台詞の空行

3-18)後始末

 * * *

「グレさん」

 ファイルを持った男が息を切らしながら、池の縁をなぞる男に声をかける。グレさん、と呼ばれた男――日暮は顔をあげ、立ち上がった。

「資料受け取ってきました。祭りの準備要領だけですが」

「さすがに帳面の控えはなかったか」

 資料を無造作に入れた結果膨れ上がったのだろうファイルを受け取り、日暮が尋ねる。ぱらぱらとめくるファイルには写真が多く挟まっており、この場所の本来の姿を残していた。

「はい、種村たねむらの言っていた通りですね。種村以上に覚えている住民もいません。病院の方にいるかもしれませんが」

「そちらは落ち着いてからでいいだろう、おそらく変わりないと思うが。以前の会長は死んでいるからこればかりは仕方ない」

「そうですね。ぐるっと回ってみましたが、怯える人間がいてもそれ以上の情報は聞けませんでした。……今回俺で良かったんですかね」

 くせっ毛の頭を控えめに掻いて、男が尋ねる。やる気のなさそうな一重の半眼が居場所なさそうに斜め下を向いた。

「力仕事ならマツだし、聞き出せることがあまりないなら寧ろトリッキーなヅカの方が向いているんじゃ」

「もうすでに終わっているからそういう方面の心配はない。聞き出せるかどうかは来てみないとわからないし、モトが調べた結果なら信頼できる。イレギュラーはその後でやっても遅くないだろう」

 とんとん、と指先でファイルの背を叩きながら日暮が平坦に告げる。抑揚のない声はひどく無感情だったが、モトと呼ばれた男――小山はその半眼じみた瞼を少しだけ持ち上げた。日差しを受け取り、少しだけ瞳が輝いたように見える。それから口元を手で覆うと、んん、と少しわざとらしく喉を鳴らした。

「有り難うございます。ええと、グレさんのほうはどうですか。なにかわかりましたか」

 改めて表情を真顔に戻した小山の瞳は、先ほどと同じく半眼だ。やる気がないというより元々目が細いのだろう。表情こそのらりくらりとしたものだが、日暮が見ていた池の縁をのぞき込む態度や日暮に対する言葉は随分と真面目なものである。

 日暮はしばしファイルをめくると、ややあって手を止めて小山を見た。

「代田かんなの証言通りだ。燃えた跡がある。化け物の跡、については分かりづらいが、はみ出た黒がそれか。焦げたあとなのかどうなのか、なんともいえないところはあるな」

 

 池の縁から視線が神社に向かう。住民に畏れられ、崇められただろう神社は、裏手が燃えたことなどなにも知らない顔でそこにあった。

「グレさん、やっぱり彼らの言っていた探偵って」

「山田だろうな。儀式に関係した物がわざとらしいくらい欠けている」

 小山の問いかけと言うよりは確信じみた言葉に、日暮はあっさりと首肯しながら答えた。小山の眉間に皺が寄る。

「重要参考人として声かけましょうよ」

「必要がない」

 きっぱりと日暮が断じる。無機質な言い切りを受け、小山は不服そうに顔を歪めた。

「それにしても絶対山田に舐められてますよ。代田も種村も話す気ないようですけど、もう少し問いつめても良かったんじゃないですか。そもそも娘の格好なんかもう馬鹿にされているでしょうアレ。山田ミニって感じだったじゃないですか」

「ああ、愛らしかったな」

「グレさーん……」

 日暮の返しに、小山はがくりと肩を落とした。

 無表情な日暮はそれに見合った冷静さを持っているが、こういう妙に力の抜ける言葉をしばし口にすることがある。それが感情的になってしまう自分たちへの遠回しな気遣いだと小山は考えているが、しかしだからといって慣れるかどうかは別だ。

「一応髪は崩していたとはいえ明らかに男物の整髪料が香ってましたし、あのズボンはスーツの物です。しかもあの貰ったとか言うサングラス見覚えバリバリですよ……馬鹿にしている……」

「整髪料の匂いも山田と同じだし、まあアイツも隠す気がないのは事実だろうな」

「確実に俺らがつっこまないから舐めてますよあいつ……」

 はああ、と大げさに小山がため息をつく。日暮は表情の見えない真っ黒い瞳で小山を見据え、ファイルを指先で二度叩いた。

「五つ、理由がある」

 日暮の言葉に、小山が背筋を正す。日暮はその態度に首肯すると、ぱかりと口を開いた。

「一点目、こそこまでわかっているのをわざわざ代田達に語らせるメリットはないこと。二点目、重要参考人として呼んでも山田はおそらく黙秘すること。三点目、山田が事件に関わったとしても、種村と代田かんなが言っていた儀式執行者ではないこと。四点目、化け物を冗長させることはなかったどころか探偵によって人的被害無く済んだとの言質がとれていること。以上の点から考えれば山田に調書を取っても事件にほとんど意味がなくメリットも見られない。さらに五点目、参考人として呼べば山田が以降自身の関わりを隠す。そちらの方が大きなデメリットになること。以上の点から俺は山田への追求をしない」

 とつとつと、まるでメトロノームのように日暮が宣言する。眉をしかめた小山は、しかし結局自身を宥めるように大きく息を吐くことでその表情を崩した。

「すみません、馬鹿言いました」

「いや、山田を放置するつもりはないしモトやヅカが気にかけるのは頼もしい。ただ今回の件については、調査できるだけマシと思ってくれ」

 とん、と少し大きくファイルの背を鳴らしたのち、日暮が池の縁を歩く。

 燃えカスはおそらく、燃えカス以上のものにならないだろうと日暮は推測できてしまっていた。そこにあった扉は燃え尽きており、下から出てきたのはただの地面だ。

 いくらかの推論はできる。可能性が、それを刺激するのだ。けれどもそれは事実を歪める可能性でもあり、日暮は静かにその推論を押し留めた。

 神社に写真と衣服を祀る意味。社で過ごした子供が巡り還るということ。八月、盆終わり。先祖が帰る中、選ばれたその子は神の元に還る。薬となって。燃えカスに混ざる白い骨の妄が、今と重なる。故に日暮はそれを端に寄せ留めようとした。

 あまりにも、今更な事実が日暮の内に積み重なってしまう。それでいて、勝手に重ねてはいけない。以前山田の話にあった液体というものが、過去と今を重ねようと存在しても。燃えカスに混ざる遺物を勝手に想像してしまっても。重ねるのは後だ。結果を歪めないための意識を立てる。

 日暮達が行うものは、今を守るためのものなのだ。きっと燃えカスも社も、池も。検証が済み次第埋め立てられるかなにかされるだろう。そういう特殊な後処理が必要になることがままある事件と向き合ってきていた。だからこそ、その手前で間違えてはならない。

 山を見れば奇妙なほど穏やかだ。ここであった事件などなにも関係ないと言うかのように静かに存在する。

「どうかしましたか?」

「……ここは土葬が長くてな」

「土葬」

 唐突な言葉は、知っていてもなじみがない習慣だ。日暮が見ているものを見ようとするように、小山も目を凝らして山を見る。

 しかしそこにあるのは木々だけだ。

「二十六年前に大きな病が起きてから火葬をするようになったんだが、それまでは土葬でしかも内々だった。花田市の中でも特殊な区域だったらしい」

「今回の儀式に関係しているんですか?」

「さてな。十三年前の儀式は普通に行われた。まあ、隠蔽しやすさは二十六年前だろうが……どちらにせよ医師どころか村ぐるみに近い。今回は外部が入ったからこそ、だろう」

 日暮の眉間に皺が寄る。他は無表情だから奇妙なものだが、小山はつられるように眉を寄せ、歯がゆげに表情を歪めた。

「まあ、よくあるケースですね」

「十三年前は出来なかったことだ」

 無感動な声に、小山は日暮を見上げた。声と違い大げさに寄った皺はそのままに、真っ黒い瞳が小山を見下ろす。

「結局今回も出来なかったが、せめて後始末くらいはしたい」

「……十三年前は特例隊ウチが無かったんでしたっけ」

「ああ。殺人か行方不明事件が起きるってタレコミがあったんだが、簡単な調査で終えてしまった。注意勧告はしたが、住民が必要ないと言っていたのもあってな。見回りをして、なにかったら連絡するようにと説明はしたらしいが、結果は種村の話したとおりだ」

 話しながら、日暮の表情は元の無表情に戻る。するりとほどけるようにあっさりと読みとれなくなるその顔を見て、小山がそっと息を吐いた。

「タレコミは誰だったんですか」

「匿名だった。その言葉に報いられなかったが――今すべき事は事件が何故起きたか、再発させないためのものはなにか、ここが再び被害地域にならないための調査だ。頼むぞモト」

「はい」

 日暮の言葉に、小山ははっきりと返事をした。小山にとって日暮は従うに値する上司だ。期待には応えたい。日暮がするりとまた歩き出す。

 けれども一つだけ、小山は聞かなければいけないことがある。足早に日暮の横に並ぶと、日暮が眼鏡の奥の黒目を小山に向けた。

「グレさん」

「なんだ」

「少し凹んでます?」

「ああ」

 相変わらずの無表情かつ無感動な声で返ったのは首肯だ。やっぱり、と呟いて、小山が頭を掻く。

 表情も感情も読めない日暮は、こう言う時に正直だ。誤魔化そうとされてしまえばまったく気づけない自覚があるのも情けないものだが、日暮の正直さのおかげで小山はこの上司の為に動けることがあるとわかる。

「グレさんが言うように、原因究明、再発防止。証拠が多少消されてても有る程度儀式の情報もありますし、やれることは多いですね」

「ああ」

 あえて明るい声で小山が言えば、やはり平坦な声で返事が落ちる。小山が眉を下げて、笑った。

「今日上がったら飲みに行きません?」

「ああ、そうだな。ありがとう」

 抑揚のない謝礼に少し照れくさそうに頭を掻くと、小山はもう一度あたりを見渡した。

 削れた池、汚れた黒、燃えた跡にあけっぱなしの神社。普通の人間に伝えたら笑われるか馬鹿にされるか怒られるか、とにかくまともに取り合われないだろう現状を調べるのが小山達生活安全対策特例隊の仕事だ。刑事課の中でも特殊なもので、いわゆる犯人と呼べるものがほとんど存在しない。大抵関わった人間は心神衰弱、心神喪失状態となっており、特に通常の事件と異なる怪異被害者である点からも通院や観察処分となる。

 後始末ほど虚しい物はなく、一番は大きな事件が起きる前に動くことだ。それが許された職場でありながら、しかし間に合わないケースも少なくない。

 だからこそなにかにつけて先にいる山田に対して湧き上がるのが警戒でありともすると――そこまで考えかけ小山はかぶりを振った。認める気のない感情に名前を付ける気はないし、結局山田をどうこうできるものでもない。

 原因でなければ追究はしない。しかし放置もしない。日暮の言葉が正しく、小山は一度大きく息を吐いた。

 死人はないし、あとは関係者の心によるものだ。そしてその帰る場所を確保するために、事件の温床になるだろう要素を除去する。自身の仕事は誇りだ。

「モト、どうした」

「なんでもないです!」

 小山が勢いよく答える。日暮に渡したファイルはもう開かれない。

 山は静かで、空はただ青くそこにあった。

(第三話「めぐり」 了)

(リメイク更新: