3-16)罪悪
「どうあがこうが儀式はもう不完全だ。アンタだって望んでいたはずだ。被害者面したってアンタも共犯者だ」
「ちが」
「違わない。代田大樹を止めなかったのが一点、俺たちを止めなかったのが一点、報告しないで自分だけで見ていたあたりもわかりやすい一点」
静かに、しかし言い聞かせるように少し強い声で山田が言葉を続ける。ゆっくりとした指摘にかんなはかぶりを振った。いやいやとだだをこねるような幼い所作は、浮かんでいた涙を溢れさせる。
黒が来る。それをかんなは望んでいない。
「アンタは戸惑っていた、おそらく望んじゃいなかった。けれどもそこから結局、儀式の時には決意していたんだろう。俺はそういう奴を助けようとは思わない。そりゃ決意した奴を説得するなんて馬鹿馬鹿しいからな。人間腹括った奴ほど面倒なことはない。そういう意味ではアンタは向こう側だった。けれども見捨てきれなかったアンタを、その神がどう思うか」
「成功さえすれば関係ないわよ、あんなもの!!」
ひきつった声でかんなが叫ぶ。涙はぼろぼろと零れ、夜がずっと黒の波を見せる。
山田が、ゆっくりと笑った。
「あんなもの、ね。そう言い切ってしまうのなら、信仰なんて無意味だと思いませんか。いや、既に思っているのか。ただ過ぎ去るのを待つ、厄災。厄日。今日の日付をなかったことにするようにカレンダーを破り、被害者顔で終わりを待つ。その癖失敗を恐れている。なのに、なにもないことを貴方は望んでいる。
残念ながら貴方が思う以上に貴方は執着が強い。娘も夫も望んで、その癖義務感で間違えている。馬鹿馬鹿しい」
「それでも私は!」
続ける言葉を持たないまま、かんなは叫び――その続かない言葉すらも打ち砕くような勢いで、がつん、と石のぶつかる音が響いた。
山田の手が石像に当てられている。その手にあるなにかで石を殴ったのはわかったものの、それ以上はかんなにはわからない。
かんなの言葉がそれ以上ないのを確認するように首肯した山田は、石に打ち付けただろうなにかを手の内で転がしながら見下ろした。
「勘違いのないように言っておきますが、儀式を壊すのは私ですよ」
面倒臭いとでも言いたげな投げやりさで、山田が言葉を落とす。眉間に寄った皺が何を意味しているのか、それを教えるものはどこにもない。
きちきちと、なにかが擦れる音が手の内から漏れる。
「貴方は共犯者だ。それも、両方にとって。ですが結局共犯者以上にはなり得ない。儀式を遂行しようがしまいが、貴方は多分どうにもならない」
黒を追い立てるように、先ほど石にぶつかった音がかんなの耳から消えない。自身の手を見下ろしていた山田が、再び顔を上げた。
山田の黒は、暗がりでもかんなを映す。
「アンタの生を救うために、アンタの娘は存在しない」
涙が止まる。止まった後また溢れそうになる。答える術を失ったかんなを、山田はじっと映している。
「二十六年前。貴方のご家族が亡くなったのは何故ですか。儀式が失敗して起きるのはただの流行病ですか。再び儀式を行いましたか。貴方が知りすぎていることは貴方が今日動いたことと帳面から推察は出来ます。答えがなければ私はなにもせずにただこの儀式の失敗だけを結果としてこの場所を出ます。私がいる意味はほとんどない。貴方から他に聞き出すことを聞いてしまえば、はっきり言ってそれ以上する義理はないんです。ただそれで終わるには、依頼人たちがうるさいものでね。死なせてやろうにもそうもいかないんです」
一言一言区切るように山田は言った。ゆっくりとした物言いには、問いかけと言い含める調子が込められていた。
かんなは知っている。すべてが無意味なことを。それでいてわかってしまった。もう本当に、かんなにはどうしようもないのだと。
「……本来、儀式に使われるのは私だった」
ぽつり、と落とした言葉がかんなの鼓膜を通って頭に響く。何度も繰り返したのに、音にすると酷く虚しく、そっけない。あれほど苦しんだ感情をそぎ落としたような声は、自身の薄情さを思わせて恐ろしい。
「十三年ごと。それも人が死ぬような儀式を、よく続けてきたものだと思う。二十六年前、その当時の会長はすでに儀式で孫を失った人でした。もうやめよう。たとえ獣害があったとしても、隣の火野はそれで成り立っているじゃないか。昔なら交通の便から病に対応することが困難だったかも知れないけれど、それだって車があるんだ、なんとかなる。こんな人道から外れた儀式は、現代日本において無意味だと。そう皆に説きました。罪悪感をみんなもっていた。選ばれたものの病が治るなんて言われても、老いに恐れて人を殺そうなんて思う人間はいなかった。子供は宝。わかっていた。それでも生きるに仕方ないと目をそらしてきた心に、会長の言葉は染み渡ったのだと思う。説得に時間はかかったらしいけれど、それでもそうしようという話はまとまった。説得が終えるまでの間では儀式の準備がなされ、贄が私と決まって儀式について説明も受けて――それでも、儀式は成されなかった。きちんとみんな、一度全部止めようとした」
かんなの言葉がぽつりぽつりと積み重なる。山田は黙ったまま動かない。山田がどこまで知っているか見当がつくはずもなく、かんなは幼い記憶をなぞる。
「提灯も飾らず、ただ神社にお許しを乞いました。氏子の代表も、会長も一緒に。その夜はいつも以上に静かで、私はなんとなく落ち着かなくて。そうして、間違えてしまった」
「間違えた」
山田が小さく復唱した。顔を上げられないまま、かんなは小さく頷く。肺の下、あばらの奥で何かが震えるような錯覚を持つ。
「誰か来た。父がそう言った。私は部屋の中にいて、お母さんが傍で手を握ってくれた。父が、扉を開けに行って――それが間違えだった」
皮膚がざわざわと落ち着かない。あれをなんと言うべきか、かんなには理解できなかった。
ぐずり、ぐずり。びちゃり。粘性を思わせながらも不定形のそれは、あまりにおかしかった。色のない溶岩というにしても、なにもかも飲み込んでしまう歪な色。浮かぶのは、夜を吸い込んだ黒。それでいて、父と混ざった、あの色は。
「それで」
無機質な声が、続きを促す。ひ、と喉を鳴らしたかんなは、一度強く目をつぶった後見開いた。
「それでもなにもないわ。それでおしまいよ!」
顔を上げてかんなは叫ぶ。ひきつった声が耳をつんざいた。口角が痙攣し、言葉を紡ぐために開いた結果笑っているような泣き叫ぶような奇妙な顔に歪む。
瞼が震える。鼻の奥が痛む。かんなはあの日を、忘れない。
「お父さんは突然笑い出した。なにかを喚いていた。なにかはわからないけれど怖かった。わめき叫びながらお父さんはその汚泥を抱きしめるように歩いていったわ。私は動けなかった。お母さんは気づいたら倒れていて、私だけしかいなかったのに、お父さんを止められなかった。お父さんは黒を抱きしめた。抱きしめて――そのまま、おしまいよ」
早口にまくし立てたかんなの言葉が、最後力を失ったように落ちる。父を抱きしめ返すように巻き付いたものは、黒だったもので。父と触れ合った場所から、色が溶け合った。だからあれは、黒だったのかもわからない。色を飲み込む、なにかだ。そして汚泥が父の中に入り込む。骨のひしゃげるようなおかしな音が、父の内側から響いた。笑い声と絶叫が重なる。
その結果は、単純だ。
「その泥のような何かは、父の中に入ったかと思うと、また出てきた。その泥のようなもので中をぐちゃぐちゃにされただろう父は、ぐにゃぐにゃになって人の形を保っているとはいいがたかった。そのなにかは、はそのままどこかにいった。ぐるりと一周して、他にも会長と氏子の二人、それと赤ちゃんが産まれたばかりの一家族四人が死んだ。それは神社を廻り、池に戻ったと聞いている。静まりくださいと祈ったけれど、その年儀式はしていない。でも、なんでか作物には恵まれて、あれが巡ったからだと言われている。けど、そんなのわからない。母は意識を取り戻しても痙攣するばかりでなにもかもわからなくなっていて、そのまま衰弱するように死んだ。あのときの被害者は皆、病気ってことになっている」
は、とかんなはそこで息を吐いた。どうにもならないこれから起きる事実を説明することのなんと薄ら寒いことか。そんなかんなの内心を理解しないだろう探偵の表情は、やはり変わらない。
これから起きることに怯える事もない人間を、かんなは理解しない。出来る訳がない。