台詞の空行

3-15)邪魔

 いつの間に。浮かんだ疑問は言葉にならない。感情的になってしまっていたのだから気づかなくても仕方ないだろうという自身への慰めも無意味だ。横須賀は廻り池に歩いてきた。廻り池はほぼ一本道。その横須賀を見据えていたかんなの後ろにあったものは、神社だ。

「貴方、なんで、ここに」

「話をしましょう、と言ったでしょう? はじめまして代田かんなさん、探偵の山田太郎です。時間が惜しいですが、貴方を放っておくわけにはいかないものでして。申し訳ない」

 申し訳ないと言いながらも、山田の言葉は平坦だった。慇懃無礼。そんな言葉が浮かぶ。後ろの男が言えばそれは真実味があるだろうが、横須賀は山田に並ぶことなくその場にとどまっていた。

「まず率直にお願いを先にしておきます。この場所から出て行ってください」

「……それは私でなく貴方達でしょう」

「言われずとも私たちは出て行きますよ。ついでに貴方も、というだけです」

 悠然とした調子で、山田が笑う。作り物じみた笑顔と瞳の見えないサングラスはただただ胡散臭い。かんなは拳を堅く握りしめた。

「儀式の邪魔をしないでほしいだけよ。私だって、そのときが来たら退くわ」

「それじゃあ遅いんですよ。私はどうでもいいんですけれどね、依頼人とお嬢さんがやかましくなっては困りますので」

「お嬢さん?」

 かんながいぶかしげな声を出す。ほんのり混ざったのは苛立ちだろうか。一度凪いだはずの心に、さざ波が立つ。

 山田の顔から、笑みが消えた。

「儀式は成り立たない。そうなった時起きることを、貴方は知っているはずだ」

 息が止まる。目が見開かれる。眼球が乾くような感覚。服の裾を握りしめ、かんなはしかしなんとか口を開いた。

「邪魔は、させない」

「どうやって止めるつもりなんですかね? 貴方の後ろにいる大男と、私をどのように? アレはああ見えて力はありますよ。その体躯に見合うだけの、ね」

 再び笑みを浮かべながら、静かに山田が言葉を重ねる。かんなは眉をひそめた。山田の言葉で後ろを確認しなくても、猫背の男の体躯が普通よりもよほど大きいことはわかっている。

 気が弱そうな猫背の割に、横須賀はかんなからしたら大きすぎると言えるだろう。かんなが特別小さいわけではない。横須賀が珍しいのだ。あの背筋を伸ばし見下ろされたらどうなるか。長い手足でひょろりとした印象を持たせるが、よくみれば細すぎるわけではなくきちんと体が出来ている。鞄を握りしめる手は節ばっていて大きい。神経質に強く握りしめているのか浮かんだ血管は、自分との違いをまざまざと見せつける。

 それでもかんなは、身を引こうとはしなかった。

「やるべきことさえわかっていれば、出来ないことはないもの」

「ええ、それは正しい」

 山田があっさりと首肯した。あまりにも簡単な返事に、は、とかんなから息が漏れる。

 後ろの男は動かない。目の前にいる探偵は理解できない。時間が流れる。時間さえくればそれでいいが、しかしかんなは困惑した。

 なにがしたいんだ、この人達は。

「やるべき事を正しく理解し、準備をし、行動をする。そうすれば自ずと結果はでるでしょう。だからこそ、言っているのです。――邪魔はテメェなんだよ」

 凄む声が、肺を掴む。横須賀と対照的に、山田は随分背が小さい。遠目に見れば大人と子供だ。かんなよりも小さい位置の顔。にも関わらず、サングラスで見えない視線は真っ直ぐとかんなを貫く。白いシャツ、黒いネクタイ、黒のズボン。死神のような喪服じみた黒に主張するオールバックとサングラスは、かんなの知る日常と逆のようでひどく心をざわつかせる。

 同時にそのざわつきが、それだけでないとかんなは頭の隅で理解していた。

 目を隠しているのにも関わらず、横須賀とは別の意味で見透かすような所作なのだ、山田は。

「じゃ、ま、って」

 それでもかんなは引けない。引くわけにはいかない。あの過ちをもう一度繰り返すわけにはいかないのだ。神はそこで全てを見ている。待っている。罪の形を見守っている。

 かんなは留まる義務がある。止める義務がある。かんなはあの日からずっと、ずっとそれを背負ってきた。

 どんなに感情が逃げろと言ったとしても、選べない。そんなかんなの心情を知らない探偵に従う義理など無い。縋る意味など、

「邪魔はそのままだ。儀式は成功しない。そう言っている」

「成功する。あの子は準備されている」

 山田を睨み、かんなが断じる。山田は面倒臭そうに息を吐いた。

「ええ、準備はされてましたよ。……ここにいれば、あとは時間になるのを待つだけでよかったかもしれません」

 言葉の意味が、一瞬理解できなかった。ぱちり、ぱちり。自分より小さな探偵を見下ろしたかんなは、ぽかんと口を開けて、頭の中に残る文字をなぞる。

「だから貴方は出て行くべきだし、話すべきだ。――儀式の失敗で起きる事態について」

 はくり。酸素が抜ける。続けられた言葉が、先ほどの残っていた文字を覆う。そうして重なった言葉に、皮膚がざわりと震え立った。

「美幸……!」

 探偵の横をかんなが駆ける。邪魔は入らなかった。暗闇に転びそうになるのを寸前で耐え、板張りの床に手がついた。勢いのまま扉を開ける。

 月明かりが直接照らすことのない部屋は、ぽっかりと黒い穴のようだ。暗がりにライトを照らす。

 美幸は、いない。

「私が受けた依頼は、彼女の保護ですからね。こんな場所に残すわけ無いでしょう? あんな悪趣味な本を読み聞かせるあなた方と一緒にしないでいただきたい」

 うしろから嫌みたらしい声が響いた。振り返ることが出来ない。最悪が浮かぶ。どうすれば、どうすれば、どうすれば。今から美幸を連れ戻す? どこに? どうやって?

 いつのまに、こんなこと。美幸はどうやって――

 そこまで思考して、かんなの動かなかった体が唐突にぐるりと反転した。振り返ることを拒否した頭は、今度は山田の姿を見ることを選んだ。

 白いシャツ。黒いネクタイ。サングラス。黒いズボン。けれど、二度目に二人が神社を訪れたとき。あのときはどうだった? かっちりとしたスーツを着ていた。そう、こんな簡易な格好ではなかったのだ。黒いジャケット、赤いネクタイ、黒いズボン、オールバック、サングラス。遠目で見たとき一度目と二度目の違いが鮮明だった。

 一本道のこの場所で、山田はどこから現れた?

「あ、なた、の服」

「近寄ってきたらもう少し早くに貴方とお話するつもりだったんですがね。まあ説得にはとりかえしの付かない時間も便利なので貴方が見ているだけの人だったのは都合が良かった。おかげさまでスペアをまた新調しないといけませんが」

 山田の言葉は事実を並べ立てるだけのように淡泊だ。肩をすくめてみせる所作が浮いて見えるくらいに、感情がない。

 また、起きる。起きてしまう。なにも知らない連中のせいで、こんな。

「だから観念してください。失敗した時、なにが起きるんです?」

 探偵に依頼するのを止めれば良かった。元々ここは閉鎖的な場所なのだ。これまで成功し続けたのは誰も関わらなかったからだ。この儀式の結果を知る人間たちが成功のために骨身を砕くわけがない。決められた条件、決められた流れ。それ以上をしようなんて、するわけがない。

 知っている。みんな普通の人たちなのだ。執り行う会長ですら、結局これは、宗教と言うにはあまりにも浮いている。昔ならいざしらず、この現代日本において盲目的な感情など持てるわけがない。歪んだ形。だからこれは、私が見据えなければいけなかった。なのにこんな、

「貴方は以前、なにを見たんです?」

 山田の言葉が、かんなの芯を打ち据えた。杭で刺されるように、体が動かなくなる。震える体と揺れる瞳は、しかし山田からそらすことを許されない。

「二十六年前。貴方が見たことを話してください。このまま失敗でも私は別に構いませんが、多少はなにかできるかもしれないでしょう」

「できるわけ……」

 それ以上言葉にならなかった。かんなの瞳にみるみると水が浮かぶ。ひ、とひきつった声が漏れる。強ばったかんなを見据える山田は相変わらず真っ直ぐと背筋を伸ばしていて、崩れ落ちそうなかんなと対照的だ。

「こんな、わたし、なんでまた、だめ、だめなの、に」

 ひ、ひ、ひ。奇妙な音を山田は笑わない。隣に立つ横須賀は鞄の紐を握ったままかんなを見つめている。サングラスの山田は貫くようで、三白眼の横須賀は縋るようで、そのあべこべさをしかしかんなは見ることが出来ない。

 水たまりで歪んだ視界は、最悪を映し出す。

「だめ、美幸がいない、と、わたしは」

「テメェの罪悪をガキに押しつけるな」

 山田の声が遠くに聞こえる。正論で殴るような言葉も、水の中では遠い。知らないくせに。そういう反論すら音にならず、かんなは唇をかんだ。ひきつった息はそれでも止まらない。