台詞の空行

第四話 こどく

4-1)休み明け

「来週、しばらく出張する」

 山田の言葉に、横須賀は顔を上げた。手元のノートパソコンでは、キーカーソルがチカチカと点滅したまま続きを待っている。

「調べ物があるから予定では五日だな。テメェはどうする」

「え、おれ」

「色薬絡みだ。この間の件みたいなモンが嫌なら残ってろ、役立たずは邪魔だ」

 色薬、という言葉に小さく息を呑んだ横須賀は、役立たずという言葉で身を固くし俯いた。以前よりも少し濃くなったクマが、睫の下でその表情を暗く見せる。

「盆休み明けて少しぼけっとしているだろ。休み挟んで頭冷えて現状に不服でも出来たってんならそれなりに対応してやる。行かないなら行かないなりにテメェにさせる仕事はあるしな。ここに残るんだったらそう言え」

「……俺」

 横須賀が呟く。山田は椅子に座ったまま続く言葉を待った。

「俺、の、仕事が、あるなら」

 山田が横須賀に向けていた視線を、手元の雑誌に逸らした。来客用の椅子で目を伏せたままの横須賀はそれに気づかない。

「行きたい、です」

 言葉に、山田が横須賀を見る。横須賀は俯いたままカーソルの点滅を数えた。し、ご、ろく。七回目が終える前に、山田が口を開く。

「仕事は民宿の調査。依頼があった訳じゃねえが、少し引っかかることがある。民宿に行く前に向こうについて調べるのもあっての五日だ。民話や土地関係を漁るからテメェが行くならもう少し短く済むんじゃネェかとは思う」

 横須賀が顔を上げきる前に、山田は手元の紙に視線を落とした。だから二人の視線はかち合わない。横須賀の顔は縋るよりも力ないものだったが、それでもその小さな黒目だけは山田をじっと見つめていた。

「まあ、いざとなったら民宿行くときは俺だけでもいいが、手が増えた方がいいこともある。テメェがぐずつかなければだがな」

 最後の言葉は、静かだが念を押すような強さがあった。横須賀は元々下がりぎみの眉をさらに下げ、それでも口元を一度引き結ぶ。

「行きます」

「邪魔と判断したら帰らせるぞ」

「はい」

 横須賀の言葉に山田が手元の紙を滑らせるようにして持ち上げた。真っ白い紙に印刷されている文字が横須賀にも少し見える。

 A4用紙の白さは、手に取らなくても紙の質がいいことを示していた。事務所の再生紙とは違うようだった。文面までは読みとれなかったものの、写真などが差し込まれたそれは報告書のような体裁に見える。

「まあ、県外だがそこまで遠くに行くわけじゃネェ。民話は多少行く前に調べられるだろうし、ぶっちゃけ図書館だって向こうで見る必要はないが念の為ってとこだ。地元だけの話があるかもしれネェしな。図書館以外でも本を見れりゃラッキーだが、テメェが調べられる分でいいとは思う。一応今手元にある簡単な話はこれだ」

「あ、ありがとうございます」

 山田の言葉に横須賀は立ち上がり、机に行く。片手で差し出された一枚の紙を両手で受け取り視線を落とした横須賀は、ぱちくり、と瞬いた。

「場所は静岡。氏山うじやま市の大糸おおいとってとこだ。前回に引き続き山ん中だな。遠くはない、とはいってもそれなりに距離はあるし新幹線で行って向こうで足を見つけるつもりだが――どうした」

 紙を渡された横須賀に、文字を読む様子がない。横須賀を見上げた山田が話を途中で止め声をかけると、横須賀はゆるりと山田を見た。八の字を描く眉の下で、元々覇気のない瞳が困惑で揺れている。

 さり、と紙が横須賀の手の中で音を立てた。

「知って、ます」

 横須賀の言葉に山田は黙ったまま眉を上げた。横須賀が紙を持ち帰る。さりりり、ぺこり。紙の立てる音が静かになってから、もう一度横須賀は口を開いた。

「俺、小学校で、この話、聞きました」

 そう言う横須賀の瞳は、もう何の色も見せなかった。

(リメイク公開: