台詞の空行

4-2)氏山市

 * * *

「氏山は他より図書館が多いらしい、んです」

 レンタカーを走らせながら、横須賀は静かに言った。隣で山田は地図を見下ろし、返事のように指で紙を一度叩く。

「県立図書館のような大きさはありませんが、分館がいくつかありますので。調べるには丁度いいかも知れません」

「ふぅん。まあ、まずはローカルな方でだな。民話だから多少古い本が見つかれば儲けモンだが、テメェの地元なら図書館も馴染みあるだろう。ある意味ラッキーだったな」

 どうせ図書館に入り浸ってたんだろうとでも言うような山田の物言いに、横須賀は視線を前に固定したまま答えない。

 前を向け、と言ったのは山田だ。忠実に守っていると言えるが、しかし手の甲に浮き出た筋に山田は眉をひそめた。

「……図書館の中は把握しているのか?」

「本館だけ、なら。分館は利用していません。パソコンで検索できますから、必要なものがどこにあるかはわかります。民話も確かそれなりに揃っていました。山田さんの必要とする物があるかはわかりませんが、本はちゃんとあります。『うろ親子おやこ』は地元では有名な話なので、市内の民話集なら大抵は載っているかと」

 答える声はいつもと変わらない。説明も、すらすらとしたものだ。暗記したものを読み上げるような調子ではなく、実際横須賀の知識として存在する言葉である。

「それなり、ね。まあ地図と一緒に数冊借りるか。図書カードはお前あるんだろうな」

「あり、ます」

 横須賀の癖のあるつっかえた声に、山田は正面を向いた。

「読んで暗記する必要がネェのは便利だ。帰るときに返せば問題ないな」

「本の貸出期間は二週間ですので多分大丈夫だと思います。……あの、でも」

 小さく横須賀が声を漏らす。正面を向いたまま山田は視線だけを動かして横須賀を見上げた。サングラス越しなので、山田が見ていることに横須賀は気づかないだろう。横須賀の気の弱い顔は強ばっていた。

「どうした」

 山田が抑揚のない声で問う。横須賀の喉仏が一度下がった。

「図書カード、ずいぶん使ってないので……更新する必要があると、俺、現住所が愛知なので手間があるかもしれません」

「手間?」

 山田が聞き返すと、横須賀は前を向いたままぎゅっと眉間にしわを寄せる。節ばった指先が白い。

「場所によるんですが、住所で貸し出せなかったり、貸し出せても滞在先とか職場の証明が必要になることがあって、その」

「テメェの実家に掛け合うってことか」

「時間がかかる、かと。その、祖母は耳が遠くて電話があまり得意でなくて、ええと」

 申し訳なさそうな声と硬い表情に、山田はふん、と鼻を鳴らした。歯切れの悪い言葉だが、山田にとって横須賀の家の事情は別段どうでもよいことだ。山田は横須賀を雇っただけであり、家がどうであろうと関係ない。

「ならいつもと変わんネェよ。地図はコピーすりゃいいし、本は覚えりゃいい。内容は既にわかってるし、その違いを見つけるだけだ。テメェの得意分野だろ」

「あ、ありがとうございます」

 安堵したように横須賀が息を吐いて笑う。山田はそれに答えず、地図に再度視線を落とした。

「……あの」

「なんだ」

 しばらくして落ちた声に、山田が短く聞き返す。躊躇うような横須賀の声と、それを受ける山田のそっけなさはあべこべのようなのに馴染んでいた。二人の関係を示すにわかりやすいその声のまま、横須賀は言葉を続ける。

「祖母の家に、書庫があるんです。倉一つ分、なんですけど」

「随分でかいな」

「はい。それで、本の種類も、多くて。民話も、あって。洞親子も、あり、ます」

 山田が横須賀の方に顔を向ける。はくり、と小さく開いた唇は動いたこともわかりづらい程度にすぐに閉じられ、それから改めて開かれた。

「それがどうした」

 じれったいとでもいうような粗野な声と眉間の皺に、横須賀は前を向いたまま体を竦めた。ハンドルを撫でる指先が少し落ち着き無く動き、しかし次の時にはぎゅっと握られる。

「もし、借りる必要があるなら、祖母から借りても大丈夫だと、思います。祖父の遺品なんですが、祖母は本を読まない、ので」

 しばしの間。山田が腕を組む。横須賀は体を丸めながら、図書館に入る為にウインカーを出した。ゆっくりと曲がった車が、地下の駐車場に下りる。

 暗くなる視界に、山田は地図を畳んだ。横須賀がバックで車を駐車させるのを確認してから、山田が口を開く。

「デメリットはネェのか」

「でめり、っと?」

 山田の言葉に、横須賀は不思議そうに復唱した。山田がやや大げさに息を吐き出す。

「下手になにかあっても俺は保証しネェぞ。借りた借りてないだで揉めても面倒だ」

「あ、それは大丈夫です。読むの、俺くらいで……あとは祖父の友人くらい、なので。その人も凄く優しい人で、だからその、大丈夫です」

 おずおずとつっかえている言葉だったが、それは横須賀の平時のものと変わらない。申し訳なさそうに頭を下げるのも含めてその様子にそれ以上の意図は見えず、山田は地図を横須賀に押しつけた。

「図書館の本によってはそれのが楽かもな。地元の人間の本棚ってのは場合によっては希少な縁でもある。たとえ面白味のあるモンがなくても、まあどれも同じだろ。最低限確認して、場合によってはテメェの家行くぞ」

「あ、はい。祖母の家、はもう少し上ですが、さほど離れてないので大丈夫だと、思います」

 ひしゃげてしまった地図の端を揃えて畳みながら、横須賀がゆるりと笑う。山田はそれ以上なにも言わず、車を下りた。

 横須賀の地図を撫でる手が、ひとところで止まる。小さく吐き出された短い息はため息にはなりきらず、呼吸と言うには冷えていた。