台詞の空行

3-17)境界線

「また同じ事を繰り返すの」

「青提灯は飾らなかった、それに間違いはないか」

 非難を込めた言葉に返ったのは、無遠慮な声だった。脈絡のない言葉に、かんなは一瞬その意味を理解できなかった。

「その時提灯はどこにもなかった」

「……ええ、そうよ。それがどうかしたの」

「それなら多少は希望があるって事だ」

 山田の言葉はてんで要領を得ない。かんなは眉を顰めた。このまま飲み込まれるだろうに、山田は相変わらずの平坦さだ。後ろで話を聞いている横須賀の酷く苦しそうな表情の方が、まだかんなに近しいものがある。

 山田が視線を提灯の飾られた祭り会場に向けた。

「そもそも御法度の火を提灯とは言え飾っているんだ。有る程度意味はあるだろう。そしてその提灯はこっちには飾られていない。儀式の相手が火を嫌うから飾らず、そして嫌うからこそ家の方に提灯を並べる。提灯を並べないのは、生贄を出した家だけってあたりも意味深だ。ヤバいのはここらへんと、あとは見た場合か。そこまで面倒見る気はねぇな。それでおかしくなったら、自業自得って奴だ」

「なに、言ってるの」

「意味のあることとないことがあって、意味のあることだったらラッキーだ、って話だ」

 山田がきびすを返す。その足が向かうのは池で、慌ててかんなはその後を追った。縋る止めることは出来ない。頭の片隅ではするべきだと思うのに、困惑する感情がそれを叶えない。

 右手から左手に山田は持っていた物を持ち替え、それからなにか別の物を取り出した。カチン、と鳴る音で、それがジッポだと理解する。

「山田、さん」

 ずっと黙り通しだった男の声が後ろから響き、かんなは身を強ばらせた。隣を通りすぎる際に小さく頭を下げた大男は、先ほどまでの猫背を更に丸めて鞄から紙を取り出す。

 それは、一冊の本だ。

「それ」

「ええ、貴方のお嬢さん曰く『お名前帳』なものですよ」

 バラバラだったはずの帳面に、美幸の手首に結んだはずの紐が通されている。最初に見たままの姿で綺麗に結び直されたそれは、ことごとく儀式の形が崩れたことを明示していた。

 なんだ、この人たちは。今更どうしようもない疑問が浮かぶ。

 探偵と言っていた。特にこういった不可解なことを扱っている、と。お嬢さんのためですと。だから大樹は選んだ。かんなはそれを止めきれなかった。

 けれどもそもそもこんなことになるとは思っていなかった。なんで、こんなことに。

「……他の連中が来るとややこしい。アンタには話してもらわなきゃいけない肝心なことを聞いてないから、おかしくなるのは後にしてくださいよ」

「なにを、言って」

 困惑する言葉は、山田に届いていないのだろうか。きちんと声に出したはずなのに、山田はかんなを見ず、横須賀の鞄の紐を引き寄せた。

「本当は俺が行くべきなんだろうが、言ったようにテメェに任せる。無理なもんは無理で切り捨てろ。テメェの判断は混ぜない、その条件は違えんじゃねぇぞ」

 ひゅ、と奇妙な呼吸音。次いで横須賀が首肯する。

「……話はある程度通してある。テメェが言えば、大丈夫だ。もし今更やり口を変える、とか言い出さない限りな。間違えるようなら、そいつらに用はない。テメェだけで行け」

 はくり、と横須賀の開いた唇が閉じられる。山田の眉間の皺が深くなる。

「返事」

「は、い」

 ようやっと落ちた声に、山田が吐き捨てるように笑った。大きな白い鞄から、石の色をした社が取り出される。

「な」

「俺はこういうモンを残しておきたくない性質でな」

 山田が馬鹿にするような声で言い切る。かんなの抗議を聞き取ったのだろうとわかるその言葉は、さきほどのかんなの言葉をわざと切り捨てたのだとわかりやすく教えてくる。

 白い鞄から出たのは、神棚にあった社や花、箱のたぐいだ。本と一緒にそれらを池のそばに山田が置く。最後に取り出されたのは洋酒のようだが、ラベルはわからない。

 それらを終えると横須賀は祭り会場へ続く坂道を見、山田を見ると、ぎゅ、と軽くなっただろう鞄の紐を握りしめた。は、と山田が息を吐く。

「話によりゃ来るのは年寄り二人。とはいえ条件を変えるからなんらかの不満はあるとは思うが、強行するほどのもんじゃネェだろうとは思うが、保険がいる。最低限のテメェの条件は確保した。保険程度の働きはできるだろ。テメェならなんとかなる。条件さえ守ればいいんだ」

 神妙な顔で、しかし横須賀は返事をしない。山田が横須賀を見据えた。

「俺の命令に従え。そっちは任せるぜ、ワトスン」

 言葉に、ぱちくりと横須賀が瞬く。そうして一拍のち――横須賀はまた鞄の紐を握り直した。

「はい、では先に行きます」

 はっきりとした返事と共に、横須賀が立ち去る。意外にも男は振り返らず、そしてその背を見送っていることをかんなは自覚した。

 山田がかんなを見上げる。暗がりのサングラスは、明かりの下よりも無機質だ。

「アンタにも先に行ってもらった方が面倒がないんですけどね、そうすると逆にデカブツの面倒が増えるんで少し待ってもらいますよ。……テメェが拒否できなかった世界だ、観念しろ」

 最後の言葉は言葉遣いの割に、凄むというよりは諭す色があった。どうせもう、しまいだ。かんなはもう何もできない。今からくるだろう会長と特当者でどうこうできるとも思わない。

 それでいてもう一度罪の形がどうなるのか、かんなにはわからなくなっていた。

 山田の言葉は信用できない。神の力を侮る気持ちもない。にもかかわらず、あの気の弱そうな男がはっきりと返事をして、立ち去った。その事実だけでなにもかもがわからなくなる。

 さっきからずっと、かんなにはわからないことばかりが増えている。

「さっきも言ったように多分提灯は境界線だ。ただ見た人間がどうこうなるってのは俺にもどうしようもネェ。実際境界線かは博打だが、一応それで承知はしたからな」

 誰が承知したというのか。かんなに教えるようで微妙にずれた言葉を吐き捨て、山田が先ほど鞄から出したものを持って、神社に向かう。美幸がいた社ではないその場所を選んでいることの意味に、頭がくらくらとする。どこまで、なにを。わからないまま、山田を見る。社からあまり離れていない場所にある神社の意味を、おそらく、この探偵は知っているのだ。

 神社の裏手。地面にあるのは、注連縄と、石だ。石をどかせば木製の扉があり、その下は地面だ。土の上に置かれた扉は、しかし扉として機能している。注連縄が外されて、締められた扉の上に置かれる。

 とぷとぷ、と、洋酒がしめ縄、本、神棚、花、箱に注がれる。持ち込んだものとそこにあるものが、一体になる。

「燃やすの」

「ご名答。幸い燃やしてくださいと言わんばかりにここらへんは拓けているしな。森に燃え移りはしねえだろ」

 むちゃくちゃな。そう言いかけるが、言葉が出ない。あんな巨大なものが、あんななにものかわからないものが火ごときに怯えるのだろうか、という疑問も、結局どうにもならないのだ。

 もうかんなは選択肢を持たないのだから。

 山田が土をならすように足を動かす。多少は移らないように考えているのか。酒の撒き方になんらかの意味がありそうだったが、かんなにはわからない。

 そもそもこれは、本当に洋酒だろうか。

「アンタ、誰に何を言われた」

「なにを」

「留守録があった。トラックのタイヤ後も確認した。心当たりはあるだろう」

 淡々とした言葉は、しかしこれまでで一番無機質に聞こえた。感情がない。にもかかわらず、ぐ、と肺を掴む音。

 知らず足を後ろに引いたかんなを、山田はただ見据える。

「詳しい話はあとで聞く。誰だ」

「わから、ないわ」

 困惑と怯えをないまぜにしながら、かんなが答える。身構えるようにじりじりと後ろに引くかんなを、山田は止めない。

 それどころか、視線をついと逸らした。

「……もういいな。アンタはこっち見んな。先に行け」

「え」

「あとで聞く。正直、問題ないとは思うがな、なにかあった時の保険だ。何度も言わせんじゃねえよ」

 戸惑うかんなの背を山田は無理やり拳で押した。つんのめるようにしたかんなを未届けもせず、池に向かう。かんなが慌てて振り向けば、あの社を山田が手に持っていた。

 後ろから襲われることも考えないのか、山田は振り返らない。

「見たいなら止めてやるギリはねぇが、ガキの責任くらい持つんだな。――あれが意味を成すなら、本当は、アンタだ。あの日の続きをして、ガキのおりを忘れたいならそれでもいいがな」

 言葉にかんなはようやく反転した。汚泥がまた記憶から引きずり出される。止まった涙はもうあの日を映さないが、恐怖はかんなを縛る。

 パキン。パキン、パキン、パキン。音が響く。がこん。続いて、明らかにおかしな音が底を鳴らす。まるでスタートの合図を聞いたかのように、かんなの四肢は勝手に動いた。

「……本当クソだな」

 小さな呟きは誰にも届かず、炎の音で消えた。

(リメイク公開: