4-3)笑美子
図書館で古地図を確認した後向かった先は、山の住宅地だ。街中と違いひしめくような感がないのは田舎らしい特徴だろう。
倉がある、と言ったとおり、横須賀が案内した家はそんな住宅地の中でもそれなりに大きかった。ただ庭は木が植えてあるもののそれだけで花壇などといった様子はないし、倉と家の周りには全体的に石砂利を敷き詰めてあるだけ故に裕福さよりは田舎の余った土地といった感を持たせるものだった。
広い庭だが、車はない。石すら気にせず生える雑草は、人の気配を薄くさせるものがあった。率直に言えば、広さの割に管理がされている様子がない場所。
「祖母は耳が遠いので」
玄関に向かいながら、横須賀が申し訳なさそうに言った。山田はいつもと同じく横須賀を見ないままに、面倒臭そうに息を吐く。
「一度言やわかる」
いつもと違うことと言えば、横須賀が先導するといった点だろう。先の図書館もだが、横須賀の家で山田が先導する理由はないので当然ともいえる。しかし違うことはそれだけで、横須賀の猫背は相変わらずだ。
「すみません。えっと、目もあまり良くないので、なにかありましたら」
「年寄りはそんなもんだろ。別に挨拶くらいフツーにしてやる。テメェの家だ、一応それなりにはしてやるさ」
まあこの外見じゃ無駄かもだがな、とまでは言わ、山田は口角をあげた。じゃり、と横須賀の足が石を鳴らし、山田が見上げる。
なにか言いたげに山田を見、口を開いた横須賀は、しかし結局視線を玄関に向け直した。
「……もしお手間でしたら、倉に案内するまでお待ちいただいてかまいません。ただ仏壇に線香を上げる時間だけ、いただければ」
「テメェが手間ってことにしたいならそれでもいい。俺は別にテメェの家に興味なんざネェしな」
は、と山田が吐き捨てるように笑う。それは苛立ちというよりは馬鹿にしたような笑いだった。どうでもいい。そういう言葉を含んだ声に、横須賀は鞄のベルトを握り直す。
玄関前の段差には乗らず、ポストの前で山田は横須賀を見上げた。
黒い小さな瞳が、切れ長な睫の下で逡巡を見せる。サングラスで隠れた山田の目と違い、横須賀の小さな黒目は動きがわかりやすい。
「……俺、は。手間、じゃ、ないです。よけれ、ば。祖母はきっと、喜ぶ、ので」
「この外見じゃ不安になるかもってのもわからなくもネェが、まあある程度は対処してやるよ」
山田は横須賀から視線を外すと、段差の正面に立つ。横須賀は山田の言葉に眉を下げて微笑んだ。
「外見は、多分大丈夫、です。えっと、鳴らします、ね」
インターホンを横須賀が押す。庭と同じく、人の気配は感じられない。
「鳴らして気づくのか?」
「いつもの部屋にいれば中で大きな音が鳴るようになっていますし、光りますので」
インターホンにカメラがついているものの、応答する声はない。暫くして、足音となにやら女性の声が中から響いた。
横須賀が扉の前から少しずれると、ぎ、とドアが開く。
「あらあら、いらっしゃい。どうしたの?」
扉を開けて微笑んだのは、穏やかな顔の女性だ。短く細い髪はゆるく巻きがかっており、光できらきらと輝く白髪。年月でたるんだ皮膚が深い皺を作り、瞼は瞳の色を隠している。
しかし瞳が見えづらくなっていても、それは逆に微笑みが常に女性と共にあるように見せていた。歳月が優しさを形にしたようなその顔立ちは切れ長な瞳の横須賀と似ていないものの、善人としか表しようがない様子は横須賀の祖母と聞くとひどく納得のいくものがある。
「倉の本を、借りたくて」
猫背の横須賀がいつもより少し大きめの声で女性に言う。腰の曲がった女性はあらあら、と微笑んだ。
「それなら借りていけばよかったのに。……あら、どちら様?」
びくりと横須賀が体を強ばらせる。声をかけられた山田自身は特に気にした風もなくにこりと微笑み段差に乗ると、女性から見えないように横須賀の背中を拳で軽く叩いた。
えっと、と声を漏らしながら、横須賀が山田を見、女性を見、山田をもう一度見た後ようやく女性に向き直る。
「雇ってくれている、山田さん。お世話になっている人、です」
「はじめま」
「あらあらあら! こんな可愛らしい人が。よかったわねぇハジメ」
山田の言葉を遮って、にこにこと女性が声を上げる。は、と半端に口を開いた山田が横須賀を見上げると、横須賀は困ったような情けないハの字眉で微笑んだ。
「横須賀
大きな声で、笑美子がにこにこと言う。ひどく嬉しそうな表情に、山田は改めて笑みを浮かべ直した。
「はじめまして、所長の山田太郎です。こちらこそハジメ君にはお世話になっております」
「どうぞ中に上がってください。ちょうど
ふふふ、と笑美子が中に戻る。あ、えっと、と慌てた様子の横須賀の鞄を山田が掴んだ。
「線香上げて適当に流して倉行けばいい。長居はしないが多少は付き合ってやる」
潜めた声で早口に山田が言う。眉を下げたまま、横須賀が申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「すみま、せん」
「テメェが謝る必要はネェだろ、行動の制限を出来るわけも無し。それより目悪いにもほどがあるな。客がいるってことは靴はそいつのもんで、まさか一人暮らしか? 身長だけで判断しただろアレ。よくやっていけるな」
笑美子に聞こえないよう小さな声のまま矢継ぎ早に山田が吐き捨てた。靴を脱ぐ山田を待ちながら、横須賀は首後ろに手を置いてとんとんと指で叩く。
玄関には簡単に履ける小さなサンダルと、出しっぱなしの長靴。それとひらべったいやはり履きやすい小さな靴。それに加えてきれいに磨かれたシックなローファーが並んでいる。
「普段眼鏡かけるのが得意じゃないだけで眼鏡はあります、し、外見についてはその、俺も人を連れたことがないので基準がわからなくて、すみません」
「だからテメェが謝る意味無いだろ、わかんねえやつだな。まあ自分のガキや孫より若かったり小さかったりしたらなんでもまとめてそうなる人種もいるとは言う。警戒されないなら都合良く利用するだけだ。とっとと行ってとっととずらかるぞ。客がいるなら余計だ」
「はい」
山田の後に続いて靴を脱いだ横須賀は、お邪魔します、と小さく呟いて家に上がった。置かれたスリッパを履いて、中に入る。
横須賀が先導して細い廊下を曲がり障子を開けると、真っ白と言うよりはうっすら灰色に見える白髪の男が正座のまま背筋を正していた。
「お邪魔している」
老人といっても、よく通る落ち着いた低い声が響く。言葉の後軽く会釈した姿も、芯が通ったように真っ直ぐだ。淡い青のシャツは男の姿勢に加えて性質を見せるように几帳面さを形にしていた。
「俺、も、お邪魔、します」
対する横須賀の声は、いつものひきつったような逡巡を形にしたような声だ。声の質だけで言えば本来横須賀の声はその体躯に見合った低い声をしているのだが、緊張で喉が窄まるのかひきつるせいなのか、こう言う時に出てくる声は少し高い。
横須賀の後ろに隠れたまま、山田は男性を見つめた。横須賀と同じように真ん中で分けた髪は、しかしきちんと長さが計算されているようで横須賀と違い目尻にかかることはない。また櫛の通った細い髪はその背筋と同じく芯が通っているようにまっすぐ撫でつけられており、清潔感がある。眉尻の上がった眉とは対照に目尻の下がったたれ目は、皺の刻まれた肌の奥に沈むことはなく真っ直ぐ相手を見透かすような色があった。
「あの、山田さん。祖父の友人でお世話になってます、時川
「はじめまして、ハジメ君にはお世話になっています。彼を雇っている所長の山田です」
横須賀の紹介を聞いて、山田が笑みを浮かべて頭を下げた。晴悟がそれに応じるように立ち上がる。
「探偵事務所の方だな。はじめまして、お邪魔にならないと良いが」
「邪魔なんてとんでもない。こちらこそ休日をお邪魔します。まさかハジメ君があの時川社長とお知り合いとは思わず驚きました」
晴悟のじろりとした視線を受けながら、あくまで山田は穏やかに答えた。時川社長、との言葉に、その鋭い視線が山田のサングラスに写る。
「私を知っているのか」
「お噂だけ以前。ああ、別に調査の対象だったわけではありませんよ。警戒させてしまいましたかね」
少し冗談じみた声色に、晴悟は笑みを返しもしない。むっつりとした表情は元々の物なのだろう。いや、と短く答える声は静かだ。
「もしされていたとしても恥じるべき事はなにもないし問題ない。――今はすでに社長職は退いている」
「そうでしたか、これは失礼。……私もご挨拶とハジメ君のご厚意で上がっただけなので、出来たらあまり気にしないでいただけると幸いです。仏壇にご挨拶させていただいても?」
「私はただの客だ。同じく気にしないでくれ」
「有り難うございます」