台詞の空行

3-12)見字

 山田の言葉に、横須賀はびくりと肩を揺らした。尋ねられたことに落ち着かないように横須賀はきょときょとと瞳を揺らし、しかし山田が何もいわずに言葉を待っていることに気づくと息を吐き、吸い、もう一度吐いて見返す。

「えっと、綺麗、以外、ってなにをいえばいいかわからないん、ですけど。その、字のバランスが綺麗なのは多分元々、だと思います。でも、ええと。多分代田さんのお家で見かけたメモに似たような文字があったんですけれど、そちらよりえっと綺麗に見えました。メモだから向こうは走り書きかもしれませんが、それでも見かけたメモは雑というより綺麗という印象だったので、それより綺麗だから多分丁寧に書いた、と思うんです」

「ああ、あれか」

 山田はメモを見ていないが、それでも横須賀が書いた報告を見ているので覚えているのだろう。とはいえ、実際物を見たわけではなく文字の情報でよく覚えられるな、と、横須賀は思ってしまう。覚えられないからメモをしている自認がある横須賀には、難しいものだ。

 今だって、直接見たはずなのになんとなくのぼんやりとした記憶しかない。鮮明さのない記憶から、印象を引き出す。

「メモの方は遠目でインクの使い方とかまではわからないんですが、それでもバランスが整った綺麗なものなことはわかりました。書くのに慣れている、のかもしれません。普段使いから文字を綺麗に書くことに対して、意識的な人なのかも。綺麗な文字と丁寧な文字って、二つをもっているものもありますが別々であることもあるので。元々綺麗な文字を書けるけれども、払いとか手癖ではなく丁寧に書く意識がある人、とは思いました。こちらの帳面にある文字も、もちろん綺麗なんですけど――」

 筆は、ボールペンなどよりも書いたときの様子が見て取りやすい。ボールペンでも近くで見ればインクだまりなどの特徴はわかるが、その差異が顕著なのが筆だ。

 筆は、文字を書くときにちょうどいい案配の墨を含ませる必要がある。継ぎ足してしまえば墨の濃さやバランスで、見る人が見ればわかってしまうからだ。とはいえ、いわゆる書にあたるものはまた別のようにも思えるが、とにかくいくらかの情報は拾いやすいのだ。

 兎、という文字は、丁寧に書かれている。それでも一画目、入りを示す箇所は、にじみがある。墨を置きすぎた、ではない。強く筆を下ろしすぎた、でもない。すっと毛先を立てて、そこから次に行くまでの二秒か三秒の間を感じる。書き慣れている人物ならば、もっとすらすら書けるだろう。意識した一画。それらが、始まりだけでなくすべての画で存在する。横から縦に折り返す一画分にいたっては、縦になるときにまた少しそこにとどまるような、半画と半画で分かれるような間がある。

 それでも、描き方が分からない、とは違うのも確かだ。なにかを見ながら書いているのか、丁寧に書いているのかのどちらか。

「多分、帳面の文字は、綺麗というよりは丁寧が強い、です」

 見ながらか丁寧のどちらと言われれば、横須賀は後者を見る。あくまで俺の印象ですが、と言いながら、言葉を文字から拾い上げる。

「元々の字が綺麗で、その手癖で流し書いた、とは違うと思います。一画ずつ、意識して描いている。始点から終点に向けて、ハライは綺麗に流れていますが、そのまま次の一画に勢いでいっている様子は無い。トメはきっちりトメているので墨が濃くなっていますが、そもそもこのトメの時間が少し長かったんじゃないかな、というか。向き合って、一画一画の時間を感じるんです。だから、凄く丁寧に真摯な、綺麗、かな、と」

 そこまで言って、横須賀ははたりと言葉を止めた。結局結論は丁寧で綺麗に落ち着いている。丁寧、と追加したものの山田が聞いた「綺麗以外」の言葉にはどうにも足りていないようで、横須賀は丸い背をしゅるしゅると更に丸めた。

「すみません、それだけ、です」

 ぼそぼそと横須賀が謝罪すると、山田がふうん、と頷く。

「文字読ませるならテメェは便利だな。上等だ」

「へ」

「さっきも言ったが見える見えないは当人の知識による。俺には視力関係なしにそこまで読めねぇよ。文字好きかなんか知らねぇが、てめぇの情報量は俺よか多い。謝る必要ねーだろアホかテメェは」

 ひどく奇妙な心地で、山田の言葉を横須賀は頭の中でなぞった。横須賀には読む、見るしかできない。それを山田はなんだか随分過分に褒めているように思えて、内側がざわざわと落ち着かない心地になる。

「……間の抜けた顔すんじゃねーよ。アホな理由で情報よこさねぇとか許さねえぞ」

「え、あ、すみません」

 慌てて横須賀が謝罪をすると、山田は眉をしかめた。めんどくさい、というような感情が、眉とその歪んだ口からありありとわかる。

「意味のない謝罪はいらねえ。行動で示せ無駄なことすんじゃねぇよ」

「おじちゃんおにーちゃんいじめてる?」

「いじめてねーよ、事実だ事実」

 粗野な山田の物言いに心配した美幸に、山田が近づくな、という態度のまま答える。美幸が横須賀を見上げたので、横須賀は眉を下げて微笑んだ。

「いじめられてない、よ」

 しかし、美幸はそれでも納得しないように口を開く。

「じゃあ喧嘩? 喧嘩もだめだよ。仲良く助け合おうって、手を取り合うからいいことがあるんだって書いてあるよ」

「書いて?」

 教科書かなにか、と考えるのが普通かもしれない。けれどもその視線が山田の手元に向かったので、つい横須賀は復唱した。

「お名前帳に書いてあった」

 美幸の言葉に、横須賀が山田を見る。山田は眉間の皺を一つ増やすと口の端を下げ、美幸を見た。

「それも見たのかって言うかこんな読みづらいモンよく読む気になったなガキ」

「お名前書く前に読んでもらったの」

「……ほんっと、よくやることで」

 山田が吐き出すようにしてあざ笑う。ありありと浮かんだ嫌悪に、美幸がぱちくりと瞬いた。

「テメェはそれでいいのか」

 静かな声で、山田が問いかけた。もう二度ほど瞬いた美幸は、そっと顔を伏せる。

 小さな手が、膝の上でもぞもぞと動いた。ねじり癖のついた飾り紐がくるくると揺れる。

「じゃないと神様が怒る、し」

「テメェの父親が依頼したから、俺はここにいる」

 とん、と、山田の声はまっすぐ落ちる。こう言うときの山田の物言いには、独特の色があった。特徴がある、というよりは、特徴がないからこそ独特に見える色。その言い聞かせるでも言い含めるでもない単調な声は、ただ相手の前に落ちる。

 美幸が顔を上げた。小さな手は、膝の上で固く握りしめられている。

「神棚を調べる。テメェは父親の事でも考えとけ」

 それだけ言うと山田が立ち上がった。美幸はなにか言いたげに口を開いたが、声はない。二人を見比べながらも、横須賀は立ち上がり山田に並んだ。

「あの、手を取り合う、って」

「廻魂祭りのことだ。巡る魂、寓話的なものが書いてあった。そのまんまだが屑みたいな祭りだな。神棚はどれだ」

 横須賀の問いに、山田は嘲るようにしながら答える。横須賀と違い山田は祭りがどのようなものなのか全てわかっているのだろう。さきほどからその話題になると山田は口の端を歪めて吐き捨てる。

 美幸の言っていた『お名前帳』の中も満足に見ていないので、横須賀にはなにがなにかわからない。戸惑うまま、それでも山田の問いに答えるように横須賀は神棚を照らした。

「これ、です」

「……どうせ棚に乗ってるだけだろ、下ろせ」

「あ、はい」

 他の物よりも少し奥に取り付けられた神棚は、本来台座かなにかで取る必要があるだろう。横須賀の背丈だと一応必要ないが、奥から取り出すので注意が必要だった。手探りで取り出せば花や神酒が落ちてしまうので、一度それらを退かす。