれば聞いてくれて構わない。可能なものだったら協力しよう」

「そりゃどーも」

 銀のケースに名刺が仕舞われる。山田は肩をすくめてそっけなく返すと、もう一度横須賀を見た。

 距離がそこまで離れているわけでもないので近づくのは早いが、しかし会話を邪魔するのを躊躇うように横須賀は体をすくめて晴悟と山田を見ている。きょときょとと動く瞳は横須賀の心情をよく表すものだろう。それが山田とかち合うと、少しだけ安堵したように横須賀は微笑んだ。

「邪魔をした」

 晴悟が山田に頭を下げる。綺麗な一礼だが、あくまで挨拶以上の意味を持たせないだけの馴染んだ形でもあった。そうして顔を上げた晴悟は、そのまま横須賀を見上げた。

「良い上司だな。頑張りなさい」

「あ、は、はい」

「では失礼する」

 最後の言葉は横須賀と山田二人に向けてのものだろう。どうも、と山田が軽く返す隣で、横須賀は丸い猫背で頭を下げた。晴悟の後ろ姿を眺める横須賀に声をかけることなく、山田が助手席の扉を開ける。

「いくぞ」

「はい、えっと」

「今日はこのままホテルだ。コンビニで飯だけ買っていくが、まあ俺はその方が楽だからだ。テメェの方は、食事行くなら好きに出かけろ。業務的にはホテルへの移動時間までで、そこからは明日の朝までテメェは自由時間だ」

 車に乗り込んだ横須賀に山田が言う。ホテルの場所を確認しながら、横須賀はいえ、と小さく答えた。

「俺もコンビニ、でいいです」

「出張中の飯くらい経費で出すっつっただろ」

「店、詳しくないので」

 へらり、と横須賀が困ったように眉を下げて笑う。考えてみれば、リンに食べたい物を聞かれてもろくに答えたことがないので店に限らず食事にさほど興味がないのだろう。山田自身、昼に食べたものがカロリーメイトなあたり人のことを言えたものではないが、はやめの昼に横須賀が弁当を選ぶときも、好きなものを選ぶ、というよりは、値段の安さで決めたように見えた。事務所で食べる弁当にも代わり映えはない。

 以前BARに言ったときにリンが作ったものには非常に嬉しそうに目を細めていたので嫌いではないのだろうが、値段の気遣いというよりは、実際そのままの意味だろう。横須賀の性格上ある意味しっくりくるとも言える。

 本への執着の薄さと同じだ。なにかを欲しがるようにはさほど見えない。

「ならコンビニだな。テメェの仕事分は本探しに時間もかからなかった。内容については明日の朝確認すればいい。午後、洞親子の祠に向かうつもりでいろ」

「わかりました」

 は、と横須賀が吐き出す息は安堵を含んでいるようでもあった。山田はシートに背を預けると、正面を向いた。

 歩行者信号の点滅を横に、車はあっさりと通り過ぎていく。横須賀はいつもと同じく、前を向いたまま車を走らせていた。

(リメイク公開: