4-4)家
晴悟に礼を言って軽く会釈すると、山田がついと横須賀を見上げた。あ、と小さく呟いた横須賀が少し落ち着かない様子で仏壇の座布団横に座り、ろうそくに火をつける。
「お前が先でいい」
「え、あ、はい」
とん、と背中を押されて座布団に座ると、横須賀は手を合わせた。それを横目にしながら山田が部屋の中を見渡す。
再び座った晴悟の正面には和菓子入ったの小さな入れ物と湯飲み。その斜め横にはもうひとつの湯飲み。日めくりカレンダー、ベッド。部屋は広く、ここ一室でおそらく笑美子の生活が完結するのだろうとわかる。
「終わりました」
「おう」
入れ替わるように山田が仏壇前に座る。火は簡易でつけられる仏壇用のライターで、ろうそくは細身だ。飾られている写真の男は頬が痩せこけていて年齢がわかりづらいものの、不健康なほど顔色が悪いわけでもない。
写真にする際にはある程度時期を選ぶのでその基準は無意味かもしれないが、しかし亡くなるにはまだ早いと言われる程度の歳だろうと推察は出来た。眼鏡の奥の瞳は優しく、細い眉もやんわりとその表情を色づけている。穏やかな夫婦だったのではないかと予想できるような、綺麗な写真だ。
「あら、お線香まで有り難うございます」
大きな声に山田が視線をそちらにやれば、お盆を抱えた笑美子が微笑んでいた。湯飲みが二つ有ることを確認して、簡単に頭を下げる。横須賀が立ち上がったのでそれ以上はせずに、もう一度仏壇に向き直った。
横須賀があげた線香が一本であることを確認し、同じようにその隣に並べる。作法は先ほどの横須賀をなぞるまま仏壇の鈴を鳴らして頭を下げると、山田はにぎやかになった机に近づいた。
「お気遣いさせてしまい申し訳ないです」
「いーえ。ふふ、嬉しくて。お茶とお菓子しかありませんが」
「十二分ですよ」
笑美子と晴悟の位置を確認すると、山田は横須賀のわき腹を拳で押して笑美子の正面に座った。きょとりと瞬いた後、横須賀が笑美子に近い側に座る。
よいしょ、と笑美子が改めて席に座り直し、山田を嬉しそうに見つめた。
「優しそうな方が上司でとても嬉しいです。盆に帰った時にお仕事頑張っているって聞いてはいたんですけど、改めて安心しました」
「それはよかったです。大事なお孫さん、心配になりますよね」
横須賀がじっと湯飲みを見つめているのを横目に、山田が穏やかに同意した。山田は横須賀のプライベートを聞かないが、盆休みに帰省するのはなにも珍しいことではない。頂戴します、と湯飲みに一口つけ、時計を見上げる。五分もいればいいだろうと思うが、横須賀はまだ湯飲みを見下ろしているだけで動かない。
「心配というか、ハジメがなにしているのか私じゃわからないことばかりで。お盆も忙しいみたいですぐ帰っちゃったし」
横須賀の動作はわかりやすくわかりづらい。見れば体が強ばるさまなど隠しきれないものなのに、基本的に無音なので見なければどうともならないだろう。
山田はそれを追求せず、はは、と短く笑った。
「案外みんな、そんなものですよ。ハジメ君は若いからよけいでしょうね。仕事もある、付き合いもある、やりたいことだってきっと私たちが思う以上にたくさんでしょう。寂しいかもしれませんが、彼はよくやってくれています。ご安心ください」
「ええ、息子もそんな感じだったしそういうものなのかもしれないですね。だから今日はなんだかとても嬉しくて。そうそう、今日は家に帰るのかしら?」
ふと笑美子が横須賀を見上げ尋ねた。ひゅ、と小さく鳴った喉ときょときょとと動く横須賀の視線は、小さく吐き出された息で一所に落ち着く。そうしてゆるりと微笑んだ横須賀は、ゆっくりと首を横に振った。
「家には行かない。本を借りに来たんだ」
「あら、そういえば言っていたわね。今日も日帰りなの?」
うっかりしていたわ、と微笑む笑美子には愛嬌があると言えるだろう。続いた問いに横須賀は首後ろに手をやり、背を丸くする。
「日帰りじゃない、けど」
「あらあら。じゃあ山田さん、部屋も余っているし泊まっていきますか? お貸しできますよ」
「客人用の布団が無いでしょう笑美子さん」
にこにこと尋ねた笑美子の言葉に続いたのは、横須賀でも山田でもなくそれまで黙していた晴悟の声だった。ぱちくり、と笑美子が瞬いて、あらやだ、と照れくさそうに笑う。
「そうねぇ、お布団がなかったわ。部屋ばかりあってもだめねぇ」
「お心遣いだけで十二分です。お茶も有り難うございます」
山田が頭を下げ、立ち上がる。その音で顔を上げた横須賀も慌てて続いた。
「書庫を拝見させていただきます。ご本を借りさせてください」
「はぁい。アタシはぜんぜん読めないので、使ってくださる方がいらっしゃるときっとあの人も喜びます。なにもできませんがどうぞごゆっくり」
「はい、有難うございます」
部屋を出ると息を吐く音が後ろに聞こえ、山田は横須賀を見上げた。目が合うと反射のようにゆるく笑む顔は平時と変わらない気の抜けたものと言えるだろう。それ以上でも以下でもない。もし違ったとしても、山田が追求するような理由もない。
「とっとと倉行くぞ。本の場所は把握してんのか?」
「あ、はい。ある程度置き場所は整理しているのでさほどかからないと思います。民話の本は和本洋装本両方ありますが、どちらも場所はわかりやすいので」
玄関で一度横須賀が止まる。廊下と玄関を見比べた後、ええと、と山田を伺い見るように背を丸めた。
「外からも中からも行けますけど、どうしますか」
「……外からでいいだろ。帰りに挨拶するのも短くて済むしな」
「はい」
玄関で横須賀が鍵を手にする。靴を履いた山田が少し眉を顰めた。
「玄関に倉の鍵置きっぱっつーのは不用心すぎネェか?」
「え、あ、そうです、か?」
「倉だろ」
「本しか、ないですし」
確かに本など二束三文にすぎないと言う人間はいるが、稀覯本まで行かなくても倉を持つような蔵書家の遺産をたかが本とくくるのは大雑把だろう。気軽に借りて良いと言うあたりからも価値を正しく理解していないのはわかりきった事実だが、資産的価値以外にも放火など諸々問題があるだろうに――そこまで考えた山田は、しかし結局黙った。
言ってやる義理はないし、あの善意の固まりのような笑美子がどこまで危機感を持つかというものもある。客人である晴悟がその点気づかないわけがないだろうし、山田は無駄なことに労力を割く気はなかった。
「少し埃っぽいですが」
ぎ、と開いた倉から、紙と埃が混ざった独特の匂いが広がる。部屋の中は一面本だらけで、扉がない方の壁まで本棚で埋まっていた。
扉がある壁側には机と椅子が置かれており、机の上にはライトと卓上棚。卓上棚には横須賀がよく使うファイルよりも少し丈夫そうなファイルがしまわれているが、横須賀はそちらを見ることなく天井に伸びるようにある本棚の中をするすると歩いていく。
図書館で声をかけたときとほとんど変わらない所作は、目的の場所がほとんどわかりきっていることを伝えるものだ。
「地元の民話、は、この辺ですね」
ハードカバーの本を一冊、薄い小冊子を三冊、和本を一冊横須賀が取り出す。ハードカバーは静岡県内の民話集、薄い紙でできた小冊子は同じく県内のものが二冊と氏山市のものが一冊。和本は市のものだ。
「机で確認しますか?」
「いや、ざっと目を通すからいい。県のものから貸せ」
「あ、はい」
横須賀が左腕で一度本を抱え直し、右手でハードカバーを開く。慣れた手つきで目次をなぞると、とすん、と、ページを移動させた。
「こちらです」
「おう」
ハードカバーだが、子供用なので行間などが広い。段組のないページを三度めくり、山田が本を閉じた。
山田が顔を上げれば横須賀が受け取るか渡すか悩むような半端な姿勢で、小冊子を右手に一冊持っている。やや眉をしかめると、山田は横須賀から本を受け取ってからハードカバーを左腕に乗せた。
少しだけ持ち直すように揺れる布と鞄、本の擦れる音が響く。
「……こっちはいらねぇな」
小冊子の一冊を山田が入れ替え渡す。あっさりとまとめられており、ハードカバーの方との違いは情報量だけだった。はい、と頷いた横須賀は、本棚に戻す。少し低い位置の棚に戻す際、棚の下側に貼ってあった付箋を取るのが見えた。
おそらく本を抜く際に貼ったのだろう。横須賀はマメ、というよりそこまで自分の記憶を疑えるのが不思議なくらいなところがある。そこまで記憶力がないわけでもないだろうことは先の所作からでもわかるのに不可思議ではあったが、山田にとっては便利な行動でしかない。横目にそれらを見ながら、もう一冊に意識を向ける。
小冊子ではあるがこちらは和紙の表紙であり、閲覧者は大人を装丁しているようだた。ところどころ劣化しているのを修繕しただろう跡もあり、後ろを見れば明治との記載がある。破かないように開かれたページを見る。三枚ほど目を通して、それから後ろのページを数ページ確認してから山田は本を閉じた。
「それはまだ戻すなよ」
「わかりました」
次の一冊からは市のものである。薄い小冊子の内容はいらないと言ったものとほとんど同じ内容だったので山田はすぐにそれを先と同じく横須賀に戻し、和本と入れ替えた。横須賀も先と変わらず付箋の場所にそれを戻す。
和本は至ってシンプルな作りだった。水墨画のようなイラストと筆で書かれた氏山民話集の文字。口伝調の形式は独特で、挿し絵は全て墨。記されている地図は古地図だ。
「この三冊を借りて行きたい。持ち出してまずいモンあるか」
「大丈夫、です。あ、あと、あと、本とは少し違うと思うんですけど、記録があります。えっと、個人で口伝をまとめたものみたいなので、信憑性はないかもしれないんですけど」
「興味ある、見せろ」